福岡伸一のおすすめ作品4選 コロナ禍の今こそ知りたい生命の神秘

『生物と無生物のあいだ』が、生物学の新書としては空前のベストセラーになった福岡伸一は、生物学的観点から社会を見たエッセイで人気を得ているほか、新型コロナウイルスに関するコメントも発表しています。そんな彼が執筆した、生命の不思議に迫るおすすめの4冊を紹介します。

『新版 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』――絶え間なく入れ替わりながらも全体としてバランスを保っている生命の仕組みとは?


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4098253011/

著者の生命論を知るうえでキーワードとなる「動的平衡」。著者は、以下のように定義します。

生物にとって食べ物とは、自動車にとってガソリンと同じ、つまりエネルギー源だと考えられていた。しかし実はそうではない。私たちが毎日、たんぱく質を食物として摂取しなければならないのは、自身の身体を日々、作り直すためである。私たちの消化管の細胞はたった二、三日で作り変えられている。一年も経つと、昨年、私を形作っていた物質はほとんどが入れ替えられ、現在の私は物質的に別人となっているのだ。間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。それが動的平衡である。化学合成された薬品はいっとき身体の一部に劇的な作用を示すが、まもなく身体はその揺れを戻して作用を無効にしようとする。生命現象は動的平衡なのだから。

こうした観点に基づき、巷で流行っているコラーゲン食品や化粧品の空虚さから、効果的なダイエット法、食品添加物の危険性などについて、分かりやすく解説します。
また、動的平衡の理論では、皮膚は常に更新され続けているものであるのに、アンチエイジングを謳って、肌のシワを伸ばそうとすることに、著者は懐疑的です。

私たちにできることはごく限られている。生命現象がその本来の仕組みを滞りなく発揮できるように、十分な栄養を摂り、サスティナビリティを阻害する人為的な因子やストレスを避けることである。つまり「普通」でいることが一番であり、私たちは自らの身体を動的平衡にゆだねるしかない

 現代人の行き過ぎた健康志向や若返り志向が、もしかしたら不毛な努力であることに気づかされるかもしれない一冊です。

『センス・オブ・ワンダーを探して 生命のささやきに耳を澄ます』――幼い頃に自然に感激する体験の尊さを説く


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4479306552/

「センス・オブ・ワンダー」とは、子どもの頃、誰もが持っていた自然に驚き感動する心、自然の神秘さに目をみはる感性のことだそう。著者の幼少期の体験を、聞き手の名手・阿川佐和子が引き出します。

福岡:学校で先生に何か言われたとかイジメられたとかトゲのようなものはいっぱいあったし、傷ついたこともたくさんありましたよ。だけど、そういうときでも、ルリボシカミキリの青を見て「ああ、こんな青さがあるんだ。この青さの価値をわかっているのは僕だけだな」と思えばすべてを水に流せたんです。
阿川:そういう伸ちゃんにご両親はどう対応してらしたんですか。
福岡:母は虫をそんなに好きじゃなかったと思うけど、「捨ててきなさい」とか「こんなものが家にいたら汚いから」とは一切言わなかった。だから、理解者だったのかもしれないですね。父は、朝早くから夜遅くまで仕事に行っていたし、虫なんかに興味もなかったんです。だから、父との葛藤はほとんどなかったです。
阿川:静かに一人で考えられる環境があったんですね

 この他にも、小学生のとき、自分が採集した虫を新種だと早合点して、国立科学博物館に持ち込んだとき親身に対応してもらったこと、動物の言葉が解せる獣医の活躍を描いたヒュー・ロフティング作の児童書『ドリトル先生』シリーズや、地球上に生命が生まれてから今までの変遷を記したバージニア・リー・バートン作の絵本『せいめいのれきし』を愛読したエピソードが披瀝ひれきされます。著者は、

子どものときのある種の体験が、それはとりたてて何でもないような日常の一瞬であったとしても、その人に決定的な影響を与え、その後、その人をずっと支え続けていく

と語っています。著者を生物学者へと導いた「センス・オブ・ワンダー」を伺い知れると同時に、話題は、抗生物質多用への疑義、花粉症の薬の服用で花粉症がひどくなるメカニズム、手洗い・うがいのしすぎが人体に及ぼす悪影響から、村上春樹著『1Q84』を遺伝子学の視座で読み解く試みまで多岐にわたっているので、きっと興味の持てるトピックスが見つかるはずです。

『せいめいのはなし』――生物学と文学の深遠なつながりを探す、作家らとの対談集


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101262314/

幼少期から本好きで、文学への理解も深い著者が、芥川賞作家・川上弘美、朝吹真理子らと自由闊達に意見を交わした対話集です。
朝吹真理子との対談では、小説を書くとき、最初にプロットを考えてから書き始めるか否かということに話題が及びます。福岡は、

朝吹さんは「数珠つなぎのように、前の一行が次の一行を支える形で進んで、一文字先がわからない状態のまま書いていく」とおっしゃっていました。この方法は、生命のあり方とそっくりです。生命は、事後的に見れば、きちんと設計されていたように見えます。みごとなまでにきちんと機能が分担されている様を見れば、どこかにデザイナーがいるようにも見える。しかし、細胞は、一個の受精卵が二つに分かれて、細胞同士がちょっとずつ相互に補完しあい、関係しあいながら、分化を進めて行きます。細胞一つ一つは全体のマップを持っていないのに、関係し合いながら、つながりながら、全体としてはある秩序を作れてしまうことが生命現象の最大の特性なんです

と指摘します。これに対して、朝吹は、

細胞が周囲とのつながりで人体の形にまとまっていく生命現象と似た作品を作ったのは、フランスのシュヴァル。彼は毎日、郵便配達の行き帰りに石を拾って、ランダムに積み上げながら、庭先に巨大な建築物を完成しました。本当に偶然選んだ石で、即興的にお城を建て始めたのですが、同時にものすごく細やかな完成予想図を引いており、しかもそれが日によって変動してゆきます。シュヴァルの方法こそが、自分にとって理想的な小説の書き方だと思います。小説をもっと、生命体のように増殖するように書いてみたい。一文字が他の文字と呼応して、年輪のようにぱっと広がるようなものこそ、人間が本当に想像している生ものと近いんじゃないでしょうか

と応えています。この他にも、将棋における棋士の記憶力の謎から、自然現象に潜むフラクタル図形、人間の脳にもともと備わった、ある事実をあらかじめバイアスがかかった情報として認識してしまう悪癖など、2人の話題は尽きることがないようです。文学においても理系の緻密な分析力・構成力は必要で、反対に、理系においても文学的な想像力は必要だと語る両氏。文系と理系の懸け橋となるような一冊です。

『コロナと向き合う 私たちはどう生きるか』――ウイルスは人間の一部だった。目から鱗の生命観


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4829209402/

新型コロナウイルスの蔓延で、悪者扱いされているウイルス。ウイルスの正体から、正しい対処法まで一般向けにやさしく解説します。

そもそもウイルスとは何者でしょうか。それ自体は呼吸も代謝もしていません。私の生命観からいうと「動的平衡」の状態にないので生命体とはいえません。では一体何なのか。それは生命体の欠片です。ウイルスは元々、私たち高等生物のゲノムの一部でした。それがたまたま外へ飛び出したものです。それが環境をさまよううちに変化し、また戻ってきて、悪さをしているのがウイルスです。ウイルスは生命の環の一部であり、自然の一員です。つまり、ウイルスの起源は私たち自らにあるので、これに打ち勝ったり、撲滅したりすることはできないのです。それは無益な闘いです。むしろ、長い進化の過程では、ウイルスは遺伝子を、ある種からある種に水平に運ぶという有益なこともしていました。その中のごく一部が病気をもたらすわけです。病原ウイルスも、長い目で見ると、人間に免疫を与えたり、人口を調整したりしてきました。ウイルスと宿主は共に進化し合う関係にあるのです

 解剖学者の養老孟司は、ウイルスについて、「コンピュータが出来たからコンピュータウイルスも同時に出来た。コンピュータウイルスだけでは存在しない」(養老孟司 公式YouTubeチャンネル「新型コロナウイルスとワクチンの話」より)と、身近なものをたとえに説明していますが、人間がいる以上、ウイルスの存在もまた必然だということが分かります。

人間は過去、さまざまな感染症の試練を受けつつも、何とか生き延びてきました。今回のコロナ禍に関しても、ウイルスと、その宿主であるヒトのあいだに、ある種の均衡が形成され、「新型」はやがて「常在型」となり、インフルエンザと同様、重症化すればリスクはあるものの、そのリスクを受容しつつ、大半のケースでは軽度の症状をもたらすだけの風邪ウイルスのひとつとして認識され、ヒト・ウイルスの共生関係が形成されていくだろう

と予測しながら、

いったいどうすればよいでしょうか。一言でいえば、「正しく畏れる」ということに
尽きるのではないか、と私は思っています。自然に対する畏敬の念を持つべきであるということです

と主張します。著者はギリシャ哲学の用語「ピュシス」(生と死、病、生理、性と生殖、排泄など、ありのままの自然のこと)と、その対立概念である「ロゴス」(人間の脳が作り出したフィクション、論理や言葉のこと)を引き合いに出し、

ピュシスとしての生命を、すべてロゴスで管理することはできません。ロゴス推進の道をとどめることはできませんが、一方で、ピュシスを大切にする精神も尊重されるべきだと思います。そこにはある意味の諦観と、死の受容が含まれます。ヒトはピュシスから逃れられないということを再認識することが、ポストコロナの生命哲学となると確信しています

と結んでいます。文明の発達によって、自然を支配できると錯覚してきた人間。けれど、今回のコロナ禍で、それは人間の思い上がりだということと、ままならない自然へひざまずく心の大切さを教えてくれる一冊です。

おわりに

福岡伸一の著書は、理系の本にありがちな無味乾燥な文章とは一線を画す、上質で文学的な文章が人気の秘訣のようです。文系理系を問わず、読者の知的好奇心を刺激する読み物として楽しめます。

初出:P+D MAGAZINE(2021/09/17)

◎編集者コラム◎ 『ムショぼけ』沖田臥竜
下村敦史『アルテミスの涙』