「普通」の女子が持つきらめきや悩みを、みずみずしい言葉で表現  加藤千恵おすすめ4選

高校生歌人としてデビューし、2001年に刊行の歌集『ハッピー☆アイスクリーム』では、“そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた”などと、若い女性の飾らない気持ちを新鮮な言葉で表現して、短歌界に新しい風をもたらした加藤千恵。現在は、短歌にとどまらず、小説の世界でも活躍中の彼女のおすすめ作品4選を紹介します。

『卒業するわたしたち』――“卒業をおめでとうとは言えなくてありがとうって繰り返してた”「卒業」にまつわる甘酸っぱい13のエピソード


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 卒業式の日の気持ち、思いがけない出来事などを綴る、読み切りの短編と、その1編ずつにあわせた短歌を併録した1冊。
 「流れる川」では、中学校を卒業する百花ももかが、吹奏楽部の1年後輩の男子・横田に片思いを告白できない場面が描かれます。

単なる真面目な下級生、という印象が変化したのは、横田があたしと同じホルンパートに入ってからのことだ。
「こんな複雑な形を作り出して、この音色を作った人たちがいるんだなって思うと、感動しちゃうんですよね。ホルンの音色って、すごく味わい深いと思う。ホルンって、世界1難しい金管楽器って言われてるくらいだし、おれが頑張ったところでそんな簡単に吹けるようになるわけないんですけど。でも、毎日吹いてると、少しずつ音色も変わってきた気がするし、そういうのも嬉しいです」
 あたしは驚いていた。毎日同じ楽器を演奏しながらも、こんなにも思い入れが異なっていたんだということに

 しかし、百花の好意は横田には伝わりません。百花は、社会の時間に習った「越すに越せない大井川」(静岡県にある河川。流れが急で川幅が広く、かつては容易に渡れなかった)という言葉と、自身の境遇を重ねます。

1歳の年齢差は信じられないほど大きくて、大井川のようにあたしたちを隔てている。大人になってから横田と出会えたらよかったのかもしれない。そしたら、1つ違いってことなんて問題じゃなくなる

 成長期の1歳差は大きなことで、1つ年上というだけで、とてもお姉さんに見えてしまうもの。そして、この短編に添えられた短歌は、

あたしだけ卒業してく 心から祝われたならきっと悲しい

小説の世界と短歌が絶妙にマッチしています。
 他には、

学校は容れ物だから、明日あたしが高校を卒業したからといって、けしてあたし自身の本質が変化したりするものじゃないと思う。イチゴジャムを瓶から出して、お皿の上に乗せたって、それはおんなじジャムなんだから。甘さも赤さも変わらない

と、どこか醒めた目で、卒業に実感も感慨も湧かなかった女子高生が、卒業式でふいに涙を流すに至るシーンを描いた「胸に赤い花」、ひそかに好意を寄せていた男性教師から、「卒業祝い」として、携帯電話番号が書かれたメモをもらう「3月に泣く」なども収録。
 また、「卒業」を学校からの卒業だけにとどめず、より広義にとらえた作品もあります。母1人娘1人で生きてきた28歳独身女子が、母に結婚を先越されて、母から自立する「母の告白」、離婚した夫に未練があり、あわよくば元夫と再婚できるかも、と思っていた女性が、元夫から新しい恋人の存在を告げられ、ようやく吹っ切れる「春の雨」など。
 中でも、運動音痴から「卒業」しようと奮闘する女子大生の物語「引力に逆らって」は秀逸です。小さい頃から運動が苦手で、逆上がりが出来ないまま大人になったさくは、彼・和仁の特訓を受けることに。

「全然ダメだな。ひじがのびきってるし、地面もしっかり蹴り上げてない。上がらなきゃいけないのに、横にのびる感じになってる。脇が開きすぎだし、勢いもない。足、坂道を駆けのぼっていく感じにするといいかも。見えない坂道をイメージするっていうか」
 思いきり地面を蹴った。世界が逆さになり、空が見える。最初、何が起きたのかわからなかった。一瞬前に比べて、目線が高くなっている。できたんだ。逆上がり。1回転じゃないんだな、と思った。逆上がりは同じ場所に帰ってくるんじゃなくて、最初よりも高い場所にたどり着く。ここからしか見えない視線を手に入れる

この短編に添えられた短歌は。

目の前の世界は鮮やかに変わる わずかに足を踏み出したなら

卒業シーズンにぴったりの1冊です。

『あとは泣くだけ』――泣きたいのに泣けないすべての人に贈る、切なく胸苦しい短編集


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  大人になって、泣くのを我慢することが増えたと感じる人は多いでしょう。本作は、そうやって日頃涙をこらえている7人の物語です。
  なかでも、「被害者たち」と題された1編は、彼・ひふみからのDVを受けながらも別れられない理由を描いていて、迫真力があります。

初めてひふみが手をあげてきたのは、付き合ってから半年ほど経った頃だった。叩かれたのだ、とは思えなかった。れた、という言い方はひどく一方的で、わたしたちの場合にはあてはまらない気がした。どちらかがどちらかに何かをしたのではなく、共同作業に近かった。そしてそれは、2人とも望んだものではなかった。「ごめん」彼の口からは、同じ言葉が小声で繰り返されていた。ごめんなさい、とわたしも言った。わたしたちは2人とも被害者だった

 

怖かったのに、離れられなかった。ひふみの行為は無差別なものじゃない。彼を傷つけたり悲しませたりするわたしに理由があった。そうさせてしまう自分を憎んだ。わたしはひふみを助けてあげられない

 他にも、31歳で流産して以来、夫とはセックスレス、こちらから求めても拒否される40代の子どものいない主婦が、夫が部下の結婚式で「結婚に大切なのは対話だ」というスピーチをしていることを知ったときのやるせなさを綴った「恐れるもの」、父を早くに亡くし、母とふたりで生きてきた20代の女性が、母の呪縛がきつすぎて泣く泣くプロポーズを断ってしまう、いわゆる「毒母」がテーマの「触れられない光」、女子高で、どんなグループにも属さない1匹狼の女子とひそかに交流を深めていたのに、他の友達の目を恐れて、彼女のことを親友だと言えなかったというスクールカーストの闇を綴った「呪文みたいな」なども収録。ひとつひとつの話を読み終えたとき、日頃は蓋をしている感情が溢れ出し、封印している涙がこぼれそうになるかもしれません。

『点をつなぐ』――コンビニのスイーツ開発部で働く女子のお仕事小説。コンビニの舞台裏を知る楽しさも


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 滝口みのり・28歳。大学入学で北海道から上京し、業界4位のコンビニチェーンで働いています。

冬になると、人の味覚は濃厚なものを求める。甘いものもしかりだ。カップスイーツは、同じ商品であっても、冬に売る分は甘味を強くしていると人に話すと、たいてい驚かれる。実際わたしだって、開発に関わるようになってから知った。カップスイーツ開発は、入社時からの第1希望だった。

 新製品の開発のため繰り返す試食で満腹になり、平日はあまり自炊もしない、仕事中心の日々です。卵や砂糖の量のちょっとした差で食感の変わるケーキ、運送・陳列で崩れない極限まで柔らかくする杏仁豆腐……。私たちが普段何気なく口にする商品の開発秘話を知ることができます。
 みのりは、春に新発売する「さくらのパウンドケーキ」を作りましたが、最大手の他社の類似商品「れもんのパウンドケーキ」に大きく水をあけられてしまいます。最大公約数的に好まれそうなものを目指してきたのにヒットせず、失意のみのり。その時、開発に協力している取引先の製菓会社の男性社員・藍田32歳は、次のような助言を。

「全員に好かれるなんて、無理だと思うんです。すごく売れたり人気のあるものって、必ずしも、全員に好かれようって考えて作っているわけじゃないと思うんですよ。賛否両論ある商品のほうが、強く好かれる部分もあるのかもしれない。極端な話、僕たちが心からおいしいって感じるものを作れば」

 みのりは考えます。

開発する上で、世の中、というのを念頭に置いてやってきた。見えない多数の人々。彼らが好きなものはどれなのか。(中略)たまには違うやり方をしてもいいのかもしれない。みんなに好かれる商品です、ではなく、わたしが好きな商品です、と

 確実にヒットすると思っても流行らなかったり、反対に、意外なものがウケたりする、「人気」というあやふやなものに左右される仕事の難しさ。みのりは、市場調査と自らの直感で、バナナとジンジャーを組み合わせたプリンを新たに作ることに。その売れ行きはどうなるでしょうか。

『アンバランス』――36歳子なし専業主婦・夫とはずっとセックスレス。ある日知らされる、夫の衝撃の真相とは


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 25歳で結婚して以来11年、専業主婦の日奈子ひなこ。居心地のよいマンションで、勤勉な夫・由紀雄ゆきおとの暮らしは満ち足りていて、「ぬるま湯に浸かったような」毎日を過ごしています。親は早く孫の顔を見たいと言うけれど、親にも言えないある事情を抱えています。それは、由紀雄が男性不能だということ。結婚前にそのことを知らされていましたが、いずれ解決すると楽観視して結婚しました。

子ども。ずっと欲しいと思っていた存在を、わたしは今も持たないまま、持つ予定のないまま、ここにいる。話し合いを避けてきたのは、優しさのつもりでもあったし、自分の弱さに違いなかった

と日奈子が言うように、ずっとセックスレス状態。それでも、夫にプレッシャーをかけては逆効果だと、自分から子どもが欲しいとは言えず悶々とした日々を送ってきました。

(友人の)出産ラッシュを感じたのは、30歳にさしかかるあたりだった。話を聞いたり、実際に赤ちゃんを目にしたりするときに、心に一瞬よぎるものを、意識しないようにつとめていた。意識したら終わりだ、と思っていた。友人に行き場のないやるせなさを抱いてしまう。育児の大変さを語る友人たちは、それでも例外なく、どこか得意そうだった

 先に出産した友人や、弟嫁に対して、勝手にコンプレックスを感じてしまう日奈子。
 ある日、由紀雄の愛人だと名乗る女性が家に尋ねてきます。その女は、50代で太っていて、お世辞にも美しいとは言えない人でした。日奈子は、ラブホテルで半裸の夫の写真を突きつけられ、驚きと情けなさを感じます。

36歳。いつのまにか、自分はそんな年齢を迎えている。月経で排出される出血量が、明らかに減った。わずらわしさの減少ではあるが、排卵の消失に向かっているのだと思うと、怖くもある。夫とのあいだに、セックスがない今、わたしの膣は、排出器官としてのみ使われている。わたしが使われなかった子宮内膜を排出しているあいだ、何度もユキ(由紀雄のこと)は、あの女を抱いたのだ。あの女の膣に、性器を挿入して

 高齢出産といわれる年齢に達し、生々しくも正直な気持ちを吐露する日奈子。夫婦にとって性生活というのは軽視できない問題なのに、どうして夫と向き合って話し合わなかったのかが悔やみます。女性の方から切り出すことがためらわれがちなセックスレスの話題。それでも、日奈子が、初めて夫と真正面から話し合ったとき判明した、夫の幼少期のトラウマ、妻とセックスできない理由は衝撃的です。それを聞いた日奈子は、離婚して自立の道を探すのか、現状維持を望むのでしょうか。

おわりに

 小説のヒロインというのは、特別でなくてはならない――美人で恋多き女性とか、人にはない才能があるとか、あるいは反対に不治の病におかされているとか――と、私たちは考えがちです。けれど、加藤千恵が描く女子は、そうしたイメージに比べれば、いわば平凡。けれど、私たちの大半もまた「普通」の女子であり、著者は、その「普通」の中にこそある輝きや楽しさ、そこに潜む焦燥、苦悩、哀切感を描きだせることが魅力といえるでしょう。

初出:P+D MAGAZINE(2022/02/22)

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