【池上彰と学ぶ日本の総理SELECT】総理のプロフィール

池上彰が、歴代の総理大臣について詳しく紹介する連載の15回目。政界浄化に情熱を傾けた、「クリーン三木」こと、「三木武夫」について解説します。

第15回

第66代内閣総理大臣
三木武夫みきたけお
1907年(明治40)~1988年(昭和63)
三木武夫肖像キリヌキ_01

Data 三木武夫

生没年  1907年(明治40)3月17日~88年(昭和63)11月14日
総理任期 1974年(昭和49)12月9日~76年(昭和51)12月24日
通算日数 747日
所属政党 自由民主党
出生地  徳島県阿波あわ土成町どなりちょう(旧板野いたの御所村ごしょそん
出身校  明治大学法学部
初当選  1937年(昭和12) 30歳
選挙区  衆議院徳島全県区
歴任大臣 逓信ていしん大臣・運輸大臣・通産大臣・外務大臣・環境庁長官ほか
ニックネーム バルカン政治家・クリーン三木・議会の子
墓  所 徳島県阿波市土成町𠮷田の神宮寺じんぐうじ

政界の大掃除を託された小派閥のリーダー

三木武夫はバルカン政治家といわれます。その異名いみょうは、大国間の複雑な軋轢あつれきのなかで、自己の立場を切り開いていったバルカン諸国(※ヨーロッパ南東部のバルカン半島にある、ギリシャ・アルバニア・ブルガリア・旧ユーゴスラビアの諸国をいう。)に由来します。少数派閥はばつのリーダーである三木は、金権批判の嵐のなか、自民党の信頼を回復するために政権の座につきます。政界浄化じょうかを実現すべく、総理に就任するとすぐに、政治献金や選挙制度の改革に乗りだしました。折しも発覚したロッキード事件に対して、三木は世論の支持のもと、徹底究明を表明しますが、そのやり方に反発した自民党内の大派閥によって、「三木おろし」という倒閣運動が起こります。

三木武夫はどんな政治家か 池上流3つのポイント

1 議会の子

戦前戦後を通して国会議員をつとめた三木は、自らを「議会の子」と称しました。この言葉は、議会制民主主義こそ、もっとも安定した政治制度であるという確信に基づいたものです。そして、政治は国民の信頼を得なければ成立しない、という信念から、国民との対話である演説に全力を尽くします。また、官僚政治は受け身の政治であると批判し、自ら政策を練りあげました。

2 クリーン三木

30歳で衆議院議員に初当選して以来、三木は一貫して金のかからない政治を主張しました。そのため自身の政治資金も不足し、政策同志的な集まりである小派閥しか形成できなかったのです。金権政治から距離をおいた三木の清潔なイメージから、国民は「クリーン三木」とよんで政界浄化に期待しました。

3 国際派政治家

三木は青年時代に海外をめぐり、世界情勢を見て政治家を志しました。対話による外交が世界平和への道であるという思いから、各国首脳と積極的に会見し、幅広い国際的人脈を築いています。総理就任前に起きた石油危機では、中東を歴訪して中東和平を懸命に説き、石油輸出削減の解除に成功。総理就任中には第1回先進国首脳会議に出席し、途上国援助を訴えました。

三木武夫の名言

男は一回勝負する。
― 1968年(昭和43)総裁選に立候補したときの言葉

私は問題をとらえる場合、まず原点に立ち返ってその本質をきわめてみることにしている。(中略)われわれはなぜに政治に志したのか、政党はなぜに生まれたのか、と原点に立って考える。
― 1971年(昭和46)の宮崎市民会館での講演

民主主義の根本原則とは、人間の自由と人権を守ることだ。権力、金力、暴力によってそれが侵されてはならない。
― 1974年(昭和49)の徳島市における金権批判講演

三木武夫の揮毫

三木武夫揮毫_01
三木武夫筆「無信不立」
明治大学史資料センター蔵
「信なくば立たず」は『論語』にある言葉で、三木が好んで使った。「国民が政治や政治家を信用しなくなれば、国は成り立たない」という三木の信念がこめられている。

三木武夫の人間力

◆多数に迎合げいごうせず

日米開戦に反対し、大政翼賛会たいせいよくさんかいくみせずに無所属で立候補したことからもわかるように、三木はひとりになろうが、おのれの信念に従って行動した。三木にとって、派閥は政策をともに勉強する「仲良しクラブみたいなもの」であり、派閥が数の力で政治を動かそうとしていることこそすべての元凶げんきょうと位置づけ、派閥の解消を訴えつづけた。

◆政治家は清貧せいひんであれ

三木は政治献金と票目当ての利益誘導型政治を嫌った。長年選出してくれた地元の徳島に対しても、大きな公共事業を行なっていない。田中角栄たなかかくえい内閣が金脈問題で倒れたことから、三木は総理就任後、自発的に資産公開を行なった。これがきっかけとなり、1984年(昭和59)の中曽根康弘なかそねやすひろ内閣による閣僚を含めた資産公開にいたるのである。

◆驚異的なねばり腰

三木は追いこまれれば追いこまれるほど、粘り強さを発揮する政治家だった。「三木おろし」では、執拗しつような退陣要求に最後まで屈しなかった。世間では、「すっぽん」とか「爬虫類はちゅうるい的ねばり」と評され、政界では「三木とさしで話し合うと危ない」と言われていた。どこまでも話し合い、結局は三木に押しきられてしまうということだ。

(「池上彰と学ぶ日本の総理8」より)

初出:P+D MAGAZINE(2017/10/20)

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:長坂道子(ジャーナリスト、作家)
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