『坂の途中の家』

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

巧緻な心理描写が

凄みすら感じさせる

サスペンス長編

『坂の途中の家』

坂の途中の家

朝日新聞出版 1600円+税

装丁/田中久子

装画/最上さちこ

角田光代

※著者_角田光代

●かくた・みつよ 1967年神奈川県生まれ。早稲田大学卒。90年「幸福な遊戯」でデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞、同年『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞。現在、2017年から刊行予定の「源氏物語」現代語訳に取り組んでいる。158cm、O型。

言葉のやりとりで進めていく裁判の

多重性を小説で書けないかと思った

都内に住む三十代の女性が、水のたまった浴槽に八カ月になる長女を落とした。帰宅した夫がそれを見つけ救急車を呼び病院に長女を搬送したが、長女はすでに死亡していた。女性が「泣き止まないのでどうしていいかわからなくなり、落としてしまった」と、事故ではなく故意にやったことだと容疑を認めたために殺人罪の疑いで逮捕された〉

 彼女はなぜ、娘を殺したのか。『坂の途中の家』の主人公の里沙子は、新聞で読むだけだった、水穂という同世代の女性が起こした虐待事件に思いがけずかかわることになる。この事件の裁判の補充裁判員に選ばれたためで、もうすぐ三歳になる娘を育てている専業主婦の彼女は、毎日法廷に通い、周囲の人物のさまざまな証言を聞くうちに、追い詰められていった水穂の境遇に自分を重ねていく。

 妊娠中に夫陽一郎の携帯メールを盗み読んだことや、生まれたわが子にしてしまった〈思い出したくないこと〉の記憶を呼び覚まされた里沙子は、陽一郎のささいなひとこと、裁判中、娘を預かってくれている義母の手助けにも神経をとがらせる。自身の心の内をのぞきこんだ里沙子は次第に平衡を失っていく。はたして彼女の生活は、〈裁判が終われば、何もかも元通りになるのだろうか〉―。

〈法律なんて何も知らない。裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない〉

公判前に里沙子が抱いた思いは、ほとんどの人が共有しているものだろう。二〇〇九年に裁判員制度が始まったことは知っていても、実際にどういうものか経験した人はまだ少ないはずだ。

「もともと私は裁判に興味があって、ノンフィクションの形で公刊された記録を何冊か、自分の興味として読んでいました。言葉のやりとりで進めていくものなのに、人によって言うことが違ったり、相手の受け止め方も変わったり、印象に左右されてしまうのが面白くて、そういう多重性みたいなことを小説で書けないかな、と思ったんですね」

裁判員に選ばれた主人公がのめりこんで聞き、感情移入することで裁判の意味が変わっていくとしたらと考えて、おのずと子供の虐待死を書くことになった。

週刊誌で連載が始まったのは二〇一一年で、裁判員制度が始まって、まだそれほど時間がたっていない時期だった。

「裁判員裁判とは何かのマニュアルを読むことから始めて、弁護士や司法担当の新聞記者に話を聞いたし、傍聴にも行きましたね。手続きを理解するのは大変でしたけど、裁判自体は裁判員制度ができてからすごく変わったそうです。弁護士の人なんか、身振り手振り、やさしい言葉でお芝居のようにわかりやすく話してくれるので、流れをつかむのは思ったほどは難しくはなかったです」

裁判員裁判がどんなふうに進むのか、本作を読むと、すんなり頭に入ってくる。候補者名簿に名前が載るところから始まって、公判前に数十人単位で集められ、その中から選ばれた補充を含めて八人の裁判員が、連日法廷に通い公判に臨む。

書くとき映像は

思い浮かばない

水穂、夫の寿士、寿士の女友だち、寿士の母、水穂の友だち、水穂の母……。夫婦、嫁姑、親子といった関係性から語られるたびに、里沙子の目に〈ごくふつうの人〉に見えた水穂という女性は、〈異常なプライドの高さ〉〈極度に自信をなくしている〉〈「気の毒」な暮らしをしている〉と姿を変える。家庭という〈二人きりの密室で、いったいどんなやりとりがあったのか〉も、どんどんわからなくなる。

初めての経験に押しつぶされそうになった里沙子は、ふとした誤解から陽一郎に、娘の虐待とアルコール依存を疑われる。裁判の影響で、夫や義母に対して疑心の念を深める里沙子の心の揺れが、息づまる心理ドラマとして描かれる。

「出版前にゲラを読んでいたとき、最後の最後に、実はこの里沙子という女がおかしくて、周りは何ひとつ悪くないんじゃないか、と思ってぞっとしたんですけど、まさに読み手がそう感じるように書きたかったので、ぞっとした後で、自分で『よっしゃあ』と思いました(笑い)」

ドラマ化・映画化された『八日目の蟬』以降、事件を題材にした社会派小説は、角田光代という作家の、ひとつの太い柱になっているように見える。

「一作一作、書く理由は違っていて、『八日目の蟬』の時は、生活ばかり書く作家だと言われたことがあったので、じゃあそれをやめてみよう、と事件を題材にしました。『三面記事小説』は、亡くなった寺田博さん(元「海燕」編集長)に『永井龍男が昔、書いたみたいに、平成の三面記事小説を書け』、と言われたのを思い出したからですし、『紙の月』は横領事件というよりへんな恋愛を書きたかった。自分の中では『社会派』というくくりではないですね」

裁判の途中で里沙子は、被告の住まいがかつて〈チラシで見た家〉だと気づく。本のタイトルは、被告と自分を重ねる彼女の心情を象徴して映像的だが、意外にも角田さんは「昔から、書くときいっさい映像が思い浮かばないタイプ」で、「坂の途中の家」は忌野清志郎さんの「多摩蘭坂」の中の一節だという。

「すごくいい歌で、ぜんぜん怖い内容でもない。小説はかけ離れているので、ちょっと申し訳ない気がします(笑い)」

□●構成/佐久間文子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2015年3・18号より)

初出:P+D MAGAZINE(2016/03/19)

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