◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第1回 前編
一
いつの間にか闇が降りていた。六ツを報せる芝(しば)切通しの鐘も聞こえなかった。加瀬屋伝次郎(かせやでんじろう)は、手さぐりで戸袋の奥から埃(ほこり)まみれの煙草(たばこ)盆を引っ張り出した。無性に煙草がほしかった。キセルは出てきたものの、革煙草入れの中味はしけって香も抜けていた。
燭台に火をともした。ギヤマンの火屋(ほや)の内で明かりは輝き、円卓上の漉(す)き返し紙に描かれた奇妙な図を照らし出した。先刻帰った新銭座町(しんせんざちょう)の丸屋勝三郎(まるやかつさぶろう)が残したものだった。紙面には大小四つの間取りが描かれ、江戸城本丸の一画を表していた。空キセルを手にしたまま伝次郎はその奇妙な図に見入った。
一昨日の天明四年(一七八四)三月二十四日、九ツ半(午後一時頃)、三人の若年寄が職務を終えて中奥の御用部屋から城を退出しようと南に位置する表玄関のほうへ向かった。若年寄は、太田備後守資愛(びんごのかみすけよし)、酒井石見守忠休(いわみのかみただよし)、そして田沼山城守意知(やましろのかみおきとも)の三名だった。
三名は新番所前の廊下に出てその前を通り、桔梗之間(ききょうのま)に差しかかった。新番所には城内警備のため五人の番士が詰めていた。その中で佐野善左衛門(さのぜんざえもん)なる者が突然走り出して抜刀し、「覚えがあろう」と叫ぶなり田沼山城守を切り付けた。佐野が手にしていたのは刃渡り二尺一寸(約六十三センチ)の脇差(わきざし)だった。
突然のことに田沼山城守は防ぎようがなく、肩先を三寸、深さ七分(約二センチ)の傷を負った。同行していた太田備後守と酒井石見守の二人は、狼藉者(ろうぜきもの)を取り押さえようともせず桔梗之間から南の中之間(なかのま)、そしてその南に位置する羽目之間(はめのま)へと逃げた。傷を負った田沼山城守も二人の後を追ってともかくも難を避けようとした。
佐野善左衛門は、田沼山城守の背後から二の太刀を放ったが、空を切って桔梗之間の柱に刀が食い込んだ。佐野は柱に食い込んだ刀をはずし田沼の後を追って羽目之間に到り、向きなおった田沼山城守の腹を突こうとした。田沼が腰に差した脇差の鞘(さや)でこれを防いだ。脇差と言っても田沼が腰にしていたのは殿中差(でんちゅうざし)と呼ぶ形ばかりの小刀で、しかも殿中では刀を抜いてはならないという規約があった。佐野は次いで田沼山城守の太腿(ふともも)の内側を斬り、倒れ込んだ田沼の股を深くえぐった。
ところが、桔梗之間のすぐ南に位置する中之間は四十畳敷きの大広間で、そこには若年寄の退出を見送るべく十数人の役職者が居並んでいた。その中でただ一人、大目付の松平対馬守忠郷(まつだいらつしまのかみたださと)が羽目之間に駆けつけ、後から佐野善左衛門に組み付いた。次いで目付の柳生主膳正久通(やぎゅうしゅぜんのしょうひさみち)も羽目之間に走り、佐野善左衛門の手から抜き身の血刀を取り上げた。松平忠郷と柳生久通に取り押さえられた佐野善左衛門は、目的は果たしたとばかりに抗(あらが)うこともなかった。
中之間には、松平忠郷のほかに大目付の久松定愷(ひさまつさだたか)と牧野成賢(まきのしげかた)がおり、目付も柳生久通のほか跡部良久、安藤惟徳(これのり)、末吉利隆、松平恒隆、井上正在(まさあり)の五人がいた。目付は諸役の勤怠を監視し殿中での治安秩序を担う役目がらである。中之間にはほかに、勘定奉行の久世広民(くぜひろたみ)と同役の桑原盛員(もりかず)、南町奉行・山村良旺(たかあきら)、作事(さくじ)奉行・柘植正寔(つげまさたね)、普請(ふしん)奉行・青山成存(なりすみ)、小普請奉行・村上正清、小普請支配の中坊広看(なかぼうひろみつ)、新番頭の飯田易信(かねのぶ)、留守居番の堀田長政(ながまさ)らがいた。また佐野が控えていた新番所にも、万年六三郎、猪飼(いのがい)五郎兵衛、田沢伝左衛門、白井主税(ちから)、彼ら四人の番士が一緒だった。
これらの者たちは、白昼に目の前で田沼山城守が襲われ生命にかかわる深手を負うまで、何の行動も起こさずただ眺めていた。突然の凶行に胆をつぶし、田沼山城守を置き去りにして逃げたという若年寄の太田資愛と酒井忠休を含め、不可解な点ばかりが多かった。