採れたて本!【歴史・時代小説#40】

寡作で知られる飯嶋和一だが、昨年刊行された『南海王国記』からわずか7か月で新作が出たのは喜ばしい。
宝暦5(1755)年、江戸の公事宿・秩父屋に、6人の農民が到着した。美濃国郡上藩から来た農民たちは、江戸城へ向かう老中・酒井忠寄の駕籠に駆け寄り、藩主の圧政を訴える駕籠訴を実行する。訴状は正式に受理され、北町奉行の依田和泉守政次による吟味が始まる。
本書のタイトルは、駕籠訴を行った農民が、白山修験の御師(参拝者の案内をする神職)と縁のある村の者で、白山を開いた泰澄大師の守り本尊である虚空蔵菩薩の仏像が秩父屋に祀られていたことに由来している。先祖の霊がいるという白山が見える村で暮らす農民たちは、常に恥ずかしくない生き方をしたいと考えており、無私の心で命懸けの公事(裁判)に臨む姿は、胸を熱くしてくれる。酒井忠寄は修験の山である出羽三山がある庄内藩主でもあり、駕籠訴の相手として選ばれたのは、山岳修験道つながりだったとの指摘は興味深かった。
郡上藩は、藩主の金森頼旹が死去、息子の可寛が亡くなっていたため、その子の頼錦が藩主になった。頼旹の代に転封が続き豊かではない郡上藩主になった金森家は、年貢を重くした。郡上藩は、年貢の算出方法を変更すると通達。これに怒った農民たちは集団で国家老の元へ押しかけ、今まで通りの年貢にするとの書状を得た。だが藩の圧政は変わらず、代表38名が江戸の金森藩邸に願書を出すが、連絡が途絶えたため駕籠訴に及んだことが分かってくる。
公事は、駕籠訴を行った農民と、藩の方針に従う農民の直接対決になる。反対派に間違いを指摘された駕籠訴派が、証拠とロジックを用いて反論する場面が前半のクライマックスで、息詰まる攻防は法廷サスペンスとしても秀逸である。郡上藩は圧政を糺すべしとする結論が出て、江戸へ出てきた農民たちは村へ帰されたが、郡上藩の弾圧は激しさを増し、ついに幕府の評定所での吟味になる。
公事が進むにつれ、金銭で年貢を納める時は商人に払い下げる米価の五割増しになる、御用の馬を相場より安く取り上げる、薪の購入費が相場より安いなど、農民を搾取する郡上藩の手口が浮かび上がってくる。これは国民に見え難い形で負担を増やす現代のステルス増税を想起させる。悪政に苦しむ郡上藩だが、全農民が一致団結しているのではなく、お上に物申す立者と唯々諾々と従う寝者に分かれ対立していた。これも様々な政治課題で分断が生じている現代日本に近い。
幕府の要人までを巻き込む大騒動に発展した郡上一揆は、声を上げなければ社会は変えられないが、上げる声に私欲が混じっていると賛同してくれる人が少なくなるという教訓と、正しい改革とは何かを考える切っ掛けを与えてくれる。
評者=末國善己






