疲れた心のオアシス 瀬尾まいこのおすすめ小説5選
『そして、バトンは渡された』で2019年本屋大賞を受賞した瀬尾まいこ。元中学校教諭という経歴の持ち主で、若者の悩みに優しく寄り添う作品が魅力です。瀬尾作品は、さしずめ疲れた心のための常備薬。処方箋のような小説5作を紹介します。
『そして、バトンは渡された』で2019年本屋大賞を受賞した瀬尾まいこ。
(詳細はこちらhttps://shosetsu-maru.com/recommended/book-review-485/)
元中学校教諭という経歴の持ち主で、若者の悩みに優しく寄り添う作品が魅力です。その作風の温かさは、芸能界きっての読書家・稲垣吾郎に、“瀬尾さんって、いい先生だったんだろうな”と言わしめたほど(『週刊文春WOMAN』2019年夏号「談話室稲垣Goro’s salon―小説の書き方教えてください」ゲスト・瀬尾との対談より)。瀬尾作品は、さしずめ疲れた心のための常備薬。処方箋のような小説5作を紹介します。
~自分は親から愛されていないのではないかと悩む人へ~『卵の緒』
https://www.amazon.co.jp/dp/4838713886/
僕は捨て子だ。子どもはみんなそういうことを言いたがるものらしいが、僕の場合は本当にそうだから深刻なのだ。まず、「僕は捨て子なの?」と聞いたときのばあちゃんやじいちゃんのリアクションが怪しい。二人ともギョッとした顔で、「何バカなこと。そんなわけないじゃないの」と笑う。おどけた口調がなんともうそくさい。だいたい本当に捨て子じゃないなら、こんなたわいもない子どもの質問には、どーんと構えて、「そうよ。あんたは大和川の橋の下で拾ってきたのよ」などと切り返すのがいいのだ。そして、驚くことに母さんの僕に対する知識があやふやなのだ。「え? 育生ってトマトダメだっけ?」などと今頃になって言い出したりする。僕に捨て子だと悟られないように、もっと勉強しておくべきだ
育生は、27歳のシングルマザーと二人で暮らす小学4年生。物心ついたときから父はおらず、自分は捨て子ではないかと疑心暗鬼になっています。ある日、育生の捨て子疑惑に拍車をかける出来事が。それは、学校の宿題で、自分が赤ちゃんだった時のへその緒を見せてもらってくるというもの。先生曰く、へその緒は親子の証し。育生はさっそく母に「へその緒見せて」と言います。それに対して母は、
またおかしな知識を身につけてきたのね。まったく学校ってのはろくなこと教えないねぇ。母さんは、育生は卵で産んだの。だから、へその緒じゃなくて、卵の殻を置いているの
とかわしてしまいます。けれど、そんな子供だましが通用する育生ではありません。人は卵からは生まれないと学校で習ったと猛反論。それに対して母は、
教師の言うことを鵜呑みにしていては賢くなれないぞ。世は二十一世紀よ。人間が月へ飛んでいくのよ。卵で子ども産むくらいなんでもないわよ
と煙に巻いてしまいます。母曰く、親子の証しは目には見えないものだとか。それでも育生は納得できず、自分と母は血のつながった親子でないと確信を深めました。
それから数か月後、育生はひょんなことから、母がどうして自分を引き取って育てることになったのか、隠された過去を知ることに。一見いい加減に見える母が、見るべきところはしっかり見ている人であることに気づいた育生は、いかに自分が親のことを表面的にしか見ていなかったかに思い当たるのです。
第7回坊っちゃん文学大賞受賞作です。読み終わったとき、あなたも自身の親への見方が少し変わるかもしれません。
~毎日が何となく退屈だと思っている人へ~『幸福な食卓』
https://www.amazon.co.jp/dp/4062756501/
難病にかかっているわけでも、壮絶ないじめに遭っているわけでもない。特別不幸なわけではないけど、代わり映えしない毎日には倦んでいる。本作のヒロイン・中原佐和子も、ご多分に漏れず、そうした平凡な中学生の一人です。
ある日、佐和子の隣の席に転校生・坂戸君がやって来るのですが、これがとんでもなくいけ好かないやつ。教科書を忘れたと佐和子に言い、佐和子がどういう反応をするかを観察します。実は、坂戸君は教科書を持ってきていたのですが、わざとカマをかけて、佐和子がどういう人物か手っ取り早く見極めようとしたのです。転校の多い坂戸君の一種の処世術ですが、佐和子にとっての第一印象は最悪でした。
けれど、一つだけいいことがありました。佐和子が苦手な給食の鯖が、坂戸君の大好物だということです。
「また、鯖。この間、塩焼きで出たばっかりだよ。日本の海って、鯖しか泳いでないのかな」
「あのな。給食の鯖は、ほとんどがノルウェーからの輸入なんだぜ」
「じゃあ、なんでこんなに出るの?」
「安いし形も均等だから、給食向きなんだ」
「ふ~ん。塾って、そういうこと教えてくれるの?」
「そんなわけないだろ」
「どうしたら給食から鯖を追放してくれるかなぁ」
「ま、今日のところは俺が食っとくわ。朝、食ってないから丁度いいんだ」
佐和子にとってはラッキーな展開ですが、それは長くは続きません。親の身勝手な都合で学校を転々としている坂戸君は、すぐまた他所の学校へ移ることが決まったのです。
「俺、本当は鯖って大嫌いなんだ。昔ばあちゃんが鯖寿司食べて顔が腫れたんだよね。それ見て以来、俺鯖って食べられないの。気持ち悪くてさ」
坂戸君の告白に私はかなり驚いた。鯖は彼の大好物だったはずだ。
「でもいつも私の分まで食べてくれてたじゃない」
「すごいだろ? 気づかないところで中原っていろいろと守られてるってこと」
人はみんな、「気づかないところで守られている」というのが、本作のテーマです。幸せや恋は、がむしゃらに探すものではなく、そこにあることに気づけるかどうかだということを、坂戸君は教えてくれています。
~きょうだいにコンプレックスのある人へ~『戸村飯店青春100連発』
https://www.amazon.co.jp/dp/416776802X/
大阪は下町の中華料理屋・戸村飯店のヘイスケとコウスケは年子の兄弟。高校卒業と同時に、兄ヘイスケは家業を継ぐのがイヤで、下町の家を出て上京します。
夏目漱石の「坊っちゃん」にも、ずる賢い軟弱な兄貴が出てきたけど、うちの兄貴も劣らない。読書感想文など、本も読みもせず、「もう、ここまで有名な文学作品のあらすじを語る必要などない」の逃げの一文ではじめ、裏表紙の解説に目を通すだけで、教師の喜びそうな言葉を並べて仕上げた。それが教師の絶賛を浴びたのだ。要領がいいから勉強もスポーツもそれなりにできるし、口がうまいから教師の機嫌をとるのも女の子をその気にさせるのもうまい。その上男前だ。
弟は兄に対して辛辣で、兄が店の手伝いをして包丁で指を切ってばかりいたのも、店を継がされてはかなわないからという彼一流の「演技」だと睨んでいるのです。けれど、兄には兄の言い分があるようで……。
小中高、俺の通信簿には「順応性があって、誰とでも協力できます」とか「誰とでも気が合い、皆に慕われています」ってお決まりのように書いてあったけど、まったく教師って表面しか見ていない。そりゃ、TPOをわきまえてるから、学校って場ではそこそこうまくやろうとはする。けど、ぴったりはまってると感じる場所にいた経験など生まれてこの方ない気がする。家では常連客のおじさんから、「ヘイスケ、なんやおすましして、ええ恰好しいや」と言われ、居心地が悪かった。
出来の悪い子ほど可愛いと言いますが、兄は、不器用でうだつが上がらなくても気のいい弟の方が、結局親からも常連客からも愛され必要とされていると嫉妬して、家を出た様子。兄と弟、交互の独白を読み進めれば、相手も、あなたの知らない意外なコンプレックスを抱えていることに気づけるかもしれません。
兄弟の煩わしさにうんざりするコウスケですが、コウスケの親友で、兄弟がいない北島君にかかれば、
そんでもうらやましい。目の敵にしてみたり、仲悪くなってみたり、結局はなんかええ感じや。僕も兄ちゃんか弟がほしいわ
ということに。本書を読めば、きょうだいに対する見方がちょっと変わるかもしれません。
~今、自殺したいと思っている人へ~『天国はまだ遠く』
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流行の「おひとりさま」旅行、その目的は自殺でした。23歳のOL千鶴は、仕事にも恋にも行き詰まり、電車を乗り継いで日本海側のさびれた民宿にたどり着きます。
全部で十四錠ある。これだけ一気に飲めば死ねるだろう。薬を飲んで、布団に入れば、それでいい。もう、考え直すことも、今までのことを振り返ることもしなくていい。そんなことはさんざんやってきた。何も考えることもない。死んだらそこで終わり。
……のはずが、千鶴は二晩こんこんと眠り続け、翌々朝、花びらが開くように目を覚まします。ぐっすり寝たため、体調は絶好調。事情を知った民宿の主人・田村は、千鶴を腫れ物扱いすることもなく、
なんか一昔前の漫画やな。今時、睡眠薬で死んだなんて聞いたことないで。そやったら、眼鏡橋行ったらよかったのに。あっこやったら的中率高いで。薬より手っ取り早く死ねるわ。今の時期やったら、役場の係の人が来てすぐ遺体片づけてくれるで、安心や
などと、飄々と自殺の名所を吹聴するのです。客に向かって物騒なことをいう主ですが、この一言が千鶴にとっては荒療治でした。他人から自殺を勧められ、かえって自殺する気力を失くすのです。
仕事も恋人との関係も清算して来た千鶴には、明日からの予定が何もなく、当面民宿に泊まることに決めました。そこで千鶴は、田村と共に自給自足の暮らしを体験します。自分の手で刈った新米の甘さを知り、舟に揺られて吐きながら魚釣りに行き、顔をそむけながら鶏の首をひねり羽をむしる。ここでの生活は生と死が常に隣り合わせで、命を「いただく」ということに自然と厳粛な気持ちになる千鶴でした。千鶴は、田村の客商売らしからぬ人当たりの悪さに戸惑いつつも、「自殺したかったらすればいい」と言い放った彼特有の考え方がどこから来るものなのか、次第に分かり始めるのです。
自殺をする前に一読することを強く勧めたい、あなたの死生観を揺さぶる「御守り」のような一冊です。
~現在引きこもっている人へ~『傑作はまだ』
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主人公「俺」は、引きこもり系アラフォー純文学作家。ほとんど外出もせず、人とも関わらず、自宅に自主的に缶詰めになって原稿用紙の升目とにらめっこの日々。ところがある日、生き別れになっていた息子が突如「俺」んちへ突撃お宅訪問し、居候を開始。「俺」のベタ凪の日常が急変します。
息子は当初、父の引きこもり生活をこのように評します。
「引きこもるのって、俺が想像していたより悪いことじゃないかも。外に出なければ、ウィルスに感染することもないし、危険もないから怪我もない。人と接することがなければ、気持ちが通じなくてイライラしたり相手の反応に不安になったりすることもないから、ストレスも溜まらないしさ。実は引きこもりって心身ともに健やかにいられる究極の状態なのかもね」
息子は、嫌味でも皮肉でもなく、心から引きこもりのメリットを認めている様子。ところが、ローソンでバイトしている息子が、父に差し入れしたところ……。
「からあげクン食べる?バイト上がりに買ってきたんだ。まだ温かくておいしいよ」
「君は関西に住んでいたの?」
「どうして?」
「関西の人は豆に“さん”つけたり、飴に“ちゃん”つけたり、食べ物に敬称をつけて呼ぶことがあるからさ」
「おっさん、本気かよ。これはからあげクンっていう食べ物なの。クンも含めて商品名」
世間から隔絶されて、浦島太郎状態になっている「俺」を息子は心配しだします。
また、息子は、父の小説を勝手に読んで次のようにダメ出し。
「おっさんの小説、青年が北陸を訪ねて、鯵の刺身を食べて『獲れたてだけあって身がふんわりとしておいしいですね』って言うんだぜ」
「それの何が悪いんだ?」
「日本海側の魚のよさは身の締まりだろう。鯵の刺身がふんわりって腐りかけじゃない?」
「小説はフィクションだ」
「へえ。そういう部分は適当でいいんだ.」
息子のもっともな指摘にはさすがの「俺」もこたえたようで、もっと外の世界に出て行かねばと考え直します。息子は、
百冊の本を読むより、一分、人と接するほうが十倍の利益がある
という信条の持ち主。息子は、父の町内会の活動やカフェへのデビュー作戦を画策します。人間の闇に迫った小説を書き過ぎて、他人に対して疑心暗鬼、性悪説に傾く「俺」に対し、根っからが性善説の息子は、世の中に100パーセント悪意の人などそうそういないとを身をもって伝えようとします。
息子の手引きで、外の世界とつながるようになった「俺」は、果たしてどんな「傑作」を完成させることになるのでしょうか。
引きこもりの「俺」が少しずつ外の世界に心を開いていく過程を、きれいごとはなしに丁寧に描いた本書は、引きこもっている本人及びその家族の「参考書」になるはずです。
おわりに
ハートウォーミングな作品で、疲れた心を癒してくれる瀬尾まいこ作品。本を開けば、あなたの悩みの解決策が見つかるかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2019/09/30)