採れたて本!【エンタメ#11】
「少女」という言葉からは、何がイメージされるのだろう。一般に少女漫画といえば基本的にクラスメイトとの恋愛、という印象が強そうだ。あるいは少女時代といえば自我に悩める内気な時期というイメージだろうか。しかし私は実際に自分が少女だった時、頭のなかの最も大きい面積を占めていた葛藤は、「友達」についてのトピックスだったことを、よく覚えている。友達関係のなかで自分という存在を規定し、友達との関係が少しでも歪むと自分ががらがらと崩れたような感覚になる。そのような脆弱な自我の揺れを「友達」によって固定しようとしていた時代、それこそが「少女」だった頃のイメージなのだ。──もちろんこれは私個人の思い出の話なのだが。
しかし本書を読んで、そのようなイメージが、あながち個人的と言い切れないのではないか、と感じるようになった。つまり案外、少女たちが「友達」との関係にそのすべてに近いなにかを預けているという事実は、普遍的なことなのかもしれない。そう思うようになったのだ。長々と前置きを書いてしまったが、それは本書が紛れもなく、少女時代の「友達」をめぐる物語だからである。
本書は少女たちを主人公に据えた連作短編集となっている。たとえば「胡蝶は宇宙人の夢を見る」の語り手・依子は、妄想の世界に入り込むのが癖になっている。そのため彼女はクラスになかなか馴染めず、唯一「友達」と心から言えるのは、小学生の時からの友達さきちゃんだけだった。だがさきちゃんとの関係も、最近変化を迎えている。
あるいは次に続く短編「真夜中の成長痛」は、さき視点で描かれる。彼女は最近、深夜アニメという共通の趣味を介して、おのちんと琴ちゃんという友人を得た。仲良くなる三人だったが、その関係はある出来事から気まずくなってしまう。──と、他の四編も、連作短編集の形で、教室にいる少女たちの「友達」をめぐる葛藤と孤独を描いてゆくのだ。
誰だって、できることなら、仲良くいたい。気まずくなんてなりたくない。しかしどうしたって、日々変化する少女たちの関係性は、少女たち自身を傷つける。人間関係に絶対的なユートピアなんて存在しない、という事実を受け入れるには、彼女たちはまだ幼い。
しかしだからこそ自分自身そして友人と折り合いをつけながら、もがく姿に、私たち大人もまた励まされる。少女たちの人間関係への葛藤は、人間関係にもがく大人たちが忘れてしまったものを映し出しているのかもしれない。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
小学館
〈「STORY BOX」2023年8月号掲載〉