◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第1回 前編
深手を負った田沼山城守は下部屋へ抱え入れられ、御番医の峰岸春庵(しゅんあん)と天野良順(りょうじゅん)の手当てを受けたが、針と糸を持ち合わせず傷口を縫い合わせることができなかった。田沼山城守の出血はひどく、駕籠で神田橋の田沼屋敷へ運ばれたものの、この二十六日の早朝に息を引き取った。
田沼山城守を殺した佐野善左衛門の身柄は、町奉行の曲淵景漸(まがりぶちかげつぐ)に引き渡され、小伝馬町(こでんまちょう)牢屋敷の揚屋(あがりや)に入れられた。善左衛門は二十八歳になる旗本で、五百石の禄(ろく)を受ける身だという。
なぜ丸屋勝三郎が江戸城内のことまで詳しく知っているのかわからなかったが、付き合いのある旗本や御家人あたりから聞き出したものだろう。丸屋が語ったのが事実とすれば、大勢の者がその場にいて田沼山城守を見殺しにしたとしか受け取れない。むしろその場にいたという二十数人の者たちが手を携えて田沼山城守を謀殺したと取るほうが自然だった。
幕府中枢のことなど伝次郎には関心もなく、誰が死のうと生きようとどうでもよいことだった。誰が政事向きを執り仕切ろうと民草にとってよき時代など来るはずがない。だが、よりによって田沼山城守が殿中で、衆目の注視するなかで凶刃に倒れたとの報は、その異様さに慄然(りつぜん)とさせられた。殿中で佐野を組み敷いた松平対馬守は齢(よわい)七十にもなる老体だという。佐野善左衛門は田沼山城守に深手を負わせた後、さして抗うこともなく取り押さえられたらしかった。何もかもが不自然に過ぎた。
田沼山城守意知は確か三十六歳、丸屋の二つ年下だった。殺すならば幕政を牛耳る父意次(おきつぐ)のほうを殺せばよい。そのほうがはるかに話が早かろう。だが、齢六十六を数える父意次は、いつ病を発して隠居してもおかしくなかった。田沼山城守が殿中で凶刃に倒れたことによって、田沼の時代は父意次の病か死をもって終わることが確実となった。先に退出した父ではなく、あくまで息子の山城守を狙ったところに、田沼意次が推し進めてきた幕政をここで終わらせようとする大きな力の存在を感じさせた。
確かに田沼山城守の父、田沼主殿頭(とものかみ)意次の権勢は昨今並ぶ者もなく、一族縁者で幕政を握り、したい放題を続けているように見えた。このところ天変地異が相次ぎ、昨年の冷夏によって米価を始め物の値はことごとく上がり、庶民は食にもこと欠く有様となった。平年ならば金一分で五斗は買えた米が、この年は一分でせいぜい五升、十倍もの高値となって庶民の暮らしを直撃していた。天変地異は人智の及ぶところではなく、誰が幕政をつかさどろうと冷夏がいたれば凶作はまぬがれることなく訪れる。前年四月からの浅間山大噴火も、田沼の悪政に対する天の怒りだなどという風説はただ馬鹿げた話だと伝次郎には思われた。
「どこで何が起こるかわかったものではありません」丸屋勝三郎は殿中での刃傷沙汰を語ったあと沈んだ顔でそう漏らした。絵師として少しは世に知られた丸屋らしく、正気の沙汰とも思われぬ凶行を、そこいらの凡愚のごとく痛快事とは受け取らなかった。
「何もかも、おかしな話だ」思わず伝次郎がそう漏らすと、「ああ、まったくおかしな話です」と丸屋もうなずき返し、吐息をついた。そして「これから、どんなことが起こりますものやら」とつぶやいた。
「これまで田沼主殿頭がやってきたことをすべて覆し、まるで逆のことを始めるに違いない。これまでおかみに黙認されてきたようなことまで、いちいち穿鑿(せんさく)されないとは限らない」伝次郎はそれとなく丸屋に注意を促した。