芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第43回】前向きであることの輝かしさ

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第43回目は、前向きであることの輝かしさを描いた、高樹のぶ子の『光抱く友よ』について。人生の「闇」に触れた少女の心を清冽に描いた名作を解説します。

【今回の作品】
高樹のぶ子光抱く友よ』 人生の「闇」に触れた少女の心を清冽に描く

人生の「闇」に触れた少女の心を清冽に描いた、高樹のぶ子『光抱く友よ』について

ぼくは戦後生まれで、団塊の世代と呼ばれています。若い人には「戦後」といっても、どんな戦争なのか想像がつかないかもしれませんが、アメリカと戦争して、こてんぱんに負けたのですね。原爆を落とされた広島、長崎だけでなく、東京も大阪も、主要都市のほとんどが焦土に帰して、誰もが絶望するしかない状況だったのです。いまも復興が実現していない被災地の人が存在することを承知であえて言えば、地震や津波や原発事故などとは比べものにもならない、ものすごいダメージを日本は敗戦で負ったのです。

でも、日本人は、めげなかったのですね。食べるものもろくにない時代に、男と女はとにかく生きて行こうとして、その結果、大量の子どもが生まれたのです。日本の人口は大ざっぱに言えば一億人で、毎年、百万人くらいの新生児が生まれているのですが、終戦直後の昭和二十二年からの三年間は、特異的に、毎年二百五十万人の子どもが生まれたのです。高樹のぶ子さんは、昭和二十一年生まれなのですが、まあ、同世代と言っていいでしょう。戦後の復興の大きな潮流の中で育ったのだと思います。

同じ世代には、シンガーソングライターの井上陽水や、吉田拓郎がいます。才能のある若者は音楽の分野に進出して、これからの文学は衰退の一途をたどる、などと暗い見通しを語る文壇人も少なくなかったようなのですが、この団塊の世代は、実は本をたくさん読む若者たちで、学生運動が盛り上がりました。この盛り上がりはやがて下り坂になり、多くの若者たちは挫折して、たとえば「神田川」のそばでしょぼい生活を送ったり、「襟裳岬」(いずれも当時大ヒットした名曲)に逃避するといった、寂しいイメージで語られることが多いのですし、村上春樹立松和平の作品にも、傷を負った若者が登場します。でもそういうイメージは、世代の一部の人々が発散していた一種のムードだったのだと思います。そうでない、元気で前向きな人もたくさんいたのですね。

明るく、堂々とした若者の姿

ぼくが高樹のぶ子さんに注目したのは、『その細き道』という、やや地味な短篇でした。確実に同じ世代だと思われる女性が、弁護士を目指す二人の若者と、夏目漱石の『こころ』みたいな三角関係になるのですが、その一人が自殺してしまう夏目漱石の作品とは違って、若者二人は友情で結ばれるのですし、間に挟まって困っていたヒロインも、だんだんふてぶてしくなって、元気に生きていくという、思いきり前向きな結末になるのです。ここには学生運動もないし、挫折もありません。明るいけれども軽薄ではなく、着実な足どりで未来に向かって踏み出していく若者の姿が、端正な文体で綴られているのです。

これはすごい書き手だなと思っていたら、高樹さんは『光抱く友よ』で芥川賞を受賞し、その後も前向きな女性の姿を描き続けて、大衆小説の分野にまたがったメジャーな作家になっていったのです。この作品は、高校生の女子の話で、優等生の女の子と、不良じみた女の子が、ふとしたきっかけで知り合いになる……、という、ラノベやコミックなどでもよくある設定ではあるのですが、高樹さんの筆にかかると、すべてのものが明るく光り輝いていくのです。格調が高く、いじけたところが少しもなくて、堂々としている。読んでいると、元気が出てきます。

正統的な言葉の使い方

純文学というと、暗いものとか、自虐的なもの、あるいはちょっと変なものを描いた作品が多いように思います。社会の健全な規範からどうやって逸脱していくか、そこを追求するのが文学だという、既成概念みたいなものがあります。太宰治とか、梶井基次郎を考えてみてください。川端康成でも谷崎潤一郎でも、どんな作品かと説明を求められると、極端に暗くヘンテコな作品だと語るしかないような気がします。ぼくは大学で文学史みたいなものを語っているのですか、とにかく文学ってヘンなものと、そんな話ばかりやっています。
だからこそ、高樹のぶ子はすごいと思います。こんなに正面切って、明るく輝かしい世界を描ける高樹さんは、かなり確信犯的に図太い人だと思います。こういう文学も、たまにはいいのではないでしょうか。

高樹のぶ子から学ぶべきところは、まずはその文章だと思います。淡々とした風景描写に厚みが感じられます。彫刻刀で版画を彫るみたいに、鋭いタッチで風景が描かれ、その風景を背景として、登場人物たちがいきいきと躍動します。言葉の使い方が正統的で、まっすぐな感じがします。言葉を信じている。そんな感じですね。こういう言い方をすると、ぼくが懐疑的で、いじけているように皆さんは感じるかもしれません。ぼくは優等生でもなく、不良でもない、教室の隅でいじけている暗い人間だったのかもしれないなと思います。何か、書いているうちにますます暗い気分になってきました。とにかく高樹のぶ子はすごい作家だということを、読者にお伝えしたかったのですが。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/05/10)

◎編集者コラム◎『偽りの銃弾』ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹、大谷瑠璃子
一本気な男の恋情がせつない『ゼンマイ』