【著者インタビュー】片野ゆか『着物の国のはてな』/着物は「非日常」を手っ取り早く楽しめるアイテム
着物に、どことなく堅苦しく、窮屈なイメージがあるのはなぜ? そんな着物の謎を解き明かす、「着物の国」の解体新書!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
約束事だらけの「着物の世界」堅苦しいルールはいつ誰が決めた? 着物初心者だが好奇心旺盛なノンフィクション作家が謎に迫る!
『着物の国のはてな』
集英社
1500円+税
装丁/清水佳子(smz’) 装画/田尻真弓
片野ゆか
●かたの・ゆか 1966年東京都生まれ。東洋大学社会学部卒業後、求人広告誌の営業職を経て文筆業に。2005年『愛犬王 平岩米吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞。著書は他に、11年に漫画化され、林遣都、中川大志出演による映画化(来年公開)も決定した『北里大学獣医学部 犬部!』や『犬が本当の「家族」になるとき』『ポチのひみつ』『ゼロ!熊本市動物愛護センター10年の闘い』『動物翻訳家』『平成犬バカ編集部』『竜之介先生、走る!』等。162㌢、B型。
正解は他人の常識や都合ではなく「カッコイイ」や「カワイイ」でいい
そもそも着物とは堅苦しくて窮屈なものなのか? だとしたら着物や和装の
片野ゆか著『着物の国のはてな』は、そんな着物にまつわるモヤモヤを謎解きさながらに解決してくれる、「着物の国」の解体新書。ちなみに「着物の国」とは、着付けや時節の作法などに多くの〈約束事〉を設け、逸脱すれば〈着物警察〉に現行犯で着方にダメ出しされかねない世界のことだ。そんな自称〈歴史や伝統〉を重んじる人々の存在こそ、実は着物の世界をキュークツにしている真犯人で、着物自体に罪はなかったと、この近くて遠い国への体験的探訪記を書き終えたノンフィクション作家は言う。
「例えばその着付けルールにどんな歴史背景があるのかを調べていくと、実は確固としたものはなかったのです。つまり正解の根拠もないままに他人の着こなしに口を出す人が着物の国には結構いるのです。それにもかかわらず私たちは“歴史”や“伝統”の言葉を前にすると、つい思考を停止しがちになります。ですがそういうことって、着物に限らずあると思うんです」
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発端は洋服生活への飽きと、ふと羽織ってみた亡き母の着物だったという。
「これが驚くほど似合わなかったんです。全体にモッサリして20歳は老けて見え、夫(ノンフィクション作家の高野秀行氏)にも言われました、〈親戚のおばちゃんにしか見えない〉〈なんでそうなる?〉って(笑い)。
実際、私と母では体形も違いますし、私には私に合った色や柄や着こなしがあると後々わかっていくのですが、〈日本人なら誰でも着物が似合う〉と聞いていたのにそれは幻想だったの? と、逆に興味が湧きました。洋服ではあり得ない色柄の面白さに魅かれたこともあり、謎に包まれたこの国に入国してみたのです。でも、足を踏み入れた途端、『ここからは違う国です、法律も違います』と言われたような戸惑いの連続でした。入国前は『着物は難しくないわよ』とあんなに優しげだった人たちが、急に〈格〉と呼ばれる階級ルールがどうとか、マウンティングが始まる国なのです!」
大の犬好きで落語好きな彼女は、まずは犬の散歩や犬連れで行く近所の居酒屋、そして落語会に着物で行くことを目標に、「Yahoo!知恵袋」に相談事を書き込むなど、ネットもフル活用。また着付けを習うに際しては、フリーランスの身のため曜日固定型の教室より、〈ギュギュッと濃縮時間の個人レッスン〉が合うと判断し、下北沢「着縁」のオーナー、小田嶋舞氏の門を叩く。そして衿元の扱いや、似合う着物選びは〈粋VSはんなり〉が鍵を握ることなど着々と見識を付け、開眼していけたのは、人選の力もあろう。
ライフスタイルに着物を組み入れる
「ノンフィクションの取材手法に則りつつ、『粋の対義語は、はんなりなのか!』と驚くなど、着物の素人としての軸は最後まで失わないよう心掛けました。そして犬と暮らし、物を書いている自分の軸も、着物を理由にブレさせたくなかった。なので犬の散歩もすれば焼き鳥屋にも行く今のライフスタイルに、着物の方を組み入れたかったのです」
となると選ぶのは麻やポリエステルなどの〈洗える着物〉。初めて買った〈アイボリーの地に黒の縦縞、両肩から袖にかけて巨大な朱色のアネモネが描かれた〉夏物のポリエステル着物は“粋”系の彼女によく似合った。そしてとかくスルーされがちな〈トイレ問題〉にも果敢に切り込むなど、〈手っ取り早く着慣れたい〉という欲望に清々しいほど素直な片野氏なのだ。
だが問題は
「最高の殺し文句ですよね。せっかく着物姿で町に出た人が不安で怖い思いをするなんて哀しすぎます。自分と相手の常識が違うというだけで人を攻撃するなど、そういう事態はなくしたい。
でも着物警察を疎ましいと思いつつ無視できないのは、たぶん
実は平安、室町といった時代にまで歴史を遡ると、なんとも自由な着物文化が花開いており、色遣いからして豊穣なその系譜にこそ、連なりたいと片野氏は言う。
「今回調べてみて痛感したのは、日本人はとんでもなくオシャレだったということ。そして何をどう着るかも含め、何事も決定権は歴史でも伝統でもなく、自分にあるということ。格を重んじたい人のことまで否定するつもりはありません。そうやってそれぞれのオシャレを自由に楽しむことが、実は最も歴史や伝統に適っている気が私はするので」
片野氏にとって着物とは、「非日常を、手っ取り早く楽しめるアイテムの一つ」。そんな定義の自在性もまた、彼女の凛とした背筋の一部なのだ。
●構成/橋本紀子
●撮影/藤岡雅樹
(週刊ポスト 2020年11.6/13号より)
初出:P+D MAGAZINE(2020/11/29)