アメリカの「ロストジェネレーション(失われた世代)」を知るための6冊

フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、フォークナー……「失われた世代」と呼ばれる作家たちの背景を代表作とともに解説!

1920年代から1930年代にアメリカで活躍した小説家たちは、失われた世代、ロストジェネレーションと呼ばれています。これはガードルード・スタインがヘミングウェイに投げかけた「You are all a lost generation.」(あなたたちは皆、失われた世代なのよ)という言葉が由来であり、広義では、20代の青年期に第1次世界大戦が勃発した世代のことを指しています。

近年では「自堕落な世代」(高見浩)とも訳されるこの世代の小説家たちはF・スコット・フィッツジェラルドアーネスト・ヘミングウェイウィリアム・フォークナーと、いずれもアメリカ文学の代表作となるような作品を多く残しています。今回はそんな失われた世代の小説家たちについて、キーワードと代表作をもとに迫ります。

 

失われた世代を読み解く3つのキーワード

1.「戦争」

20世紀前半の激動の世界を生きた文化人の例にもれず、失われた世代の小説家にとって戦争は、その後の作家人生に大きなインパクトを与える出来事でした。ヘミングウェイは第1次世界大戦に関わった経験をもとに作品を執筆しており、フォークナーとフィッツジェラルドは軍へと入隊しています。

彼らはその後も世界恐慌、第2次世界大戦といった大きな災いに次々見舞われるなど、貧乏くじを引き続ける世代でもありました。確かなものを築いたところで壊される、ということを繰り返す彼らの作品の多くが喪失感に包まれていたのも、生まれた時代が大きく関わっていたと言えます。

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第1次世界大戦は失われた世代の青春時代を蹂躙するだけでなく、彼らに虚無と絶望を与えました。人類史上で初めて毒ガスや戦車などの大量殺戮兵器が戦場に持ち込まれた戦争は、多くの知識人にとって人間性への信頼を根本から揺るがす経験だったのです。

「ロストジェネレーション」は時に「迷える世代」と訳されますが、それまでの価値観や指針が戦争によって無くなってしまい、途方に暮れる彼らはまさに「迷っていた」のだと言えます。未来に希望が持てず、酒や遊びに溺れていた様子を自堕落だと非難されていた彼らでしたが、同時に戦争で失われた価値観や秩序に変わる新しいものを模索していました。

 

2.「パリ」

失われた世代とは切っても切れない関係にあるパリ。第1次世界大戦の戦勝国であるアメリカは経済的な不満が解消され、大衆の興味は政治や戦争から「娯楽」へと移っていくこととなります。戦争の好景気と開放感に沸く狂乱の時代、「ジャズ・エイジ」を迎えたアメリカ人は、芸術的な雰囲気に浸ろうとパリに押し寄せます。

「失われた世代」の命名者であるガートルード・スタインのアパートメントは「芸術サロン」として、様々な芸術家たちが集まっては芸術について議論を交わす場となりました。そのなかにはフィッツジェラルド、スタインを文学の師と仰いでいたヘミングウェイのほか、ピカソやダリといった画家たちの姿も。その様子は、2011年に公開されたウディ・アレン監督の映画、「ミッドナイト・イン・パリ」でも描かれています。

しかし1920年代の大衆文化にあふれる享楽的なムードとは裏腹に、失われた世代の小説家たちは戦争により希望を持てなくなった世代でもあります。未来に希望を抱けない「迷子の世代」は、生きる目標や新しい希望を求めてパリにやってきたのかもしれません。

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3. 「モダニズム」

「モダニズム」と聞いてどんな芸術の潮流のことを指すのか、瞬時に分かる人は少ないかもしれません。それもそのはず、モダニズムとは20世紀の激変する世界の中で競い合うようにして行われた芸術実験の総体を表すような言葉だからです。

例えば、今では大衆娯楽として一般的なものとなった「映画」という表現が急成長をみせたのも、20世紀初頭の数十年のこと。その他にも電話や飛行機、大量生産される自動車など、20世紀は人間を取り巻く環境に目まぐるしい変化が訪れた時期でもありました。

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「失われた世代」の文学作品もまた、そんな20世紀前半の動向を反映した、モダニズムの傑作と言えるようなものばかり。大衆文化に深く根ざしたフィッツジェラルドの小説や、“もし作家が、自分の書いている主題を熟知しているなら、そのすべてを書く必要はない”という「氷山理論(アイスバーグセオリー)」を唱えたヘミングウェイ、「意識の流れ」と呼ばれる心理学的手法を用いたり、小説の時系列をバラバラに組み立てるなど、実験的手法を繰り返したフォークナーなど、新しい時代の到来にあわせた小説のあり方を模索し続けたのも失われた世代の特色でした。

 

失われた世代の代表作

それでは、以下に失われた世代の代表作を6作ご紹介いたします。

『グレート・ギャツビー』/F・スコット・フィッツジェラルド

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4124035047

アメリカが経済的に恵まれていた1920年代を舞台に、物語は主人公のニックの語りで進んでいきます。戦後、証券会社で働こうとニューヨークへとやってきたニックの新居の隣では、夜な夜な豪勢なパーティーが開かれていました。この大邸宅の持ち主は謎の大富豪、ギャツビーであり、ニックはある日パーティーに招かれます。そこで出会ったギャツビーはニックに生い立ちを語り始めるも、あまりに出来過ぎだとニックは疑い始め……。

この作品が出版された1925年は「ジャズ・エイジ」の時代であり、ギャツビーの屋敷で行われるパーティーのようにアメリカ全体が享楽的な空気に包まれていました。しかし、それも1929年に起きた世界大恐慌で突如終わりを迎えます。

「あと2週間で夏至なのよね〔…〕いよいよ日が長くなるって思いながら、その日をうっかり忘れてばかりなの」……これは小説序盤に登場するヒロイン・デイジーのセリフですが、夏の盛りにも終わりがあるように、史上空前の大繁栄を迎えた20世紀のアメリカは、まもなく“暗い季節”へと突入しようとしていたのです。

大富豪として成功を収めたものの、物語後半から徐々に転落していくギャツビーの姿に、そんなアメリカの運命を重ね合わせて読むのも面白いでしょう。

 

『夜はやさし』/F・スコット・フィッツジェラルド

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/486182480X

精神科医のディックは患者のニコルと恋に落ち、やがて結婚します。2人の関係が上手くいっていたのは最初ばかりで、やがて不安定になっていくニコルの傍でアルコール依存症に陥るディックの人生は転落していくのでした。

『夜はやさし』もまた、輝かしい将来を約束されたはずの主人公が転落していく物語です。狂乱の時代に小説家として地位も名誉も得たはずが、世界大恐慌によりフィッツジェラルドは過去の人に成り下がりました。アルコールに溺れる主人公と精神を病んだ妻に自身と妻のゼルダを投影させた、自叙伝的な作品と言われています。

2人が悠々とバカンスを過ごす描写が華やかな印象を与えるのとは裏腹に、どこか不吉な“終わりの予感”が小説のなかで徐々に確実なものになっていくさまは「グレート・ギャツビー」と共通する要素とも言えるでしょう。患者であり妻でもあるニコルの存在との関係を通じて、ゆっくりと崩壊していくディック。甘美で緩慢な“終わりの風景”のなかに、鋭い痛みが隠された名作です。

 

『日はまた昇る』/アーネスト・ヘミングウェイ

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/410210013X

アメリカ人の青年がパリで出会った仲間たちと複雑な人間ドラマを繰り広げながら、スペインで遊び暮らす毎日が描かれたこの作品は、ヘミングウェイ自身の実体験がもとになっています。

主人公であるジェイクを中心とする若者たちのスペイン生活はあらんばかりの享楽で彩られていますが、当のジェイクは戦争の後遺症で性的不能に陥っていることからも明らかであるように、放蕩の限りを尽くしながらも、そこにはどこか倦怠の空気すら漂っています。

「ああ、ジェイク」ブレットが言った。「二人で暮らしていたら、すごく楽しい人生が送れたかもしれないのに」
「ああ」ぼくは言った。「面白いじゃないか、そう想像するだけで」

どれだけ時代に絶望しても、毎日はやってくる……そんな諦めにも似たやるせないフラストレーションを抱えたアメリカの若者たちと、生と死の緊張のなかで優雅に仕事をするスペインの闘牛士との鮮やかなコントラストがもたらす小説終盤の展開は必読です!

 

『武器よさらば』/アーネスト・ヘミングウェイ

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4102100148

実体験をもとにした『日はまた昇る』と同様に、ヘミングウェイの戦争中の恋愛経験をモデルに書かれた『武器よさらば』。イタリア兵に志願したフレドリックは、戦場で看護婦として働いていたキャサリンを恋に落ちます。しかし戦況は悪化したことからフレドリックは戦場を脱走。その途中でキャサリンと再会したことから、2人は新天地のスイスで幸せな生活を送ろうとします。しかし、そんな2人の運命を待ち受けていたのは、あまりにも痛ましい悲劇でした……。

「あんたのほうこそ出ていってくれ」ぼくは言った。「もう一人も」

しかし、彼女たちを追いだし、ドアを閉めて、ライトを消しても、何の役にも立たなかった。彫像に向かって別れを告げるようなものだった。しばらくして廊下に出ると、ぼくは病院を後にし、雨の中を歩いてホテルにもどった。

アメリカのハードボイルド小説の精髄をぎゅっと詰め込んだようなこの有名な結びの一節のなかで、「氷山理論」の提唱者であるヘミングウェイは、泣き出したくなるくらいウェットな感情をあえて言葉にせず、主人公を包む雨にその涙を委ねているかのようです。

 

 

『響きと怒り』/ウィリアム・フォークナー

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4003232348

『響きと怒り』はミシシッピ州の架空の町、ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台に、アメリカ南部の特権階級だった一族、コンプソン家が没落していく様子を4人の視点から描いた長編小説です。それぞれまったく異なる視点と文体を用いることによって、コンプソン家の一人娘であるキャディへと向けられる愛憎と、彼女の失われた純潔について実験的手法で表現したこの作品は、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』やヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』とともに、モダニズムの傑作のひとつとして知られています。

純潔というのは否定形の状態で だから自然に反しているのさ。おまえを苦しめているのは自然であって、キャディじゃないんだ。そこで僕が それはただ言葉の上の理屈です と言うと お父さんは 処女性も同じさ と言い そこで僕が お父さんにはわからないんです わかるはずがないんです と言うと お父さんは いや わかるよ。あらゆる悲劇が二番煎じだとわかったとたんに処女性も単なる言葉にすぎないとわかるのさ。

上の引用はコンプトン家の長男、クエンティンの独白ですが、キャディと近親相姦を犯したという妄想にとりつかれ精神を病んでいる彼の内面を語る言葉は、彼の意識の乱れがそのままページ上に再現されているかのよう。他にも、第一の語り手として登場する末っ子のベンジーは知能に障害を抱えているため、場面から場面へとなんの前触れもなく時間系列がスキップするように小説が書かれます。

フォークナーの実験精神の結晶である『響きと怒り』を初めて読む読者は、まずその読みにくさに当惑することでしょう。しかし、その読みにくさを丁寧にときほぐしていくと、他に類をみないほど濃密なリアリティーとともに一族の悲劇が立ち現れてくるのです。

 

『八月の光』/ウィリアム・フォークナー

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4102102019

アメリカ南部の架空の町、ジェファスンを舞台として小説を書き続けたフォークナー。小さな 土地を取り巻く人間関係の描写を通じて、〈歴史〉や〈社会〉といった壮大なテーマを読者にかいま見せるその文学世界は、あの中上健次をして自らを「フォークナーの落とし子」と語らせるほど、後世の作家たちに絶大な影響を与えました。

なぜフォークナーは「アメリカ南部」という地域性にこだわり続けたのか?そこには、南北戦争以来、アメリカという大国における「敗者」としての運命を背負わされた人々へのシンパシーと、旧態依然とした因習社会への反発のどちらもがあったことでしょう。

お腹の子の父親を探して田舎からやってきた若い娘、リーナ・グローヴと、自分が白人なのか黒人なのかわからない男、ジョー・クリスマスという2人の人物のストーリーが縒れ合うように展開する『八月の光』は、そんなアメリカ南部社会で生きるということの苦悩を凝縮しながらも、生と死、善と悪という普遍的なテーマを読者に突きつける大傑作です。

 

 

おわりに

いかがでしたでしょうか?

失われた世代の作品には、未だに古びれることのない斬新さと、苦悩に満ちた青春の香りが漂っています。

それは、世界大戦と技術革新、そして大衆社会化という大きな変化の相次いだ20世紀前半の世界を生きた彼らが、旧態依然とした世界からの解放と、新しい社会の到来に対する迷子のような怯えとの両方を同時に経験した世代だったからなのでしょう。

私たちが生きている現代は、そんな彼らが作家としてのデビューを果たした1920年代からおよそ100年後の世界。この100年でアメリカは、世界は、どのように変化したのか?それとも、そこには変わらぬ悩みがあるのだろうか?それを知るために、失われた世代の残した傑作を手にとってみてはいかがでしょうか。

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/06/01)

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