立原正秋の“幻の作品”『海の見える街』発掘される!

昭和を代表する稀代の流行作家・立原正秋”幻の作品”が50余年ぶりに発掘されました。その作品名は『海の見える街』。1965年「中学三年コース」5~10月号に6話連載されただけで、過去に一度も単行本化されていません。その貴重な作品に寄せられた池上冬樹氏による書評をぜひご一読ください。

昭和を代表する稀代の流行作家・立原正秋”幻の作品”『海の見える街』が、実に50余年ぶりに発見されました。『海の見える街』は、1965年「中学三年コース」5~10月号に6話連載されただけで、過去に一度も単行本化されていない、いわば、“幻の作品”です。

中学3年生の主人公・藤子の初恋とその別れを描いた淡い青春ストーリーで、若々しさを感じさせながらも、立原正秋特有の清冽な文体で描かれ、大人の鑑賞にも耐えうる展開となっています。

今回、“立原ファン”を公言する文芸評論家・池上冬樹氏が、自身も初めて『海の見える街』を読んで、書評してくれました。

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“不思議な叙情性”に立原ワールドが垣間見れる一作—発掘作『海の見える街』書評

池上 冬樹

いやはや、まさか立原正秋に埋もれた作品があるとは思わなかった。時期も媒体にも驚く。昭和40年(1965年)の5月から6回、何と「中学三年コース」に掲載されたという。
昭和40年というのは、1月に長篇書き下ろし『恋人たち』(名作! ストーリーテラーとしての立原正秋の魅力が出ている小説で、立原正秋入門書としては最適ではないか)が刊行され、「新潮」4月号には「剣ヶ崎」が掲載されて芥川賞候補になり(芥川賞候補は前年の「薪能」に続いて二度目)、9月「別冊文藝春秋」第93号に発表した「漆の花」が直木賞候補になり、同94号には「白い罌粟」を発表する。そして翌41年1月には「白い罌粟」で直木賞を受賞するのだから、立原正秋が文壇で華々しく認められた年といっていい。
いまあげた作品はいずれも硬質の叙情をほこる緊密な秀作であり、立原文学の初期の名作に数えられるものだが、そのような充実した時期にジュニア雑誌に小説を連載したとは知らなかった。年譜でも一切記述がないところをみると、立原自身が封印した作品なのかもしれない。でも、断簡零墨すべて読んだと思っていたファンには、たとえ封印した作品でも、未知の小説に触れられるのは何ともいえない喜びである。

今回発掘された『海の見える街』は、相模灘が見える海岸の街の中学に通う瀬戸藤子と従兄弟の高校生橋川一彦の淡い恋心を描いた小説である。中学三年の藤子の家は代々カトリック教徒で、藤子も熱心に教会に通っている。高校二年の一彦は母親を亡くし、楽団でピアノを弾く父親と二人暮らし。一彦のまわりには男友達がいて賑やかだが、しかし一彦は病に倒れ、入院することになり、あとは読者の想像通り、一彦の死で小説は終わる。
一読して、立原正秋が小説を表にしなかった理由がわかる。甘いのである。物語として弾みがつくまえに最後まで来てしまったという印象。その原因はやはり「中学三年コース」という発表媒体にあるだろう。あまり立原正秋的な激しいキャラクターを出すことがかなわず、消化不良のところがある。ただ、それでも、立原正秋の文学の中に置くと、いくつかのことが思い出される。
まず、この作品を読んで、ヒロインの名前「藤子」から、僕は初期短篇の『接吻と五つの短篇』(昭和35年)を思い出した。大学を卒業したものの就職していない無頼派風の青年、矢方七郎を主人公にした連作で、五作のひとつ「挨拶」という掌編では、喫茶店での元恋人藤子との再会が描かれる。ただし七郎が“莨をもった右手をあげ、ようと声をかけた”とき、“ようと応じ、七郎じゃないかと”返事をしたのは藤子の後ろから来る若い男だった。七郎と藤子はあたかも初対面のように装い、七郎は藤子との過去を回想する。金がないので寺院の本堂やカトリック教会の聖堂、湖を見下ろす裏山の草原で“痺れるようなあそび”をした。草原ではならず者たちに見られてしまい、“いやあね、みられたじゃないの”と藤子はいい、七郎は“下種どもだよ”と返し、ひやかしたならず者たちと殴り合いの喧嘩をして勝つ。七郎は藤子に求愛するものの、藤子は、京都の酒造問屋の息子と結婚してしまう。藤子とはいっさい話をすることもなく、男が置いた名刺だけがテーブルに残される、という話である。

『海が見える街』の一彦の父親は“あまり有名ではないピアニストで、なくなったおばもピアニストであった。おじは、自分が果たせなかった夢を、むすこの一彦にかけていた”とあるように、一彦も音楽大学を目指してピアノの練習に余年がないのだが、実は立原正秋は、父と息子ではなく、ピアニスト同士の母親と娘の確執を翌41年に描いている。『狂い花』である。48歳の母親と28歳の娘の藤子が、男をめぐって争う話で、陰惨で、最後には母親が首吊り自殺をし、それを娘が目撃する場面で終わる。
いうまでもなく、「挨拶」の藤子も、『狂い花』の藤子も、『海の見える街』の藤子とは関係がない。少女であるということもあるが、男と積極的に交わる性格と正反対だ。
ついでに、男と積極的に交わる女性像とカトリックという点で、僕は『七月の弥撒』(昭和42年)も思い出した。『接吻と五つの短篇』がそうだが、立原正秋の初期には無頼派風の青年と女たちの関係を描いた短篇がいくつかある。そのひとつが「七月の弥撒」で、周三という男を主人公にしているが、ここでは「接吻」の男たち(七郎、幹彦、信三、滋)の消息が会話で語られ、後に自殺するくみ子が、“七郎は藤子と海へ行った”という台詞も出てくる。七郎と同じような酷薄さをもつ周三がくみ子と遊んで彼女を捨て、くみ子は傷ついて、男たちと次々関係を結び、最後には睡眠薬自殺をする。そんなくみ子を思って、周三は、前夜の大雨の影響で水があふれた道を渡り、左手に靴をぶらさげたまま聖堂に入って神父をつかまえて、弥撒のあとに告解をお願いしますと頼む。
この短篇は五章からなるが、いずれも清らかな水の描写から始まっている。『海の見える街』の第三回の冒頭がまさに雨水があふれているなか、藤子が弥撒(ミサ)にいく場面があるけれど、おそらく『海の見える街』の記述が深化したといえるかもしれない。
立原正秋が果たして、カトリックのミサや告解をどのように考えていたのかわからない。初期の『聖クララ村』(昭和35年)などは、神に仕える者たちの醜さを描いていて、宗教にきわめて批判的な印象をもつし、また「接吻」では聖堂を性的な行為の舞台として使う若者たちを登場させたりして不埒極まりないけれど、一方で、本書や『七月の弥撒』のように清冽な水のイメージとともに精神的な救済のよすがとしても捉えられている。

作品の出来からいっても、『海の見える街』はミスファイアというしかない作品であるが、いま紹介したように、ジュニア小説『海の見える街』のモチーフが発展して、優れた短篇に昇華されてもいる。全体を見ればたしかに失敗作の印象は拭えないものの、ミスファイアとはいえ、不思議な叙情があるのも事実で、淡々とした風景描写がつややかで、しかもその風景の中心を内面を通して見ようとする。開花せずの蕾のままであるけれど、それでもこればかりはやはり立原正秋の世界である。会話がそうだが、なんでもない会話なのに、凛としていて美しい。まじりけのない場面が散見されて、ファンとしてはやはり嬉しい贈り物といえるだろう。

池上冬樹
Fuyuki Ikegami
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1955年生まれ。山形県出身。立教大学日本文学科卒。文芸評論家。「朝日新聞」、「週刊文春」、「小説すばる」ほかで活躍中。2004年から3年、朝日新聞の書評委員をつとめる。著書に『ヒーローたちの荒野』、編著に『ミステリ・ベスト201日本篇』ほか多数。文庫解説は400冊弱を数え、各新人賞の予選委員・下読みも数多く担当。プロ作家を輩出している「山形小説家(ライター)講座」および「せんだい文学塾」の世話役を長年務めている。山形市在住。

おわりに

池上冬樹氏による立原正秋の『海の見える街』書評は、いかがでしたでしょうか?
“立原ファン”として、同作品への厳しい眼差しを抱きながらも、“不思議な叙情性”が垣間見える作品として、ファンヘの嬉しい贈り物と評してます。
未単行本発掘作品『海の見える街』は『立原正秋電子全集 第13回巻』に収録されてます。

立原正秋 電子全集13 『短編集II 海の見える街』

立原正秋“幻”の作品『海の見える街』が初めて全集収録! 『嫉妬』『四月の雨』等、直木賞受賞前後の清冽な短編14作品一挙収録。昭和42年5~10月に「中学三年コース」に連載された立原唯一の少年少女向け小説『海の見える街』は、中学3年生の少女の淡い初恋と別れを描いた未単行本作品で、今回初めて全集に収録された。妻子の元と往還する男への嫉妬心から出た女の行動が悲劇を生む「七月の午後」を含む『嫉妬』、不治の病に冒された元恋人の死に立ち会う主人公を描いた『四月の雨』、22年ぶりに現れた元夫の存在に翻弄される家族の悲劇を描いた『雨』、金貸し業者のニヒリズムを描く『刃物』、“死木”のような黒い森が見える一軒家を借りた男女の怖れと別れを描いた『焼けた樹のある風景』の他、『海と三つの短編』『赤煉瓦の家』『手』『掌の小説』『トランプ遊び』『女の店』『死者への讃歌』『海岸点景』、立原初期~中期にかけての短編全14作品を収録。

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初出:P+D MAGAZINE(2016/12/11)

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