【2022年本屋大賞全作レビュー】逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』の魅力

2022年本屋大賞は、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』が受賞しました! 大賞受賞作の読みどころはもちろん、惜しくも大賞を逃した候補作を含むノミネート作全10作品のあらすじとレビューをお届けします。

4月6日に発表される、2022年本屋大賞。今年も例年と同じく、2020年12月1日から2021年11月30日までの間に刊行された日本の小説を対象に、全国の書店員が「面白かった」と感じた本の上位10作品の中から投票がおこなわれ、大賞が選ばれます。

今回は、2022年本屋大賞の全ノミネート作のあらすじ付きレビュー、そして受賞予想をお届けします!

1.『スモールワールズ』(一穂ミチ)


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『スモールワールズ』は、一穂ミチによる連作短編集です。一穂ミチはBL(ボーイズラブ)作品のフィールドで長年活躍してきた作家で、これまでに『イエスかノーか半分か』『雪よ林檎の香のごとく』といったBL作品で支持を集めてきました。2021年に、一般文芸作品としては初の単行本『スモールワールズ』を刊行し、本書で第165回直木賞・第12回山田風太郎賞候補入りを果たしています。

本書は、『ネオンテトラ』『魔王の帰還』『ピクニック』『花うた』『愛を適量』『式日』という6つの短編作品で構成されています。1作目の『ネオンテトラ』は、夫の不倫に気づきながらも、妊娠して子どもを持つことを熱望している30代のファッションモデル・美和を主人公にした物語です。

美和はなかなか子どもに恵まれないことに悩んでおり、“いつか子どもができた日のために”と空けておいたマンションの子ども用の部屋の片隅で、観賞魚のネオンテトラを飼育しています。ライトアップされたネオンテトラを眺めることを日課にしていた美和は、ある日マンションの窓越しに、向かいの住宅で中学生くらいの少年が大人に叱られているのを偶然目撃してしまいます。

その勢いの異様さに虐待を疑った美和は、少年が姪の有紗と同じ学校の制服を着ていたことを手がかりに、彼が笙一という名前であること、複雑な家庭環境ゆえに、放課後はしばらくコンビニで時間を潰してから帰宅していることを知ります。美和はある日、コンビニで見かけた笙一に思わず声をかけ、ホットスナックをごちそうします。それをきっかけに、美和と笙一のささやかで奇妙な交流が始まるのです。

妊活がうまくいかないことやモデルの仕事が減ってきていることに焦る美和の姿には、30代女性の抱える不安がとてもリアルに反映されています。

わたしは「働くママ」として家庭との両立をアピールできないし、美容や料理に関する資格があるわけでもない。身長や容姿など「持っていて当たり前」の世界でプラスαの武器がない人間は先細っていく一方だ。脳裏に「自然淘汰」の四文字が浮かび、淘汰されていく人間が淘汰から隔離された水槽を愛でるというこっけいさに恥ずかしさとも腹立たしさともつかない感情がこみ上げてきて思わずキャビネットに額をぶつけた。

一穂ミチはこのように、日常のなかのドラマティックなワンシーンを切り取りながら、不安や嫉妬、焦りといった、綺麗事だけではない人の感情の機微を巧みに描く作家です。本書に収録されている6つの短編はどれもまったく違う場所を舞台にした物語ですが、各話に張られた緻密で美しい伏線も見逃せません。1話1話が短編映画のように完成された、芸術的な作品集です。

2.『黒牢城』(米澤穂信)


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『黒牢城』は、米澤穂信よねざわほのぶによる長編ミステリ小説です。米澤は『氷菓』『満願』『王とサーカス』といったミステリ作品で絶大な支持を集め続けてきたベテラン作家ですが、『黒牢城』は第166回直木賞・第12回山田風太郎賞を受賞したほか、「ミステリが読みたい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」でそれぞれ国内部門1位となり、史上初となる4大ミステリランキングの完全制覇作品として大いに話題を呼びました。本書は、そのあまりの栄冠の多さにハードルを上げて読み始めても、期待を裏切らないようなおもしろさと求心力を持った1冊です。

本書の舞台は、応仁の乱から100年が経ち、本能寺の変まで4年に迫った天正6年の冬。織田信長ら織田家に謀反し、摂津国の有岡城に立てこもった荒木村重が物語の主人公です。

有岡城の最奥にそびえる天守から、往来を見下ろす男がいる。
あたかも巌のごとく、体の大きな男だ。顔は浅黒く焼け、細く落ち窪んだ目はどこか眠たげで、人が見れば鈍根とも思うだろう。だがかれはひとたび戦場に立てば火を噴くように烈しく戦い、重い口を開けば諸人を説き伏せ、要に応じて奸計をめぐらせる乱世の武士であった。年は四十半ば。有岡城の主にして、織田家から摂津一職支配を許された一世の雄、荒木摂津守村重である。

籠城する荒木のもとを訪れ、「この戦に勝ち目はない」と告げた人物がいます。それこそが本書のもうひとりの重要な登場人物、軍師・黒田官兵衛です。

やはり──と、村重は思う。
官兵衛は、ただの良将に納まる器ではない。弓馬に長けた将も、戦上手の将も、村の成り立ちを整えることに長けた将も、この世には多い。だが官兵衛の能はそれだけではない。官兵衛は大局を見ることが出来る。大局を見て、急所を一突きにすることが出来る。こうした者は、そうはいない。そして厄介なことに、官兵衛自身、おのれが知恵ある者だということを知っている。

荒木は“厄介”な存在である官兵衛を、戦が終わるまでという条件付きで、有岡城の地下の土牢に幽閉することを決めます。

そのころ有岡城の城内では、雪の降る晩に、見張りに囲まれた納戸の中で人が殺されるという密室殺人事件が起きていました。犯行に使われたであろう弓矢は発見されておらず、見張りの者は誰も犯人を見ていないと言います。この不可解な事件に頭を悩ませた荒木は、事件の謎解きを官兵衛に依頼します。官兵衛は見事、安楽椅子探偵として、土牢にいながらにしてこの難事件を解決してしまうのです。

犯人は誰で、どうやって証拠を残さずに納戸の中の人物を殺したのか。そして、なぜ敵であるはずの官兵衛は、荒木の依頼した謎解きに協力するのか──。謎はすべて、鮮やかかつ予想もしない形で解き明かされていきます。重厚な歴史小説としての読み応えと良質なミステリとしての面白さ、双方を味わうことのできる傑作です。

3.『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成)


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『六人の嘘つきな大学生』は、『教室が、ひとりになるまで』などの代表作を持つミステリ作家・浅倉秋成による長編小説です。

舞台は、スピラリンクスという成長著しいIT大手企業。2011年、スピラリンクスの新卒採用の最終選考に残された6人は、全員が飛び抜けて優秀かつ、違った個性を持った大学生でした。物語は、その6人のうちのひとり、波多野祥吾の回想という形で進みます。

最終選考ではグループディスカッションをおこない、その内容によっては6人全員を採用する──。スピラリンクスの人事担当にそう告げられた6人は、選考の本番までに最高のチームをつくり、6人全員で必ず内定を勝ち取ろう、と誓い合います。しかし選考を間近にひかえたある日、6人の携帯電話にスピラリンクスからこんなメッセージが送られてきます。

この度は、四月二十七日(水)に予定しておりました、グループディスカッション(最終選考)について、選考方法を変更することになりましたのでご連絡いたします。
先月十一日に発生いたしました東日本大震災による被害、当社の運営状況を鑑みた結果、残念ながら今年度の採用枠は「一つ」にすべきという判断が下りました。これに伴い、当日のグループディスカッションの議題は「六人の中で誰が最も内定に相応しいか」を議論していただく、というものに変更させていただきます。そして議論の中で選出された一名に、当社としても正式に内定を出したいと考えています。

突然のルール変更に呆然とする6人。選考当日、全員がライバルになってしまった状況でもなお、6人は平静を保ち、スピラリンクスの言う“最も内定に相応しい”学生を選出しようと穏やかに話し合いを進めていきます。しかしディスカッションの途中で、面接室に不自然に置かれていた6通の封筒が話題に上り、1人が迷いつつも自分用と書かれた封筒を開封してみると、中には6人の学生のうちのひとり・袴田亮が、高校の野球部の後輩をいじめで自殺に追い込んだ過去があるという“告発文”が入っていました。さらに、その告発文の下に書かれた文言によって、他の学生の過去の“罪”に関する告発文もそれぞれ1通ずつ、自分以外の人物が持っているであろうことがわかります。

袴田がその告発を“デマだ”と言い切らなかったことで、選考の空気は一変。他の封筒も開封したほうがフェアではないか、そんなことをするのは倫理に反するのではないか、内定の可能性を蹴ってでも、ディスカッションを中止して部屋から出ていくべきなのではないか──。全員が疑心暗鬼になりさまざまな議論が巻き起こりますが、封筒は結局、1通ずつ開封され、そのたびに6人の学生の“裏の顔”が顕になっていきます。波多野は最終選考の終盤で、この“封筒事件”の犯人があまりにも意外な人物であったことに気づいてしまうのです。

事件から8年後、スピラリンクスの採用関係者と学生たちへのインタビューを通じ、封筒を用意してディスカッションを撹乱させた真犯人は誰だったのかが検証されていきます。しかし、なぜ8年もの時が経過してから事件の再検証がおこなわれたのか、肝心の内定を勝ち取ったのは誰だったのか──という謎は、なかなか明かされません。「伏線の狙撃手」の異名を持つ浅倉秋成らしい、非常に鮮やかに張り巡らされた伏線によって、鳥肌が立つほど気持ちよく、事件は“結末”に向かっていきます。犯人が最後の最後までわからないミステリの醍醐味とともに、就活の面接で人の“本質”を見抜くことは可能なのか? という永遠のテーマに対する浅倉の真摯なメッセージを感じとることができる、新たな名作です。

4.『硝子の塔の殺人』(知念実希人)


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『硝子の塔の殺人』は、作家・医師の知念実希人ちねんみきとによる長編ミステリ小説です。2012年のデビュー以来、『天久鷹央の推理カルテ』シリーズや『神酒クリニックで乾杯を』といった医学的知識を活かしたミステリを数多く発表してきた知念ですが、『硝子の塔の殺人』は、タイトル通りの美しい“硝子の塔”で次々と起きる密室殺人事件の真相を暴く、本格推理小説となっています。

舞台は、生命科学の分野の権威にして、ミステリフリークとしても知られる大富豪・神津島太郎が北アルプスの中腹に建てた円錐状の硝子館。神津島は、国内外のミステリ小説やミステリ映画などの貴重な資料を買い漁り、硝子館の展望室に収納しています。それらは「神津島コレクション」と呼ばれ、ミステリファンにはよく知られた存在でした。主人公は、自身も大のミステリ好きで、半年前に神津島の専属医となった一条遊馬。一見、優秀な医師である遊馬ですが、なんと彼は本書のプロローグの冒頭で、神津島に“殺意”を抱き、殺人を実行に移した人物として書かれています。

「俺は、どこで間違ったんだろうな……」
そんな独白が、無意識に唇の隙間から零れた。
殺意を胸に秘め、神津島太郎に近づいたときか。絶好の機会と思い、この硝子館で開かれる妖しい宴への参加を決めたときか。それとも……。
「……あの名探偵に出会ったときか」

遊馬の言う“名探偵”とは、神津島によって同じく硝子館に招かれていた若い女性・碧(あおい)月夜。月夜は自身を「探偵ではなく名探偵です」と称する変わり者でしたが、実際に彼女の活躍によって、警察も頭を悩ませるような難事件が何件も解決に向かっていました。

ある日、神津島は、遊馬と名探偵・碧月夜のほかに、ミステリ作家、刑事、霊能力者、ミステリ雑誌の編集者──といったいかにもミステリ小説に登場しそうなゲストたちを硝子館に招き、ある重大な発表をすると告げます。しかしゲストが集められたその晩、神津島はその“発表”をするまでもなく、殺害されてしまうのです。雪崩によって硝子館は外界との連絡手段がなくなり、警察の到着を待つまでのあいだ、完全なるクローズドサークルと化してしまいます。そしてなんと、翌日から1名また1名と、硝子館で人が殺されていきます

神津島殺害を冒頭で自白したかのように見えた遊馬でしたが、翌日からも続いていく連続殺人を解決に導くべく、名探偵・月夜とタッグを組んで、事件の真相を追い始めます。果たして、この奇怪な殺人事件の真犯人は誰なのか──。最終盤に待ち受ける意外すぎる事実に驚かされるのはもちろん、古今東西のミステリ作品を読み込んでいる人ほど楽しめるであろう、アガサ・クリスティやコナン・ドイル、島田荘司、綾辻行人といったミステリ作家の作品へのオマージュも読み応えのある1作です。

5.『赤と青とエスキース』(青山美智子)


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『赤と青とエスキース』は、2021年本屋大賞で見事2位となった『お探し物は図書室まで』などの代表作を持つ作家・青山美智子による連作短編集です。

物語は、『金魚とカワセミ』『東京タワーとアーツ・センター』『トマトジュースとバタフライピー』『赤鬼と青鬼』という4章仕立てで進みます。1章目、『金魚とカワセミ』の主人公は、メルボルンに留学中の21歳の大学生・レイ。彼女は、アルバイト先の先輩に呼ばれて参加したバーベキューで、仲間から「ブー」と呼ばれている気さくな日系人の男性に出会います。「ブーは手が早いから気をつけて」と彼の友人に言われたことを受け、レイはブーに感じていた好意を押し殺そうとしますが、ブーがふと言ったひと言が、やわらかい棘のように心に刺さってしまいます。

「竜宮城なんだ」
突然、ブーの乾いた声が耳に飛び込んできた。私は目覚ましのアラームを聞いたようにハッとした。
「ここを竜宮城だと思ってるんだ、みんな」
抑揚のない言い方だった。さっきまで無邪気に笑っていたのに、そのときの彼はすっかり表情をなくしていて、なんだかちょっとだけこわかった。私がガラス鉢の金魚だというのなら、彼は深海に住むさびしい魚みたいだった。
「みんなって、誰?」
私の質問には答えず、彼は淡々と続けた。
「何人も見てきたよ。現実の世界だなんて思ってないんだ。そうして帰っていくんだ」
怒っているのでも、悲しんでいるのでもなかった。
彼はただ、あきらめているのだった。

ブーは、メルボルンに留学したり長期滞在をしては、そこでの経験をひとときの夢のように捉えて自分の国に帰っていく若者をたくさん見ていました。ブーが彼らに向ける、普段は見せないような寂しげな視線が気になったレイは、ブーに恋をしてしまいます。しかし、誰にでも愛想のいいブーのことが信じきれず、なかなか交際には踏み切れないレイ。ブーの提案で、ふたりはレイが交換留学を終えて日本に帰るまでの「期間限定の恋人」として付き合い始めます。

レイがモデルとなった1枚の絵の“エスキース”(下絵)が完成するまでの過程を通し、すこしずつ深まっていくふたりの関係を描く1章目のほか、すべての章のなかで、この1枚の絵がカギとなって物語が進んでいきます。誰かをひたむきに思う気持ちの尊さを、やさしくて読みやすい、心地のいい文体とともに味わうことができる1冊です。

6.『残月記』(小田雅久仁)


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『残月記』は、作家・小田雅久仁による「月」をテーマにした短編集です。小田は2012年に発表した2作目の長編小説『本にだって雄と雌があります』で第3回Twitter文学賞国内編第1位を獲得しました。『残月記』は待望の第3作として、注目を集めています。

本書は、『そして月がふりかえる』『月景石』『残月記』の3篇から成ります。それぞれに違った雰囲気を持つ3篇ですが、1篇目の『そして月がふりかえる』は、SFホラーのような趣の短編です。

主人公は、40代の大学教授・大槻高志。高志は幼いころ、「まんまるお月さんが追っかけてきてるよ」と母にからかわれ、月が怖くて大泣きした記憶を鮮明に覚えていました。現在は泰介・美緒というふたりの小さな子どもの親である高志は、月に2回以上は家族で外食するという習慣を欠かさずにいます。ある日、妻の詩織とふたりの子どもとともに出かけたファミリーレストランで、高志は、窓の外の月がどこか“奇妙”だと感じている自分に気づきます。さらには、同じ店のトイレでたまたま見かけた知らない男の姿が、“心の裏側をするりと撫でていった”ような、なんとも言えない不快感として記憶に残ります。

高志がトイレから席に戻ると、そこには、誰もひと言も言葉を発さず、なぜか揃って窓の外を眺めている大勢の客の姿がありました。その視線の先では、満月が光っています。

あの怪しげな満月がすべての視線を束ねてたぐりよせているように見える。しかしいつもの満月とどう違うというのか。何か異常があったからこそ誰もがあの月を見あげたはずなのだ。

高志が呆然としながらも観察を続けていると、月がゆっくりと回転を始め、地球には決して見せないとされている“裏側”を見せてぴたりと回転を止めました。そして、席に戻った高志に対し、詩織が恐る恐る発した言葉は「どなたですか?」という信じられないものでした。その瞬間、高志は、月の裏側が常に見えている“もうひとつの世界”の住人となり、これまでとはまったく違う自分としての人生を歩まざるをえなくなってしまったのです。

2篇目の『月景石』、3篇目の『残月記』もSFという軸は共通しているものの、読み心地はどれもまったく異なっています。本書の帯には、翻訳家・書評家の大森望が“迫真のディストピア小説であり、スリリングな格闘技アクションであり、切なすぎる恋愛文学であり、力強い歴史小説でもある”というコメントを寄せていますが、まさにこの言葉どおり、アクションとしても歴史小説としても、恋愛小説としても楽しむことのできるような珠玉の短編が揃っています。なんの変哲もない日常が、一瞬で異世界に接続するユニークさや恐ろしさをたっぷりと味わえる、奇想に満ちた作品集です。

7.『夜が明ける』(西加奈子)


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『夜が明ける』は、『きいろいゾウ』『サラバ!』『漁港の肉子ちゃん』といった多数の人気作品を持つ小説家・西加奈子による5年ぶりの長編小説です。

本作の主人公は、「俺」と呼ばれる若者です。もともとは不自由のない暮らしをしていた「俺」ですが、高校2年生のとき、デザイナーだった父が多額の借金を残して事故で亡くなったことをきっかけに、家の経済状況が急遽悪化してしまいます。本作はそんな「俺」の視点から、彼自身の生活や心境と同時に、「俺」にとって一番の親友であり忘れられない存在でもある同級生・深沢暁こと「アキ」の数奇な運命が綴られていく構成となっています。

高校1年生の夏、「俺」は「アキ」に、フィンランドのマイナーな俳優である、アキ・マケライネンという型破りな人物の存在を教えます。「アキ」の風貌や雰囲気が、アキ・マケライネンにそっくりだったからです。

「お前はアキ・マケライネンだよ!」
俺が初めて、アキにかけた言葉だ。

15歳だった俺の「マケライネン観」は、今と何も変わっていない。マケライネンは、本当に面白い俳優だった。
まず、とても奇妙な風貌をしていた。ある程度のものなら頭頂に置くことが出来そうなガチガチの角刈りで、眉毛と目が異様に近く、日向でも目元に影ができた(中略)。
とにかく目を引く男だったし、どんなシリアスな場面でも彼が登場したら、まず笑ってしまうような俳優だった。でも、例えば酒場の椅子に黙って座っているだけで、泣けてくる哀愁があった。

190センチ以上の体格と奇妙に彫りの深い顔立ちを持つ深沢こと「アキ」を、入学式でひと目見た「俺」は、唯一無二の俳優・マケライネンにアキが似ていることをずっと気にかけていました。高校生活が始まると、最初はその体格から周囲に恐れられていたアキでしたが、いざ話し始めるととてもオドオドした態度でいたため、すぐに“取るに足らないやつ”のレッテルを貼られます。そんなアキは、「俺」に「お前はアキ・マケライネンだよ」と告げられたことがきっかけで、自分の所作や顔つきをアキ・マケライネンに似せていこうと並々ならぬ努力をしていきます。その甲斐と、もともとのやさしい性格もあって、アキは自然と同級生のなかの人気者になっていきます。

しかし一方で、回想としてすこしずつ明かされていくアキの家庭は、幼少時から虐待と過度の貧困が重なり、とてもひどい状況です。アキは貧しさと自信のなさを乗り越えるためにさまざまな行動を起こしていきますが、彼の運命はやがて「俺」が予想もしなかった方向に転がっていきます。

本作は、現代日本にたしかに存在する若者の貧困や虐待、過重労働といった社会問題と、そのさなかでどうにか生き抜こうともがいている人たちの姿を、真正面から書き切っています。西が描くキャラクターたちの強い魅力も相まって、読者は本書を読み進めるごとに、登場人物たちが感じている絶望や怒りを同じように味わい、それぞれの苦しみを乗り越えてほしいと祈るように感じるはずです。目を背けずにはいられない、リアルな痛みを誠実に描く1作です。

8.『正欲』(朝井リョウ)


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『正欲』は、『桐島、部活やめるってよ』『何者』『チア男子!!』などの多くの代表作を持つ人気作家・朝井リョウによる長編小説です。本書は、性的欲求に“正しさ/正しくなさ”は存在するのか、そして、存在するとしたらその境界はどこにあるのか──というナイーブなテーマを、“社会的に容認されていない”性的欲求を持つ人々の複数の語りを通して明らかにしようとする、意欲的な1作です。

本書の主要な登場人物は、桐生夏月、佐々木佳道、諸橋大也という3名です。彼らはそれぞれ年齢も立場もばらばらな男女ですが、実は人間に対して恋愛感情や性欲を抱いたことがなく、“噴出している水・抵抗できない力によって、形態が変化している水”の状態に興奮するという共通点を持っていました。

夏月は物心ついたときから、噴出している水の様子に興奮するのだった。
原因なんてわからなかった。周りの友人たちが、あの子かっこいいよね、と頬を赤らめるように、夏月は“噴出する水”に身体の一部を熱くしていた。皆が人間の、主に異性に好意を抱くように、夏月もそこに明確なきっかけも理由もなく、水に好意を抱いた。

そんな思いを幼いころから周囲の誰にも明かすことができず、恋愛や性欲、結婚に対する話題を振られると、嘘をつくしかなかった3人。彼らがインターネットを通じて出会い、“生き延びるために手を組む”と決めるところから、物語が動き出します。

本書の序盤では、ある人物によって、近年しばしば叫ばれる“多様性”という言葉は、とても“おめでたい”──という指摘がされます。

これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる“自分と違う”にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。

夏月たちの抱いている性的欲求は、世間からは“水をかけられている人”や“水のかかった服を着ている人”に興奮しているのだと誤解され、決して理解されることがありません。そんな誤解続きの生活を、彼らは“この星に留学しているような感覚”と表現します。

多様性という言葉のもとで不当に“ジャッジ”され、踏みつけられている人が存在するのではないか。彼らの苦しみには見て見ぬ振りをしていいのか。そんな問いについて考えさせられる、朝井リョウの新たな代表作です。

9.『星を掬う』(町田そのこ)


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『星を掬う』は、2021年に『52ヘルツのクジラたち』で本屋大賞を受賞した期待の作家・町田そのこによる長編小説です。

本書の主人公は、数年前に別れた元夫・弥一からの肉体的・経済的DVに苦しみながらもパン工場で夜勤をしている女性・芳野千鶴。千鶴はある日、ほんの軽い気持ちで応募したラジオ番組の企画に“入賞”したという電話を受けます。

おめでとうございます。芳野さんの思い出を、五万円で買い取ります。

その企画とは、“夏休み”をテーマにした思い出を投稿し、SNSで人気を集めた思い出には数万円の賞金が与えられるというもの。千鶴が投稿したのは、幼いころに母と生き別れになったときの思い出でした。

ふっと、遠い日が蘇る。父の車に乗りこむわたしを、じっと見つめていた母。またあとでね、と手を振るわたしに、母はゆっくりと片手をあげて応えた。あのときわたしが母の車に乗ると言っていたら、何か変わっていただろうか。

千鶴は母に“捨てられた”と感じており、長年、強い憤りを持っていました。自分の忘れられない思い出をたった5万円で人に開示してしまったことに強い後悔と恥ずかしさを覚える千鶴でしたが、その後、ラジオのディレクター・野瀬が、千鶴の母を知っているという問い合わせがリスナーから寄せられたと連絡をしてきます。野瀬の紹介でその人物に会うと、千鶴の母・聖子は若年性認知症を発症しており、現在は「さざめきハイツ」というアパートで2名の女性たちと同居をしていると告げられます。

自分を捨てた母との再会に躊躇いながらも、弥一から逃げたいという思いも重なって、「さざめきハイツ」に向かった千鶴。そこで再会した聖子は想像よりはるかに年老いていましたが、同居する女性たちや医師の助けもあり、健やかに暮らしているようでした。周囲からの勧めも受け、千鶴は母を含む3名の女性たちと、奇妙な共同生活を始めることとなります。

同居女性たちは、それぞれに悩みや苦しみを抱えながらも、お互いを慕いながら生活しています。彼女たちが各々の課題に向き合ってすこしずつ前進していくに従って、すれ違い続けてしまった千鶴と聖子との関係も、徐々に前向きに変化していきます。社会問題をリアルに描きながらも、そのなかで懸命に生き抜こうとするやさしい人々の姿に焦点を当てた、町田らしい感動的な物語です。

10.『同志少女よ、敵を撃て』


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『同志少女よ、敵を撃て』は、作家・逢坂冬馬のデビュー作となる長編小説です。本作は、全選考委員が5点満点をつけるという史上初の形で第11回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞し、新人の作品とはとても思えない完成度の高さで発売前から話題を集めました。

物語の舞台は、独ソ戦が激化しつつある1942年のモスクワ近郊。ある日、農村に暮らす少女・セラフィマは、急襲したドイツ軍によって最愛の母親・エカチェリーナを惨殺されてしまいます。自らも殺される運命にあると悟って絶望に暮れるセラフィマに、黒髪の美しい女性兵士が突如、「戦いたいか、死にたいか」と問いかけてきました。

兵士たちが制止するのを聞かず、襟首をつかんで彼女は叫んだ。
「お前は戦いたいか、それとも死にたいかと聞いている!」
セラフィマは答えた。
「死にたいです」
それが本音だった。目の前には母の死体が転がっている。村人は皆死んだ。そして自分は、生きながらにして地獄を見た。その自分に、誰と、どう戦えと言うのか。

死にたいと答えたセラフィマの前で、その女性兵士・イリーナは、セラフィマの家のなかの思い出の品々を次々と壊していきます。止めるセラフィマに「お前が死ねば思い出とやらも消えてなくなる」と冷淡に告げるイリーナ。呆然とする自分を前に、母の遺体をマッチ棒の火で燃やすという暴挙に出たイリーナを見て、セラフィマは思わず叫んでいました。

「ドイツ軍も、あんたも殺す! 敵を皆殺しにして、敵を討つ!」

自らの意志で、イリーナが教官を勤める訓練学校に入校し、一流の狙撃兵として闘えるようになろうと決意するセラフィマ。訓練学校で同じように家族を殺された女性たちに出会った彼女は、やがて独ソ戦の大きな転換点となるスターリングラードの前線に向かうこととなります。セラフィマは、エカチェリーナを撃ったドイツ人の狙撃手、そしてエカチェリーナの遺体を焼き払ったイリーナに復讐する──という強い思いを胸に秘めて闘い続けます。

本書の魅力は、史実をもとに強いリアリティで戦争の前線を描くアクションもの、という点だけではありません。セラフィマを始めとする狙撃手の少女たちのシスターフッドや、戦時下の生活の凄惨さが、どこまでも切実なものとして臨場感を持って描かれます。少女の喪失と再生を衝撃的な展開とともに綴る、文句のつけどころのない傑作です。

はたして、本屋大賞はどの作品に?

例年、本格ミステリから重厚な歴史小説、心温まるような人情ものまで、さまざまなジャンルの作品が候補となる本屋大賞。今年もその傾向は変わりませんが、例年と比べるとライトな感覚で読める王道のエンターテインメント作品が減り、その分、骨太で読み応えのある作品が多く集まった印象です。『黒牢城』や『六人の嘘つきな大学生』、『同志少女よ、敵を撃て』のように、ミステリや歴史小説としても一級品で、なおかつ社会を反映させた切実なテーマを描く作品が多数ランクインした2022年本屋大賞候補作は、退屈な作品がひとつもないと言ってもよいほど名作揃いです。

なかでも大賞予想作品を1作挙げるなら、一般文芸のジャンルでもいっそうの注目を集めつつある一穂ミチの『スモールワールズ』でしょうか。連作短編集としてそれぞれに角度の違う物語を楽しめつつも、通奏低音として流れるテーマや人間関係のつながりに気づいたときの快感は、まさに一穂ミチ作品でしか味わえないものです。

今年の本屋大賞の発表は、4月6日。いまから発表の日が待ちきれません!

初出:P+D MAGAZINE(2022/04/06)

◎編集者コラム◎ 『噤みの家』リサ・ガードナー  訳/満園真木
【著者インタビュー】塩田武士『朱色の化身』/全く新しいリアリズム小説ないし報道小説が可能なのかという実験