『無戸籍の日本人』

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日本には戸籍のない人が

1万人以上いる――

衝撃のノンフィクション

『無戸籍の日本人』

無国籍の日本人

集英社 1700円+税

装丁/鈴木成一デザイン室

井戸まさえ

※著者_井戸まさえ

●いど・まさえ 1965年宮城県仙台市生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。松下政経塾9期生、東洋経済新報社勤務を経て、経済ジャーナリストに。05年より兵庫県議会議員を2期務め、09年衆院選に民主党から出馬し初当選。05年よりNPO「親子法改正研究会」代表理事、07年より「民法772条による無戸籍児家族の会」代表。昨年「戸籍のない日本人」が第13回開高健ノンフィクション賞の最終候補作となり、本作に改題。他に佐藤優氏との共著『子供の教養の育て方』等。152㌢、A型。

戸籍がない人がいることを見て見ぬふり

してきたのは国家のネグレクトだと思う

無戸籍者からの電話相談(24時間対応)や戸籍の取得手続きの同行で全国を飛び回り、これまで会った無戸籍者は1000人以上という中での執筆だった。現在、5人の子供を育てるNPO「親子法改正研究会」代表で元衆議院議員の井戸まさえ氏は、4番目の子が『無戸籍の日本人』になりかけた〈当事者〉でもある。

そんな事態がなぜ起きるかといえば、原因の一つに〈民法772条〉がある。現民法では離婚後300日以内に生まれた子供の父親は元夫と〈嫡出推定〉され、元夫と交渉を避けたい等々の理由で出生届を出せないケースが少なくないのだ。

 現状で約1万人とも言われる無戸籍者の事情は万者万様であり、本書では井戸氏らが戸籍取得に協力してきた実例を法や制度の壁と併せて多数紹介。一方で彼女はこうも書く。〈「性」「国籍」「出自」「貧困」「搾取」「犯罪」「女性」―〉〈この問題の根っこには、普段、日本人が見たくないもの、語りたくないもの、つまりは「タブー」がある〉と。

本作は昨年の開高健ノンフィクション賞の最終候補作である。

「政治家って一度なってしまうと、何をやっても票のためだといわれ、逆差別されちゃうんです(笑い)。だから、元議員でも偏見なく審査してもらえたことが嬉しかった。皆さんにも無戸籍者の実像を知ることから始めてもらえるよう、法律用語もわかりやすく書いたつもりです」

NPO発足当初は、彼ら無戸籍者を〈「存在しない人」から、「名前は明かせぬものの確かに存在する生身の国民」として「可視化」〉することを目指したといい、本書の目的もそこにある。

例えば27歳の時に電話をしてきた〈雅樹〉という男性は、14歳の時、実母は産後死に、戸籍もないと宣告されたという。15歳までに高校の全教程を養母から学んだという彼は、戸籍がないために水商売を転々とし、ホストをしていた。養母は火事で死んだらしく、彼は手がかりを全て失って氏を頼ったのだ。この場合、〈就籍〉という手続きが取られるが、役所は彼に〈日本人であることの証明〉を求め、両親や養母の素性も定かでない彼の就籍は今なお実現していないという。

また、母親が分費用を工面できずに無戸籍に陥り、妊娠中の恋人の子供にまで〈連鎖〉が及ぶことを恐れる〈百合〉。横暴な夫と当時60代の自分の母親が関係を持ち、5人の子供を残して実家を追われた母親を持つ〈冬美〉など、その人生模様の過酷さは想像を絶する。

「彼らの多くは小学校すら通わずに育ち、免許も住民票もパスポートもないので、仕事や生き方の〈選択肢〉が限られてしまうんです。

あえて無戸籍の人を大別すれば①772条の〈300日ルール〉関連が7~8割、②貧困やネグレクト関連が1~2割、他に③親が戸籍制度に反対、④失踪や記憶喪失や認知症、⑤皇室関係がごく少数というのが私の実感。①と②に関しては、私たち国民も含めて見て見ぬふりをしてきた国家ぐるみのネグレクトだと思う。仮に報道されても親が悪いとか不倫だろうとか、法の歪みが貞操観念や倫理といった見えない圧力に封じこまれてしまう。19世紀から続く落とし穴が誰の前にも口を開けているんです」

300日ルールは

離婚のペナルティ

02年に松下政経塾時代の先輩と離婚が成立。翌年、現夫と3人の子供を連れて再婚した井戸氏は、無戸籍児の母親になりかけた経験から県議や国政に打って出たまでで、それは772条及び、女性だけに180日の再婚禁止期間を強いる733条改正のための手段だったと語る。

「私の4人目の子供が、離婚から265日目に生まれたために、元夫の子供とされてしまったんですね。そんな事実を私と現夫は市役所から電話で突然突き付けられ、事情を幾ら説明しても相手にされず、〈それは離婚のペナルティです〉とすら言われたんです」

幸い現名古屋市長・河村たかし氏から法務省の民事局長を紹介され、実の父親を相手どった〈認知調停〉も可能だと言質を得た氏は、現夫を被告に裁判を起こし、無事わが子は無戸籍にならずに済んだ。が、同じ状況に苦しむ人々を前にして、何もしないのは〈卑怯〉だと彼女は考えるようになる。

「嫡出推定は推定でしかなく、現に親子関係の否認訴訟ではDNA鑑定を採用した判決も出ている。法務省にその矛盾を質すと、『訴えが出るまでは、どんな父親も全員仮ですから』と言うんです。つまり民法が血縁ではなく、婚姻の事実から親子関係を推定する以上、反証が出れば個別に対応し、年間3000人近く生まれている無戸籍予備軍の実数すら把握してこなかった」

いま一つの壁が、政治だ。本書では07年に「300日関連新法案」が潰された経緯を、反対派の長勢甚遠元法相らへの取材を元に再現。富山の長勢宅をアポなしで急襲し、本音を聞き出した。

「日本固有の家の在り方を民法改正が変えてしまうことを恐れる保守派の長勢さんは、〈アリの一穴〉を開けた張本人でもある。後に〈離婚後に懐胎したことを証明する医師の作成した証明書を添付すれば、現在の夫の子として出生届を受理する〉と法務省が通達を出したのは彼の作文だそうです。実際あの通達で救われた人は多い。物事を法の内側で考えるだけでなく、前に進めるのが立法府だと暗に教えられました」

本書に紹介された幾多のドラマは、自分が何に守られて生きているかを改めて突き付ける。誰が陥ってもおかしくない無戸籍という事態を自分事として捉え、社会の問題とするために。

「人権意識というほどじゃないけど、私は友達の親が離婚して才能を生かす機会を奪われたりすることに、昔から憤りを覚える子供だった。それは社会的にも損失だし、例えばISが目を付けるとしたら、仕事もなく地下に潜るしかない彼らですよね。それを〈親の因果〉だと言う人もいる。でも子供だけは何とかするべきだし、映画『誰も知らない』にも描かれた『巣鴨子ども置き去り事件』(88年)のように、誰かが手を差し伸べていれば助かっただろう無戸籍児がゼロになるまで、闘うと決めたんです」

就籍や法改正を巡る状況も徐々に改善しつつあるが、それでも達成感より無力感の方が大きいと氏は言う。その行動力を称える前に、読者1人1人が事実を事実と認め、行動すること―。それこそが彼女の願いだ。

□●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2016年2・19号より)

初出:P+D MAGAZINE(2016/02/18)

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