文学に学ぶ、「略奪愛」の作法【文学恋愛講座 #14】
大好きな人にすでに特定のパートナーがいるとき、相手を“略奪”する──というのはひとつの方法です。近代から現在に至るまで、文学作品の中には、そんな「略奪愛」を赤裸々に描いた名作が数多く存在します。今回の文学恋愛講座では、3つの文学作品を教科書に、後悔しないための「略奪愛」の作法を解説していきます。
心から好きになった人に、すでに恋人や特定のパートナーがいる──という状況に陥ったとき、私たちが選ぶことのできる選択肢は3つあります。つまり、「諦める」、「別れるのを待つ」、「略奪する」の3つです。
中でもいちばん難易度が高いのは、説明するまでもなく、最後の「略奪する」でしょう。誰かの心を奪うには、奪うことそれ自体のスキルだけでなく、相手のパートナーを深く傷つけたり、周囲との関係が悪化することを自ら引き受ける覚悟も必要です。
近代から現在に至るまで、文学作品の中には、そんな「略奪愛」を赤裸々に描いた名作が数多く存在します。今回の文学恋愛講座では、選りすぐりの文学作品を教科書に、後悔しないための「略奪愛」の作法を解説していきます。
【ケース1】略奪の罪悪感に耐えられなかった男──『門』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101010064/
愛する相手をパートナーから奪うという行為は、常に大きなリスクを伴います。最初にご紹介するのは、“略奪”の重圧に自ら耐えることができなくなってしまった悪い例です。
文豪・夏目漱石が1910年に発表した長編小説『門』では、親友の妻を略奪したばかりに、生涯その罪悪感に悩まされ続ける宗助という男の姿が描かれます。
宗助には、かつて親友だった安井の妻・
宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思をどこかに抱かしめた。彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。
二人の頭の中で沸き返った凄い泡のようなものがようやく静まった時、二人は安井もまた半途で学校を退いたという消息を耳にした。彼らは固より安井の前途を
傷 けた原因をなしたに違なかった。次に安井が郷里に帰ったという噂を聞いた。次に病気に罹って家に寝ているという報知を得た。
妻を宗助に奪われた安井がそのショックから故郷に帰り、床に臥していたころ、宗助は御米との恋愛を理由に両親から勘当され、大学を中退することになってしまいます。それ以来、宗助は御米と暮らしながらも一度も心の平安を得ることができず、ついには安井が家の近所に帰ってくるという噂を聞きつけ、恐怖感から鎌倉の寺に10日間の座禅に行くことを決意するのです。しかし、宗助は結局10日間の修行の中で“悟り”の境地に達することができず、虚しさとともに帰宅するのでした。
親友から奪うほど愛していたはずの女性を得ても、本格的な座禅修行をしてもなお、“罪悪感”という枷から生涯逃れられなかった宗助。この作品から得られる教訓は、相手のパートナーを不幸のどん底に追いやるという覚悟と図太さがなければ、決して略奪という選択肢を選ぶべきではない、ということでしょう。
【ケース2】「奪われたい」気持ちを「恋」と錯覚した女──『それからのこと』
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続いてご紹介するのは、
そしてある日、三千子は、平丘がいない時間帯に家にやってきた大輔をそれとなく誘惑し、大輔に三千子を奪わせるのです。
「(中略)今だって、好きだよ。だから平丘が君を寂しがらせていることが腹立たしいし、なんとかしてあげたいと思っている」
「本気なの?」
「本気だよ、嘘なんか言わない」
「じゃあ、どうして奪ってくれないの? 私を──言葉だけじゃなくて、身体も」(中略)
大輔は私の視線から逃れるように、私の頼りない肩を抱きよせます。
「僕のものになって──」
結局その後、三千子は平丘と別れ、大輔と交際を始めます。
ここまでであれば、ふたりの関係を“純愛”ととることもできるでしょう。しかし、三千子の気持ちはそれだけでは収まりませんでした。大輔との関係が続き、しだいに大輔の横暴さや計画性のなさに不信感を覚えるようになってきた三千子は、なんと、再び平丘を誘惑しようとします。
“大輔に殴られた”と嘘をつき、平丘の同情を引く三千子。三千子の話を本気にした平丘は、“どうして、手放してしまったんだろう”と彼女を抱き寄せ、三千子を再び奪い返すことを決意するのです。
……みなさんもおわかりの通り、三千子はおそらく、本質的には大輔のことも平丘のことも愛していません。彼女はただ、自分が誰かに狂おしいほど求められ、「奪いたい」と思われる対象になることでしか欲望を満たせないのです。
恐ろしいようですが、実は現実世界にも、三千子のような性質の人は少なからず存在します。パートナーのいる相手に恋をし、その相手が自分に奪われることを望んでいる──と感じたときは、その気持ちが本当に恋なのか、あるいは三千子のような一種の性癖であるのかをよく検討しなければなりません。
【ケース3】正々堂々と「奪う」宣言をした男──『友情』
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最後にご紹介する武者小路実篤の『友情』は、三角関係の末の“略奪”が成功した非常に貴重なケースです。
主人公の野島は、友人の妹である杉子に盲目的とも言えるほどの恋をしています。野島は自らの恋心を親友の小説家・大宮に打ち明け、それを聞いた大宮は、ふたりの恋の後押しをする──と約束します。
しかしながら、無情にも杉子の気持ちは野島ではなく大宮のほうに向いていました。大宮は“後押しをする”と親友に約束した手前、はじめは杉子の告白を拒否しますが、結局、親友である野島から杉子を奪うことを決意します。
通常であれば、この時点で野島と大宮の友情は確実に決裂してしまうことでしょう。しかし、大宮は自分と杉子との関係を野島に隠そうとはせず、それどころか同人雑誌にふたりの馴れ初めを小説として載せるという選択をとるのです。
あまりにも正々堂々と“略奪”を宣言された野島。彼はその小説を読んだあと、
君よ、仕事の上で決闘しよう。
死んでも君達には同情してもらいたくない。僕は一人で耐える。そしてその淋しさから何かを生む。
という力強い手紙をしたため、大宮のもとに送るのでした。
この物語から私たちが得られる教訓は、“奪う”側はどこまでも正々堂々としているべきだということ。奪われた相手のパートナーが自分を強く憎むことは覚悟した上で、それでも相手を愛し続けるという強い気持ちを持てる人だけが、“略奪”という最終手段を選ぶことを許されるのです。
おわりに
ここまで挙げてきた文学作品の結末からもわかるように、基本的にすべての“略奪”は茨の道です。しかし、あらゆる苦難を乗り越えた上で好きになった相手を幸せにしたいという強い意志があるのなら、“略奪”はむしろ恋愛における最短ルートにもなりうる可能性を持っています。
どんな手を使っても交際、あるいは結婚したい相手がいる──という方は、今回ご紹介した作品を参考に、“略奪”を企ててみてもよいかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2019/06/25)