【夫と愛人との共同生活!?】女流作家と、“壮絶な恋”
作家の中には、まるで小説のヒロインのように、数奇な人生を送る人物も少なくありません。今回は、“壮絶な恋”に身を捧げた4人の女流作家たちのエピソードを、その作品とともにご紹介します。
作家が描く恋愛小説の中には時に、破天荒でドラマチックな生き方を選ぶヒロインが登場します。一夜の恋に溺れ、ついには自分の身まで滅ぼしてしまうヒロインや、恋人に盲目的なまでに一途な愛を捧げるヒロインなど、枚挙に暇がありません。
しかし、「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、そんな物語を紡ぐ小説家の中には、小説よりも遥かにドラマチックな生き方をした女性たちが存在するのも事実です。
今回は、“壮絶な恋”に身を捧げ、小説のように濃密な人生を送った4人の女流作家たちのエピソードをご紹介します。
夫と愛人と奇妙な「共同生活」を送った、稀代の才女
小説家・歌人で、芸術家・岡本太郎の母親としても有名な岡本かの子。
彼女は与謝野鉄幹が主催する『明星』に弱冠17歳で短歌が掲載されるなど、若くして短歌の才能を開花させていました。そんな彼女に惚れ込んだのが、当時東京美術学校の画学生であった岡本一平です。
熱烈なプロポーズを通じて、明治43年にふたりは結婚。翌年、息子・太郎も生まれますが、歌人と画家の卵の生活は厳しく、結婚当初、かの子は足繁く質屋に通うほど貧しかったそうです。
しかし、一平が朝日新聞社に漫画記者として入社し、夏目漱石の小説『それから』の挿絵などを担当するようになると、生活が一変。裕福な暮らしができるようになった一方で、一平は夜な夜な飲み歩き、女性を連れて豪遊するようになったのです。
かの子はそんな一平と毎日喧嘩を繰り返していたことに加え、兄と母が立て続けに亡くなるという不幸が起き、ついには神経衰弱に陥ってしまいます。
病院を退院したかの子を待っていたのは、自分の行いを省みた一平との幸せな結婚生活……ではなく、なんと、かの子を崇拝する早稲田大学の学生・堀切茂雄からの熱烈なアプローチでした。
やがて、堀切と恋に落ちてしまったかの子は、一平の了解のもと、一平と堀切、かの子の3人で、共同生活を始めます。
かの子はこの出来事以降、49歳の若さで亡くなるまで、さまざまな青年を愛人にし、夫と愛人との奇妙な共同生活を送り続けました。晩年のかの子は小説の執筆に打ち込み、主体的に生きる女性を主人公にした小説『生々流転』といった代表作を発表します。
『生々流転』
出典:http://amzn.asia/dB5kr0j【あらすじ】
第一部では、女学生・蝶子と女教師の安宅、葛岡という男の三角関係を中心に、自由かつ主体的な女性の生き様を描く。第二部では、乞食になった蝶子が市井の人々を観察しながら自らの半生を振り返る。
一平が、一見異常とも思える愛人との共同生活を咎めなかったのは、自身の不貞に負い目があったことに加え、かの子の創作活動を彼もまた崇拝していたからだと言われています。
東郷青児、尾崎士郎……文化人からモテモテのモダンガール
尾崎士郎、東郷青児、北原武夫……。さまざまなジャンルの文化人からとにかくモテてモテて仕方なかったのが、小説家、ファッション誌の編集者、デザイナーといくつもの顔を持つ元祖実業家・宇野千代です。
最初の結婚は14歳でしたが、10日ほどで実家に帰ってしまい、小学校の教員となるも退職。その後、千代は元夫の弟と再婚します。
ここまででもちょっと驚くような恋愛遍歴ですが、千代はなんと、作家としてデビューした直後、夫がある身でありながら、小説家・尾崎士郎に一目惚れしてしまいます。
すでに東京で同棲生活を始めていた千代は、元夫と離婚。尾崎と結婚しますが、文壇で交流があった梶井基次郎との関係が噂となったことに加え、洋画家の東郷青児と新たに同棲生活を送るため、尾崎と離婚。東郷青児との結婚生活も4年で幕を下ろしてしまい、昭和14年には、小説家の北原武夫と再婚しています。
……と、略歴だけでも混乱してしまうほど、さまざまな男性との同棲・結婚生活を送った宇野千代。そんな千代が東郷との同棲生活をもとに発表した恋愛小説が『色ざんげ』です。
『色ざんげ』
出典:http://amzn.asia/irDHXwx【あらすじ】
10年ぶりに日本に帰ってきた洋画家の湯浅譲二は、妻・まつ代との仲がうまくいかず、次々に愛人を作ってゆく。譲二は高尾、つゆ子、とも子という3人の愛人に翻弄されながら、本当の愛を追い求める。
『色ざんげ』の主人公、洋画家の譲二のモデルこそ、千代が4年間の結婚生活を送った元夫・東郷青児。千代は東郷自身からかつての恋人との心中未遂の話を聞き、それをもとにこの作品を書いたと語っています。千代自身も「私の書いたものの中で一番面白い」と評すなど、『色ざんげ』を気に入っていたようです。
『色ざんげ』に限らず、千代は自身の引っ越しの多さを『私が建てた家』というエッセイでネタにしてしまうなど、恋愛を文学作品に昇華する強さとしたたかさを持った女性でした。
「娼婦」と呼ばれた、謎多き女性俳人
『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』
出典:http://amzn.asia/7rmKZht【あらすじ】
第1句集『春雷』、第2句集『指輪』の収録作を1冊にまとめた鈴木しづ子の作品集。
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
肉感に浸りひたるや熟れ石榴
性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり
戦後間もない頃、こんなエロティックな俳句を次々に詠み、俳壇の話題を集めた女性俳人がいます。名前は、鈴木しづ子。
製図工として就職をしたしづ子は、社内の俳句サークルに参加したことがきっかけで、句作を始めます。27歳の若さで第1句集『春雷』を発表し、俳壇から高い評価を受けました。
ところが、社内恋愛の末に結婚した夫とわずか1年で離婚し、岐阜に転居したしづ子は、ポールダンサーへの転身後、キャバレーで働くようになり、そこで出会った黒人軍曹と同棲生活を送るようになります。
不幸なことに、恋人であった軍曹は朝鮮出兵からの帰国後、麻薬常習者となってしまい、昭和27年にそれがきっかけで命を落としました。
しづ子はその直後に第2句集『指環』を発表しますが、それきり消息不明となってしまいます。
ダンサーになろか凍夜の駅間歩く
蟻の体にジュツと当てたる煙草の火
艶やかでありながら、どこか淋しさや虚しさも感じさせる名句を遺したしづ子。黒人軍曹との恋愛という華やかな経歴から「娼婦俳人」などという呼ばれ方をしたこともあった彼女ですが、その俳句はいまでもファンに深く、静かに愛されています。
浮気をきっかけに、「一生涯服従す」と夫に誓約書を書かせた妻
最後にご紹介するのは、小説家・島尾敏雄の妻で、同じく小説家の島尾ミホ。彼女の名前は、夫・敏雄の代表作『死の棘』に登場する「妻」のモデルとして広く知られているでしょう。
『死の棘』は、恋愛結婚をしたごく普通の夫婦の関係が、夫の浮気をきっかけに崩壊してゆくさまを描いた私小説です。日記に記していた情事の記録を妻に見られたその日から、妻に不倫を問い詰められ、束縛され、しまいには妻でなく夫も精神的に壊れていってしまう……。そんな夫婦の姿は、愛の本質を問う壮絶な記録として、いまなお読み継がれています。
作中にも登場するように、ミホは夫・敏雄の浮気を知って以来、
「ひとつだけギモンがあるの。きいてもいいかしら」
(『死の棘』より)
と、敏雄の行動を執拗に問いただすようになります。ミホは精神を病み、病院に入院していた際、「敏雄は事の如何を問わずミホの命令に一生涯服従す」という血判つきの誓約書を敏雄に書かせ、部屋に貼らせるなど、生涯にわたって夫の不貞を責め続けました。
一方、作家としては、50代のときに、自らの故郷である
『海辺の生と死』
出典:http://amzn.asia/9Qwq9Q9【あらすじ】
奄美群島の加計呂麻島での暮らしや幼い頃の思い出、特攻隊長として島にやってきた夫・敏雄との出会いなどを生き生きと描く。
『海辺の生と死』で書かれているように、敏雄は若き日に海軍の特攻隊長として加計呂麻島にやってきたことでミホと出会います。敏雄はその勇敢さと聡明さから「隊長さま」と島の住人たちに慕われ、ミホはそんな敏雄のことを“神さま”だと思っていたとのちに語っています。
ミホがそんな敏雄を恨み、責めることを晩年までやめられなかったのは、かつては“神さま”と呼ぶほどに恋い焦がれた夫への強すぎる愛情の裏返しだったのでしょうか。
おわりに
4名の女流作家の“壮絶な恋”、いかがだったでしょうか。あまりの奔放さに笑ってしまうようなエピソードもあれば、愛情や憎しみの根深さにゾッとするようなエピソードもあったと思います。
しかし、彼女たちに共通しているのは、その恋心や愛情を素晴らしい文学作品へと昇華させた点。女流作家たちの素顔に触れたあとは、そんな彼女たちが紡いだ小説や俳句を手にとってみると、より味わい深く作品を楽しむことができるかもしれません。
【参考文献】
・梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―』
・宇野千代『生きて行く私』
・川村蘭太『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』
初出:P+D MAGAZINE(2018/01/20)