【著者インタビュー】浅田次郎『母の待つ里』/架空のふるさとを求める都会人と、それを受け入れる過疎化した山里の人たちを描く心優しい物語
家庭も故郷もない3人の男女が「ふるさと」で待つ見知らぬ「母」に再会して――奇想天外にして懐かしい感動作『母の待つ里』についてインタビュー!
【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】
「人間の幸福って自然とともにあると、この頃になって気づいた」
『母の待つ里』
新潮社 1760円
《母の待つ里の駅頭に立って、松永徹は錦に彩られた山々や、円く展かれた空を見渡した。/透き通った風を胸一杯に吸いこみ、都会の塵を吐き出した。ゴルフ場の空気とは明らかにちがう天然の味がした》。本書はこんな一文で始まる。松永徹は大手食品会社の社長。忙しい合間を縫って1泊2日の休みを取り、上京以来、四十数年ぶりに東北にある「ふるさと」の駅に降り立つ。家で待っていたのは「ちよ」さん86歳。親不孝を責めず、逆に東京で立派に出世した松永を褒めそやすその人は、クレジットカードの「ユナイテッド・ホームタウン・サービス」を利用して、初めて会う「母」だった―後半生に差し掛かり、来し方行く末を思い悩む3人の「息子」「娘」は、「母」との時間に何を見出すのか。自らの故郷や親、失ってきたもの、これからの生き方、生きる場所について考えずにいられない新たなる名作。
浅田次郎
(あさだ・じろう)1951年東京生まれ。’95年『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、’97年『鉄道員』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、’06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞、’08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、’10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、’16年『帰郷』で大佛次郎賞を受賞。近著に『大名倒産』『流人道中記』など。第16代日本ペンクラブ会長を務めた。
松竹梅とあったら松じゃなきゃ嫌なタイプ
初老の男が、鉄道とバスを乗り継ぎ東北のひなびた村にやってくる。そこでは年老いた母が、「けえってきたが」と待っていた。
『母の待つ里』は、「親も故郷も捨てた男の、四十数年ぶりの里帰り」から始まるのだが、懐かしいはずの男の記憶は一向に戻ってこない。それもそのはず、この「帰郷」は、カード会社が1泊50万円で提供する有料サービスの一環だからだ。
ふるさとを求める都会人と、老人ばかりが暮らす過疎の村。両者の利害と思惑が合致した、現実にはありえないけど、ひょっとしたらあってもおかしくないと思わせる絶妙な設定は、いったいどこから生まれたのだろう。
「ブラックカードです。ぼくは、松竹梅とあったら松じゃなきゃ嫌な性格で、破格となるとなおさら飛びつくんです。ある時、破格の黒いカードの案内が来たんですぐ契約したら、12月に35万円も引き落とされていて。びっくりしてカード会社に電話したら『年会費です』って言うじゃないですか。『さようですか』って平静を装いましたけど、35万ですよ? そこで調べてみたら、『プライベートジェットのご用命はこちら』とか『高級ブランドの閉店後の買い物はこちら』とかありえない特典ばかりで、だったら1泊50万で『ふるさとを、あなたへ』って特典があってもいいんじゃないの?と思いついたんです」
60歳を過ぎて、社会的には成功しているが、それなりに苦労も背負い、ふるさとを渇望する人物として造型されたのが、松永徹、室田精一、古賀夏生の男女3人だ。
徹は創業120年の食品会社社長、精一は製薬会社を退職するとともに妻に去られ、夏生は医者で、この先の人生をどうしようかと考えている。3人ともに、実の母親はすでにこの世にない。
鉢合わせすることのないよう、事前予約して一人ずつ訪れる彼らを「わが子」として曲がり
舞台に選んだ岩手は、浅田さんにとってなじみ深い場所だ。
「『壬生義士伝』を書いて以来です。岩手の方言を勉強したので、もったいないから使わないと(笑い)。これまでも何度か小説の舞台にしていますけど、今回は、花巻弁と盛岡弁、遠野弁をミックスして、それらしく聞こえる、どこの言葉と特定されない言葉をつくりました。ちよが語る昔話の部分は、『遠野物語』の音源を参考にして遠野弁で書いています」
年をとると食が細くなると言うけど、あれは嘘
東京生まれ、東京育ちの浅田さん自身も、小説の登場人物たちと同じく、ふるさとと呼べる場所がないと言う。
「こんにちまで東京の中で転居すること18回の東京漂流民です。ぼくと同じ境遇のおじさん、おばさんは、結構多いんじゃないですか。若いうちは、都会生活の魅力にばかり目が行くけど、年をとるにつれ、風景の美しさや、四季の移り変わりの見事さに気づくんです。この頃は、神宮外苑の銀杏並木が自然だとありがたがっている、都会育ちの自分がかわいそうな感じすらします。人間の幸福って自然とともにあることなのにね」
作家のそんな思いを投影するかのように、山里の、四季折々の自然描写が美しい。
雑誌連載が始まったのは2020年のはじめで、ラッキーだったことに、取材はコロナ禍の前にすべて終わっていたそうだ。
ちよがつくる料理が、とびきりおいしそう。郷土料理の団子汁の「ひっつみ」や、タラノメとコシアブラの天ぷら、前沢牛や白金豚を焼いて塩コショウしたもの。地元の食材を活かした、本当の豊かさを感じさせる品々は、登場人物でなくても胃袋をつかまれそうだ。
「腹が減ってないとおいしいものは書けないから、食事の場面を書くときは決まってお昼抜きです。年をとると食が細くなるとよく言うけど、あれは嘘で、老人が謙虚を装っているだけだと思う。ほかの欲が消えても食欲は残るから、今のぼくなんか欲望の9割がたが食欲です」
「母」であるちよのキャラクターも魅力的だ。小説という虚構の中の、カード会社の計画の中で「母」を演じているのに、登場人物たちに「嘘がない」と感じさせる。控えめながら、存在感が際立つ。
「キャラクターについてはとことん想像します。小説を書きながら、ぼーっとしていることが多いのは、キャラクターと対話しているから。風呂屋によく行くんだけど、風呂に入っているあいだも、ちよさんや室田君たちと一緒にいて、彼らのことを考えていますね。
実在の人物だと思うあまり、新宿の地下道で人とすれ違って、『あれ誰だっけ?』と思って、自分の小説の登場人物に似た人だったと、後で気づくこともあります」
架空であってもふるさとを求める都会人と、そうした設定を受け入れざるをえない過疎化した山里の人たちとの心優しい物語は今、私たちが生きている社会はこのままでよいのか考えさせもする。
「明治維新の大命題っていうのが近代国家をつくるための中央集権化でした。以後、ぼくらは150年続く歴史の流れの中に生きていて、中央集権化に少子高齢化が重なって、地方の過疎化が進むのは自明のことなんです。それなのに、この間、有効な手立てを何も打ってこなかった。地方が消滅するというのは、第一次産業が消滅するということだから、国家の生産能力がなくなるという基本的な問題なのに、なかなか顧みられない。かなり深刻で憂慮すべき状況なんですけどね」
SEVEN’S Question SP
Q1 最近読んで面白かった本は?
大木毅さんの『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』。軍事オタクの自分が読んで面白いあの本が10万部以上売れたっていうのが不思議で、読者は鼻が利くんだなと思いましたね。
Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
頼まれもしないのにわざわざ本屋で買って読んでる作家、何人もいますよ。差し支えがあるので、ここで名前は言いませんが。
Q3 いつも見ているテレビ番組は?
テレビの開局とともに巣立ったテレビ少年のまんまだから今も1日6時間は見ますよ。朝ドラ2本立てで見て、テレ朝の「モーニングショー」を見て。夜は午後6時から10時、11時まで。ドラマは文句言いながら見るんだけど、医療ものでは「ドクターX」、刑事ものなら「アバランチ」はよくできてましたね。「相棒」もずっと見てます。テレビを見なくなると、社会性をなくしてしまうような気もしてね。
Q4 最近気になるニュースは?
昨年末に、歌舞伎町のホテルから男の子が突き落とされて、無理心中を図った母親が死にきれず逮捕された事件。小さい女の子が1人残って。あの事件が胸に残ってどうにもやりきれない。
Q5 最近ハマっていることは?
青銅器の金文を読むこと。コロナ禍で読書の時間が増えて、書庫にあった殷代の青銅器関係の本を読み始めたら、ハマりましたね。読みつくして、神田神保町にまた別のを買いに行って読むうちに『蒼穹の昴』シリーズの最終巻に使ってやろうと思いつきまして。時代も場所も関係ないけど何か方法はあるはずなんだよ。楽しみにしていてください。
Q6 何か運動はしていますか?
中国オタクでもある私が信奉している中国医学では、体はできるだけ動かさない方がいい。なるべく散歩もせず、万歩計は1日500歩以内に抑えてストレッチだけ充分にしています。
●取材・構成/佐久間文子
●撮影/政川慎治
(女性セブン 2022年2.17/24号より)
初出:P+D MAGAZINE(2022/03/23)