芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第20回】ポップで楽しい前衛

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第20回目は多和田葉子の『犬婿入り』について。リアリズムを超えた、ポップな前衛小説の名作を解説します。

【今回の作品】多和田葉子犬婿入り』 都市の民話的世界を新しい視点で捉えた作品

都市の民話的世界を新しい視点で捉えた、多和田葉子『犬婿入り』について

多和田葉子さんの『犬婿入り』はそのタイトルが一種の先入観を与えます。人間と動物の交流というのは、昔話ではよくあるパターンで、信太の狐とか、鶴の恩返しとか、タニシ長者とか、そういう話は山ほどあります。そういう奇異な話かと思って読み始めると、ごくふつうのリアリズムで話は展開されていきます。

東京の郊外と思われる場所に中年のおばさんがいて、子ども相手の小さな塾を開いています。進学塾とか、そういうものではなくて、近所の子どもを預かって勉強も見るという、ゆるい感じの塾なのですが、まあ、こういうおばさんはどこにでもいそうですね。でもこのおばさん、ちょっと変です。あんまり掃除をしない。まあ、そういう人はたまにはいるでしょう。でも、鼻をかんだティッシュをくずかごに入れずにそのへんに放り投げておいて、二度、三度と使う。これはちょっと異様ではないでしょうか。

このおばさんのところに、若い男が入り込みます。恋人とか愛人とか、そういう人物にも見えないのですが、とにかく若い男が居候として、いっしょに住むようになるのですね。ところがこの男、何だか変なのです。肉体がやたらと強靱なのですが、ハッハッハッという息づかいが、何だか犬みたい。注意してみると、その挙動とか、態度とかが、まさに犬そのもの。姿は人間なのだけれども、本当は犬なのか……。

おもしろいのに、よくわからない

タイトルが『犬婿入り』ですから、これは最後まで読めば、実は犬だったと判明するのではないか。そう思って読んでしまうのですが、これが犬だったという話だったら、ただのヘンテコな変身譚ということで、ファンタジーとしての華やかさもないし、文学としての深みもないということになり、芥川賞はもらえなかったでしょうね。

ここからが多和田さんのすごいところです。彼女には人を食ったところがあり、読者の期待をするっと外してしまうテクニックがあるのです。結局、この男が、人なのか犬なのかということは、作品を最後まで読んでも、よくわからないのですね。このように、どちらなのかわからないまま、読者を宙吊りにしておいて、最後まで引っぱっていくというところに、多和田さんの力量が示されています。
で、この作品は、犬によく似た居候がいたという、リアリズムの作品なのか、それとも実は犬だったというファンタジーなのか、ということも、最後まで判明しないのですが、その宙吊りになった状態で、改めてヒロインの中年のおばさんのことを考えると、やっぱりこういうおばさん、いそうだねという感じがします。このリアル感が、作品の文学性を支えているのでしょうね。

リアリズムを超えた何だかよくわからない話、というと、前衛小説という言葉が思いうかぶのですが、この作品はけっして難解ではありません。むしろすらすら読めてなかなかにおもしろいのです。でも最後まで読むと、何だか迷宮にでも迷い込んだ気分になってしまう。おもしろいのに、よくわからない。そこにこの作品の魅力があります。ポップな前衛小説という、そういう新しい領域が、この作品によって開かれた気がします。

「おばさん」という現代的なテーマ

そしてこの作品のもう一つの魅力は、よくわからないながら、ヒロインのおばさんに、奇妙なリアリティーがあるということでしょうね。こういうおばさんて、いるよね? いるいる……という声が聞こえてくる気がします。そしてこの中年のおばさんというのは、まさに現代的なテーマであり、大きな社会問題でもあるのです。

わたしたちが生きている現代社会という、リアルな現状の中で、いちばん困った状態に置かれているのは、中年のおばさんではないかと思われます。大学で教育を受けても就職口がなく、すごい恋愛をするといったリア充の満足感も得られず、中途半端なままで不本意な人生を送っている……。これまでにご紹介した川上弘美の作品も、笙野頼子の作品も、そういう感じの中年のおばさんを描いていました。

芥川賞をとるなら、中年のおばさんを描く。これが今回の秘伝です。読者のあなたは、えー、そんなのないよ、と思ったかもしれません。いま、あなたは、十七歳くらいの、うら若き乙女だというのでしょう。でも、大丈夫です。時間のたつのは、あっという間です。人生は短いのです。いまは十代のあなたも、ふと気づいたら、おばさんになっている。おばさんの気持ちが切実にわかる、本物のおばさんになるのに、それほど時間はかからないのです。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/05/25)

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