◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第3回 後編
蔵前の札差大口屋といえば、十八大通(つう)で知られた大口屋暁雨(ぎょうう)、日銭千両を豪語して金を湯水のごとく遣い、吉原の大門を閉めさせて遊里を丸ごと買い切ったという馬鹿者の見本だった。その一族にしてみれば、巨額の袖(そで)の下を土山に送っても蝦夷島産物で十分な利得があると踏んでのことになる。田沼意次配下の者たちには、その手合の金品にまつわる腐臭をまき散らす輩(やから)が目立ち、田沼政治への不信反感に輪をかけていた。
「蝦夷錦(えぞにしき)」と呼ばれる唐風の美しい模様が刺繍された絹織布と、帯留めや簪(かんざし)に使えるビードロの青い玉などは、伝次郎も湯島坂下の古物道具屋「八吉(はっきつ)」でたびたび目にしていた。伝次郎も北方からの渡来物と思われる翡翠(ひすい)でできた美しい矢尻(やじり)を見つけ、思わず買って帰ったことがあった。主人の伊奈次(いなじ)は「大坂からの下り物」と言っていたが、蝦夷地の江差や松前から大坂までは風に恵まれれば四、五日で渡れるのだという。蝦夷地で密かに行われている抜け荷を大坂で引き取り、各地にそれを流す商人がいるに違いなかった。
「田沼の家紋は七曜紋(しちようもん)、どう見ても輪切りにした胡瓜(きゅうり)の切り口を紋に仕立てたようにしか見えんが、あれは北斗七星をかたどったものだろう? 紋どころが示すように、いよいよ切羽詰まって北方へ舵を切る気かもしれんな。それに相乗りする山師の猿どもが一儲けたくらんで蝦夷島へ押しかけ、また馬鹿騒ぎを引き起こすことになる。金山開発なんぞというが、ああいう輩は、おのれの強欲にまかせ、意地汚く、ただ食い荒らして回るだけの話だ。吐き気がする。
勝三郎さんよ。安煙草屋のたわけはもとより、土山某(なにがし)ごとき腐れ役人とのかかわりは持つな。ろくなことにはならんぞ。絵師はそのまま画業に打ち込め。せっかく天が与えてくれた画才だ。人生は長くない。すぐに年を取る。女性(にょしょう)なら仕方がないが、つまらん山師どもなんぞにかかずらって馬鹿をみる暇はないぞ」
わかってますよと丸屋は笑い、「朱子いわく『少年老い易く学成り難し』ですか」と知ったかぶりの顔をまた覗かせた。
「朱熹(しゅき)はそんなことを言っていない。それは観中中諦(かんちゅうちゅうたい)とかいう昔の坊主の言葉だ」
「『知りて知らずとするは上(じょう)なり、知らずして知るとするは病(へい)なり』。恐れ入りました」と丸屋は苦笑いを浮かべた。
以前、伝次郎は丸屋の心の糧になればと『老子』を贈ったことがあった。思いがけず丸屋が『老子』の言葉を引いたので、字づらだけは追ってくれたらしいとわかった。丸屋はあくまで町人で絵師なのだから孔孟の教えなど薬にならない。丸屋を救うことがあるのならば、老子や荘子の言葉に違いないと考えてのことだった。
丸屋は武士階級なるものにこだわり、町人の出であるおのれを消し去ろうとしているふしがあった。そうではなくて、むしろ町人であるがゆえに誰憚(はばか)ることなく好きな画を好きなように描ける。そこに居を定めればよいのだと伝次郎は常々思っていた。
「何か蝦夷島の件で、またお報せするような事が起きましたら参ります」と丸屋は言い、新作の『広尾親父茶屋図』と『不忍之池図』を伝次郎のもとに残して丸屋は帰った。