丸山健二『夏の流れ』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第81回】何げない日常の裂け目
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第81回目は、丸山健二『夏の流れ』について。刑務官をとりまく生と死を硬質な文体で描いた作品を解説します。
【今回の作品】
丸山健二『夏の流れ』 刑務官をとりまく生と死を硬質な文体で描く
刑務官をとりまく生と死を硬質な文体で描いた、丸山健二『夏の流れ』について
小説というものには何らかのかたちで、作家の人生が投影されるものです。私小説だけでなく、完全なフィクションと見えるものにも、どこかに作者の私的なものが見え隠れしているはずだと、ぼくは信じています。川上弘美さんが蛇を踏む、笙野頼子さんにマグロからデートの誘いがある、多和田葉子さんのご自宅に犬みたいな居候がいる……、どれもいかにもありそうなことだと感じられるのではないでしょうか。『コンビニ人間』の作者が、実際にコンビニで働いていると聞いて、やっぱりね、と思ったりします。
では、丸山健二さんの場合はどうでしょうか。『夏の流れ』という作品は、家庭小説と見えるようなスタイルをもっています。主人公は勤務先のすぐ近くにある官舎に住んでいて、妻がいて、幼い男児が二人いる。そういうごくふつうの家庭です。休日にはいつも同僚と近くの沢に釣りに行くのですが、子どもたちにせがまれて、これも近くにある海に遊びにいくこともあります。ごく平凡な、どこにでもあるような日常です。
抑制された文体と細部のリアリティー
でも、冒頭の夫婦の会話を見ると、何となくこれはふつうではないという感じがします。
「この前入った人どうしてるの?」(中略)
「あいつか。おとなしいもんさ」
「そう。きっと平気なのね。子供まで殺したんでしょう、ひどい人ね」
「まあな」
「人間じゃないわね」
「人間さ。出かけるぞ」
何気ない日常生活に見えるけれども、主人公の仕事が、ちょっと特殊なのですね。死刑囚だけが収容された刑務所の刑務官で、時々、死刑の執行に立ち合うという、江戸時代でいえば、首切り役人、といった感じの職務なのです。
妻が「人間じゃないわね」と言った時、夫は「人間さ」と応える。この冒頭部分が、作品全体の縮図となっているように思われます。
妻はいわば世間の常識の側にいます。これに対して、主人公は黙々と職務をこなす職業人なのですね。人殺しとか、極悪人とか、そんなことを気にしていたら仕事ができないのでしょう。預かった囚人を管理し、「その時」まで元気で過ごさせる。健康にも安全にも気をつかって、大過なく、執行の時を迎えさせる。それが彼の職務なのです。
抑制された文体が見事です。殺人犯を処刑する。処刑する側は、新たな殺人をしているのではないか。そんな世間の批判に対しても、主人公はただ命じられた仕事を果たすしかないのです。それをまるでハードボイルド小説のように、主人公の感性や内面をあえて無視して非情に書き切ってしまう。男の文体、といってもいいでしょう。
モノローグのようなものが時おり挟まれるのですが、それはただ考えていることを台詞のように書き留めたもので、内面の声といったものではありません。男の内面を見せないというのが、ハードボイルドの特徴なのですが、それがまさに丸山健二の文体の特徴であり、作家としての姿勢でもあるのです。
家庭での日常生活と、職務の刑務所と、趣味の釣り。作品はこの三箇所を回遊するだけなのですが、細部にまで目の行き届いた描写が厚いので、揺るぎのないリアリティーが感じられます。もう一つ、効果的に用いられているのが、夏の暑さです。海の近くだし、渓流釣りもできる、いい場所にあるはずなのですが、それでも日本の夏は湿気が多く、うだるような暑さになります。その暑さの描写が克明に挿入されていて、読んでいる者にもそのうだるような感じが伝わってきます。このように感覚にうったえる描写が、作品のリアリティーを支えることになります。
作家そのものが投影された主人公
それにしても、何気ない日常の裂け目、というのは、文学のテーマの定番ではあるのですが、そこに死刑執行人という職業をぶつけたところが、文学的な大発明といえるのでしょうね。こういった設定を思いつくのは簡単なのですが、それを文体で支える技量が、丸山さんにはそなわっていたのです。
これを書いた時の丸山健二さんは、仙台電波高校を出て東京の商社に勤めるサラリーマンでした。外国からの通信を受ける業務で深夜勤務という、やや特殊な仕事だったようです。23歳での受賞は当時としては最年少で、綿矢りささんに破られるまで、長く最年少記録をたもっていました。
丸山さんの経歴を見ると、専門学校のようなところを出て専門職に就く若者で、きわめて狭い社会経験しかない人です。仕事の内容も、ほとんど引きこもりに近いようなものだったのではないかと思われます。刑務所の仕事についても、夫婦と子供二人の日常生活についても、すべては想像力だけで書いているのですね。
想像力だけで何でも書いてしまえる。それが文学のすごいところです。このハードボイルドのような抑制された文体を、社会経験のほとんどない引きこもりに近い若者が書いているのかと思うと、改めて驚かされます。
小説を大まかに分けて、「自分そのまま」と「自分ばなれ」に文類するやり方がありますが、この作品は、テーマとしては、思いっきり「自分ばなれ」しています。
それでも……、とぼくは思うのですが、このハードボイド的なタッチ、男っぽい非情な態度、こういうものが、丸山さんのお好みなのだろうと思います。その後の丸山さんは、文壇づきあいを一切せず、信州の山奥に住み、孤高の作家として独自の存在感を示しています。そう考えてみると、この非情な主人公は、まさに丸山健二そのまま、といってもいいのではないでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2019/12/12)