日常のなかにあるきらめきと発見と 保坂和志おすすめ4選
95年『この人の閾』で第113回芥川賞を受賞した保坂和志は、何気ない日常生活の中での思考や意識の流れを描く作家として知られています。何も事件が起きない小説なのに、なぜか読むのがやめられない。そんな不思議な魅力を持った著者のおすすめ作品4選を紹介します。
『生きる歓び』拾った猫は盲目だった。それでも育てることに決めた作家の日常とは
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妻と入籍したばかりの小説家の「私」は、妻の母の墓前へ報告に行く道中、子猫を拾います。猫を獣医にみせたところ全盲かもしれないと言われた「私」。欧米なら殺処分されてもおかしくないと言われますが、「私」は仕事は二の次で、子猫の世話に明け暮れます。
自分のことを何もせずに誰かのことだけをするというのは、じつは一番充実する。(中略)人生というのが自分だけのものだったとしたら無意味だと思う。人間が猫にかかりきりになるというのを、人間が絶対だと思っている人は無駄だと思うかもしれないが、私はそう思っていない。
衰弱が激しく、死の淵をさまよいながらも、なんとか持ちこたえた子猫。
「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。(中略)「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、段ボールの中を動き回りはじめた子猫を見て、それを実感した。
片目が見えない子猫に、とびきりよい名前を付けてあげようと考える「私」。「私」の思うよい名前とは、自然界にあるものから借りた名ということで、名前は、「花ちゃん」に決まります。獣医は「目が見えない分、視覚を補うためにヒゲが長く伸びる」と励まします。そんなある日、「私」はテレビで友人の息子が、全盲の天才ピアニストとして紹介されているのを目にし、それを愛猫の姿と重ね合わせるのでした。
小さな命の輝きを、著者の体験をもとに記した1冊です。
『ハレルヤ』片目の猫「花ちゃん」が18歳で旅立つまで
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前出の『生きる歓び』で登場した「花ちゃん」のその後を描いた作品です。
片目であることが花ちゃんの運動能力の障害にまったくなっていないことを自分の目で毎日見ているにもかかわらず、外見だけで不憫がることを止められなかった。あるいはその目のない方の目はふだんはきれいだが体調が悪いと汚れる、その汚れが将来年をとって衰え、抵抗力が弱ると毎日ここがじくじくしているようになるのかとずっと先のことを気に病んだりもしていた。
けれど、年が経つうちに、「私」の花ちゃんへの見方は変わります。
花ちゃんが片目であることがまったく気にならず、まさしく花ちゃんの特徴の1つである、それは三毛という模様と同じようなものだとそれから何年かのうちに感じるようになり、花ちゃんとの18年8ヵ月のつきあいの後半10年以上はまったく気にしなくなってしまった。
「私」は猫に多くのことを教えられます。例えば、言葉を用いない猫を、人間より下等のように思う人もいるかもしれないが、「私」の実感ではまったく違うのだそう。
「言葉を使うから愚図になるにゃりよ、」
人は心に過 る感触に言葉を与えようとして、感触をだいぶ薄めたり、場合によってはそれの逆になる言葉を手にする。
人間は、言葉に縛られて、「窮屈な考えにがんじがらめ」になるという見方。何でも言葉にすれば伝わるはずだと思っている人間社会を相対化しています。
そして、愛猫が死んだとき、悲しみというよりも温かな安堵に包まれたという「私」。そこへ至る心の動きが細やかに記され、現在ペットロスに悩んでいる人にもおすすめの1冊です。
『カンバセイション・ピース』人間と家をめぐる記憶と、日々の暮らしのよしなしごと
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小説家の高志は、妻と3匹の猫とともに世田谷の古い一軒家に移り住みます。妻の姪と、個人事務所として間借りすることになった浩介らも加わり、一家は大所帯に。そこはもともと高志の伯父伯母の家で、彼自身、幼少期の一時期をその家で過ごしたことがあり、さまざまな思い出がよみがえります。
記憶が思い出されるたびに変化するのだとしたら、固定されないことが記憶にとって色褪せずに人の中で息づくための大事なファクターなのではないかと思う。「ウソと本当」とか「想像と現実」というような2分法を単純に記憶にあてはめることはできなくて、記憶は別の原理によって息づいているのだ。(中略)私が記憶というものが可変的で流動的で、犯罪捜査みたいに証言をいちいち検証していくようなやり方はむしろ過去の事実から遠ざかるんじゃないかというようなことを言うと、浩介が
「それはあんたが幸福な子ども時代を送った証拠だよね」
と言ったりする。
思い出は、思い出すたびに少しずつ異なっている。この点については朝吹真理子の芥川賞受賞作『きことわ』でも考察されていることですが、それは記憶を捏造するというようなことではなく、人の記憶がもともとそのような性質のものなのだからなのでしょう。
人間というのは普通思っているよりずっと内的過程の広がりの中で生きている。伯母のように本なんかほとんど読まなかった専業主婦でも、夕食の献立のこととか子どもたちが無事にやっているかというような日常的なことばかりで頭の中が埋められていたわけではなくて、何か音が聞こえたらその音に触発されて、子どもの頃や娘時代の光景が、池に降る雨の波紋の広がりのように、次々と出てきてははっきりとした形になるよりさきに次の記憶の断片によって消されて、またそれが次の記憶の断片によって消されて……と、その小さな波紋の総体がその時々の気分を形成している
何かのきっかけで不意に現れては消える、コントロールできないものとしての記憶の本質をよく捉えています。
高志は、伯父や従兄ら、かつて住んだ人たちの気配がいつまでも残る家での暮らしを、例えばこのように表現します。
畳に寝そべっていると、
廂 が深いためにいまどきの家より採光の悪い座敷が5時をすぎたくらいの早い時間から夕暮れの薄暗さになっていて、夏のそんな弱い光だけのこの家は既視感に満ちていて、家の中の薄暗さと比べて外がまだじゅうぶん明るいことを確かめるように頭を少しのけぞらして廂の下から空を覗き見る動作が伯父がしたのと同じ動作で、天井や柱ばかり眺めてこの家の古さをいちいち確認していることに飽きて首だけひねってまるで誰かが訪ねてくるのを待っているみたいにしてがらんとした玄関に目をやる動作が英樹兄(従兄)がしたのと同じ動作に感じられてきた。
今はこの家にいない伯父たちの面影を、自分を通して体現している感覚、といったところでしょうか。著者はこの点について、「過去(記憶)がまるで現在と同等の現実感を持つことが可能なのか」ということを小説内で試してみたかった、と述べています。(『書きあぐねている人のための小説入門』より)
また、本作では家から見える庭の情景描写も見事なのですが、高志が、
「木はすごいよなあ。百本あれば百通りの枝の広がり方をする。しかも枝の広がり方を正確に伝えるだけの種類の言葉が人間にはない」
と言う箇所からは、人間の使う言葉の限界と、言葉を持たぬ自然への畏敬の念を読み取ることができます。
ところで、江國香織著『間宮兄弟』では、作中人物が、『カンバセイション・ピース』を愛読しているという設定になっているのですが、『間宮兄弟』の空気感が好きな人には、本作もきっと好きになるでしょう。
『書きあぐねている人のための小説入門』暗い話は書かない、パソコンは使わない、など目から鱗の小説指南本
https://www.amazon.co.jp/dp/4122049911/
既製の文学観を覆すような、著者の小説に対する考えを披瀝した本書。
例えば、小説はテーマが決まらないと書き始められないと思っている人は多いかもしれませんが、著者はテーマを決めずにひとまず書き始めてみるといいます。それはテーマを設定してしまうと、小説の構えが小さくなってしまうからだ、と。
私はテーマの代わりに「ルール」を設定することにした。(中略)ひとつは、「悲しいことは起きない話にする」ということ。理由は「ネガティブなもの(事件、心理……など)を以て文学」という風潮が嫌いだったからだ。(中略)感傷的な文章やストーリーで書かれた小説は、ひたすら深刻なことばかりが書き連ねている手記と同じようにベストセラーになることが多いけれど、それらがベストセラーになる理由は、「読者が成熟していないからだ」と、まず割り切ったほうがいい。
著者の小説を読んでいる時間が心地よく、読者が励まされるような気持にさせられる秘訣は、このあたりにあるようです。ネガティブなことを書くことや、いじめなど自分の暗い過去を救済するための道具として小説を使うことを避け、小説は「人間に対する圧倒的な肯定」であらねばならないと述べる著者。シリアスなことが一切出てこない著者の小説は一見「平板」で「眠たくなる」と言われるようですが、その滋味あふれる良さに気づくことができる人は、まさしく「成熟した読者」と言えるでしょう。
他にも、書くのは手書きに限るとか、推敲はしてはいけない、など意外な創作論が飛び出します。その理由はぜひ本書で確かめてみてください。小説の書き方を指南する本はたくさんある中でも異色の1冊です。
おわりに
保坂和志の、ほのぼのとした日々の生活を描いた小説を読んでいると、読者は小説世界のなかへいつの間にか迎え入れられ、作中人物たちとのんびりおしゃべりしている気分にさせられます。今日は落ち込んでいるから深刻な話は読みたくない、ミステリーの込み入った筋書きやたくさんの登場人物の関係を追う気分ではない、というとき、保坂和志の作品を手に取ってみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2022/10/17)