【ヤクザ×ピアノ、精神科医×占い……】書き手の“ギャップ”がすごすぎるエッセイ

エッセイ作品の中にはときどき、「えっ、この著者がそんなことを!?」と思わず驚いてしまうような“ギャップ”を感じさせる体験記があります。今回は、ヤクザ専門のルポライターがピアノにチャンレンジしたエッセイや精神科医が占いにハマった日々について綴ったエッセイなど、“ギャップがすごい”作品を3作ご紹介します。

書店に並んだ本を眺めていて、「えっ、この作者がこんなことを書いたの?」と思わず二度見してしまうようなタイトルの書籍に出会ったことはないでしょうか。

著名な書き手が意外すぎるテーマに挑んだ作品や、普通に暮らしているとなかなか知ることのできない領域について、まったく違う分野の専門家が体当たりで取材をしてみた作品など、エッセイにおける“ギャップ”はときに、作品の大きな魅力につながります

今回はそんな書き手の“ギャップ”に着目し、とっておきの「書き手のギャップがすごすぎるエッセイ」を3作品ご紹介します。

『ヤクザときどきピアノ』(鈴木智彦)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4484202077

『ヤクザときどきピアノ』は、潜入ルポで知られるライター・鈴木智彦によるエッセイ。鈴木は過去にヤクザ専門誌の編集者を務め、現在はフリーランスとして暴力団関連のルポを執筆しているという異色のキャリアの持ち主です。

あるとき、彼は校了明けの開放感でライターズ・ハイになりながら観た映画、『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』で、ABBAの曲の旋律に心を奪われ、劇場で号泣してしまうという経験をします。

正直、たわいない内容で、凝ったストーリー展開も、目を見張るようなアクションも、どんでん返しもない。親子の情という泣きの旋律を刺激されても、この程度で涙を流せるほどウブでもない。普段、暴力団というアクの強い題材を取材しているのだ。正常位ではイケない。
ところがABBAのスマッシュ・ヒットである『ダンシング・クイーン』が流れた時、ふいに涙が出た──。
というより、涙腺が故障したのかと思うほど涙が溢れて止まらない。

雷に打たれるように、“ピアノでこの曲を弾きたい”と感じた鈴木。当時52歳の彼にピアノの経験は一切なく、楽譜さえ読めなかったものの、ピアノ教室に「ダンシング・クイーンが弾きたいんです」と片っ端から電話をかけます。ほとんどのピアノ教師が相手にしてくれなかった中、鈴木が運命的に出会ったのは、レイコ先生という若い女性でした。

挨拶を交わし、早速、一の太刀を振り下ろす。
「『ダンシング・クイーン』を弾けますか?」
「練習すれば、弾けない曲などありません」
レイコ先生は『エースをねらえ!』のお蝶夫人のように威風堂々と、完璧にレシーブした。

レイコ先生のハキハキとした対応と柔軟さ、音楽に対する美学に感激した鈴木は、レイコ先生の教室でレッスンを受けることに。1年後のピアノ発表会で『ダンシング・クイーン』を披露するという目標を定め、鈴木の奮闘が始まります。

レッスンの教室に入る際、防音設備があるためきちんとドアを閉めなければいけないにも関わらず、ヤクザへの長年の取材の癖でつい扉をすこし開けたままにしてしまう──など、鈴木のユニークな思考やふるまいは間違いなく本書の大きな魅力。しかし同時に、ピアノ教師であるレイコ先生も、鈴木と同じくらいパンチのきいたキャラクターなのです。

実際、普段の取材相手のように、「殺されたオヤジの葬式に出席し、焼き場で骨を齧って報復を誓った」とは言わないまでも、「音大生時代、コンクールで勝ちたかったけど、ワンルームで狭いのでグランド・ピアノの上にベッドを組んで寝ていた」といったセリフがどんどん飛び出し圧倒される。言葉の背後には血と汗と涙と、ぶっちぎりの叩き上げ感が滲んでいる。

ヤクザもののルポライターとピアノ教師というまったく違ったフィールドに立つふたりが、互いの仕事をリスペクトし、音楽を心の底から楽しもうとしながらレッスンに励んでいく様子はとても感動的。年齢やキャリアを理由にせず、新しいことを始めるための勇気が湧いてくるような1冊です。

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(花田菜々子)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4309417310/

『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』は、書店員の花田菜々子によるエッセイです。2018年に発表された本書は、インターネットを中心に大きな話題を呼びました。

2013年、書店員で店長をしていた著者は、結婚生活が破綻しかけ新たなことを始めてみたいと感じたことをきっかけに、「知らない人と30分だけ会って、話してみる」というサービスを提供している奇妙な出会い系サイト「X」に登録します。彼女はそこで、書店員としての知識を活かし、「X」を通して出会った人たちに本をすすめるという活動を始めるのです。

初めて出会った人は、土屋さんと名乗る男性。セクハラじみた提案をしてきたことには憤慨しつつも、著者は30分の会話を通じて相手の性格を分析し、こんなふうに本をすすめます。

おじさん特有のねっとり感には正直辟易したが、仕事の話をするときはセンシティブで、繊細に話している面も感じられた。それから、性格や職業からしても、古典的なものよりは今っぽいものの方が好きそうな感じもする。
おすすめする本は、つい最近自分が読んで大いに「すごい人が現れたな」と感じた樋口毅宏にしよう。初めて読んだとき、まったく新しい言葉と世界観の持ち主だと感じて心がざわめいた。広告の仕事をしているくらいだから、突如現れたこの才能をまだ知らないのであればぜひ読んでみてほしいと思った。『さらば雑司ヶ谷』でもいいけど、何しろセックスが好きみたいだから、タイトルにセックスって入ってる『日本のセックス』なら読もうとしてくれるかもしれない。

会話から感じた相手の性格や好きなもの、本に苦手意識がありそうな人でも手にとることができそうなキャッチーさ……、といったさまざまな要素をブレンドし、著者は出会った人ひとりひとりに本をすすめまくっていきます

本書を読み進めるうちに、これが単なる「変わった書店員の体験を綴ったおもしろエッセイ」ではなく、本というコミュニケーションを通じ、著者が自分の殻を脱ぎ捨て、新しい人生を歩み始めるまでの記録であることに気づかされるはずです。ベテランの書店員がすすめる素晴らしい本を多数知ることができるのも、本書の読みどころのひとつです。

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『鬱屈精神科医、占いにすがる』(春日武彦)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4778314956/

『鬱屈精神科医、占いにすがる』は、慢性的な憂鬱感に悩まされていた精神科医の春日武彦が、タイトルのとおり「占い」にすがってみた日々の記録を綴ったエッセイです。

精神科医として長いキャリアを持ち、これまで執筆業や講演、イベントへの出演なども多数こなしてきた春日。一見とても華々しい経歴に思えますが、彼はそれを「精神科医枠」を利用してきたに過ぎない、と自己分析します。

精神科医であることを、わたしはフルに利用してきた。言論でも文学でもマスコミでも、漠然とながら、「精神科医枠」といったものが用意されているように感ずる。狂気をも射程に収めた人間心理のオーソリティーという役割が求められているのだろう。(中略)精神科医であるということだけで優遇されるのは事実である。

60歳を過ぎて臨床の仕事を縮小したこともあり、自分には“一臨床医として慕われ親しまれつつ地域医療に貢献する”ような地道さも欠けているし、かといって研究者でもなければトリックスターのような華があるわけでもない、ただ自意識過剰なところが鼻につく──と春日。

そんな漠然としたやりきれなさを抱えていた彼がたどり着いたのが、「いかがわしげな存在」にあえて対峙すること──つまり、占い師にすがるという道だったのです。

自暴自棄気味であったわたしは、あえて占い師にすがることで神へ「お前なんか、占い師と対等な存在に過ぎないんだ」と中指を突き立ててやりたい気持ちがあったのだ。

春日は本書のなかで、5人の占い師をたずねて回り、それぞれの言葉を苦々しげに聞き入れつつ、同時に自分の“鬱屈”の原因を探ろうとしていきます。占い師たちをときに「ただの素人カウンセラー」、「当たって当然のシステム」とけなしつつも、彼らからかけられた言葉を咀嚼し、これまでの経験や精神医学の知識を織り交ぜつつ、自己が抱いている問題を紐解いていこうとする春日の姿勢は切実そのものです。

“口先は達者だし、あざといところもある”、“わたしの最近の気分は「子どもでなくなってしまった」元・子役に似ている”など、たびたび挿入される春日の自己分析はひやっとするほど辛辣ですが、「そこまで言わなくても……」と笑ってしまうようなユーモアも感じさせます。理路整然と自分を分析しつつも、ときに占い師の前で嗚咽を漏らしてしまうなど、ちょっと面倒臭そうだけれど憎めない著者のパーソナリティが見え隠れするのが本書の大きな魅力です。

おわりに

ヤクザ専門のルポライターが『ダンシング・クイーン』に挑んだり、心の領域の専門家である精神科医が占いにすがったり──と、今回ご紹介したエッセイはどれも「この人がそんなことを!?」と驚いてしまうような作品だったと思います。

しかしどの作品も決して、そのギャップだけが面白いわけではありません。意外な分野との出会いを通じた著者の考え方や人生そのもののダイナミックな変化が、今回ご紹介した3作品の最大の読みどころです。未知の組み合わせが生む感動的な化学反応の数々を、ぜひ実際に本を手にとって味わってみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2020/10/16)

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