◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第12回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第12回 前編

天明六年の江戸に訪れた大きな政変。
大金を投じて新造した弁財船には次々と海難が──

 丸屋はこれまで仰ぎ見るほどの画業はなしていないが、銅版画なるものを本邦で初めて実現させ、「江漢(こうかん)」の画号は蘭方の絵師として想像以上に世間で知られていた。以前から仙台や土佐などの江戸藩邸に呼ばれ諸侯の前で席画(せきが)も手がけていた。大名屋敷にも知己が多く、虚実入り交じりながらも江戸城内の詳しい報せを耳にすることができた。

 丸屋の話によれば、月番(つきばん)老中でなかったとはいえ八月に入ってから田沼意次が登城する姿をほとんど見かけなくなったのだという。十九日に田沼が推薦した日向陶庵と若林敬順が奥医師に昇格することとなり、二人の誓約書提出に立ち会うため登城しただけだった。

 この町医者上がりの二人は高二百俵で召し抱えられ、この日に将軍家治の薬を処方し治療にあたった。ところがこの二人が処方した薬によって将軍の容体はかえって悪化したとして翌二十日には二人とも退出させられ、再び奥医師の大八木伝庵が起用された。

「わたしが耳にしたところによりますれば、二十一日に田沼は将軍との目通りを禁じられたものの、二十三日になって一転登城を命じられて水戸侯(徳川治保)から謹慎の命を受けたという話です。そして、翌二十四日、田沼の婿で奏者番(そうじゃばん)の西尾隠岐守(忠移/ただゆき)と松平官治郎とが名代となって登城し、田沼の辞職願を出し、老中の水野出羽守(忠友)が受け取ったらしいです。ちなみに水野出羽守は官治郎の実兄です」

「ならば、二十日以降、田沼は遠ざけられて家治公には目通りしていないことになる。二十日に家治公は他界されたのかもしれん。田沼は、家治公の容体がかなり悪いと知って、腕の立つ町医者二人を推挙して奥医師となし、将軍の治療にあたらせた。田沼にすれば家治公に死なれたら元も子もなくなる。
 世継ぎの家斉と実父の一橋治済、松平定信、かの連中は家治公が亡くなっても何も困らない。むしろ好都合だ。田沼の送り込んだ医者二人が家治公に薬を処方したのはたった一日。家治公に本復されたら困る連中が、田沼のよこした腕のいい医者二人を殿中から締め出すことはあり得る」

「なるほど。そういう形での将軍謀殺も……。そういえば、その前にも奥医師の河野仙寿院を大八木伝庵に替えた。河野仙寿院は極めて田沼と結びつきの強い奥医師です」丸屋はうなずいた。

「あの田沼がたやすく辞職願を出すとはわしにも思えない。この六月末には、全国津々浦々まで一人残らず御用金を出させても諸藩と幕府の財政を建て直す気だった。それからわずか二た月だ。八月二十四日に辞職願を出す前に、田沼も将軍の死去を知ったに違いない。一昨年の春、田沼の息子が殿中で殺されて、こういう日がいずれ来るとは思っていたが、十八も年下の家治公が先に逝くとは、田沼も予想しなかったろう……」

 二十五日、幕府御用の医師が全員江戸城に集められ、世子家斉と一橋治済ら御三卿と御三家もそろって登城した。もはや将軍家治の重体は世間に隠しようもなくなった。

 二十六日、世情の不安を鎮めるかのように、幕府からは大八木伝庵の処方によって将軍の病状は快方へ向かったとの発表があった。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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