細く開いた障子の間から、重なり合うように三人の女の顔が……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第五章の壱 三姉妹 前編【期間限定無料公開 第47回】
モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「九十九神曼荼羅シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇時代小説が、この「百夜・百鬼夜行帖」です。
呉服屋川村屋に深夜、三人の芸者姿の女が現れ、長子、仙太郎を連れ去ろうとする怪事が起きた。川村屋へ向かう百夜だったが、昌平橋のたもとに佇む謎の色男に声をかけられ…第五章の壱「三姉妹」前編。
芸者姿の妖怪が呉服屋のドラ息子・仙太郎を連れ去ろうとする。滝や池で有名な景勝地・十二社の花街を舞台に起きた艶やかで恐ろしい怪異譚。盲目の美少女修法師・百夜が活躍する九十九神曼荼羅シリーズ内時代劇シリーズ「百夜・百鬼夜行帖」第五章の壱は「三姉妹」。
第五章の壱 三姉妹(前編)1
江戸市中から端午の節句の
百夜と左吉は湯島一丁目の〈おばけ長屋〉を出て、昌平坂を下っていた。
二人は、室町二丁目の呉服屋川村屋に向かっていた。
左吉が持ち込んだ仕事だから、また
作られて百年の歳月を経て、物の怪となった品々にも、それぞれの悲しみがある。それを取り除いてやることは、尊い仕事であるとは思う。だがやはり、人様のためになる仕事が好ましい。
そういう仕事もぽつりぽつりとはあるのだが、やはり
百夜は、今回の依頼に関する話をまくしたてる左吉の声をぼんやりと聞きながら、見えぬ目を前方に向けた。
神田川に架かる昌平橋のたもとの柳の下に、若い男が佇んでいるのを心眼がとらえた。
町人である。淡い藤色の着物をまとい、百夜の方を見ていた。
細面で鼻筋が通り、切れ長の目。綺麗に
百夜は心臓がどきりと鳴るのを感じた。
そして、頬が赤らむ。
百夜はそういう自分の体の反応に戸惑った。
どうしたのだ──。
百夜は、心を落ち着けて男を観察した。
見たことのない男である。
だが、何か懐かしいものを感じる。
津軽の生まれか?
同郷の者は、不思議に懐かしさを感じる雰囲気をまとっていることが多い。それを自分は感じ取っているのだろうか。
坂を下るにつれて、男の表情がはっきりと見えてくる。
男の目は百夜を向いている。
百夜と左吉は坂を下りきり、橋に向かう。
百夜は立ち止まり、柳の方へ足を向けた。
若い男は百夜に目を向けたままふっと笑った。
「百夜さん。お久しぶりでございます」
優しい口調で男は言い、優雅に頭を下げた。
「会った覚えがない」
「つれないことを仰せられますな」
「わたしに何の用だ?」
「水難の相が出ています」
「わたしにか?」
百夜が問うと、男は小さく微笑んだ。
「お気をつけなさいまし」
男はお辞儀をすると、神田川沿いの柳原通りを両国広小路の方向へ歩いていった。
風が吹き羽織の裾が翻って、鮮やかに紅い椿の裏地が見えた。
椿の花は小振り。花弁に白い斑がある。
百夜はその絵柄が侘助と呼ばれる種類の椿であると直感した。
男は、風にそよぐ柳並木の下を歩み去って行く。
「百夜さん」左吉が震える声で言った。
「そこに何かいたんですかい?」
左吉の言葉に、百夜ははっとした。
左吉には見えていなかったのだ。
だとすれば、あの男は生きている者ではない──。
百夜の眉間に皺が刻まれる。
自分としたことが、生者と死者の見極めもできなかった。
それだけ強い亡魂なのか──?
「何でもない」
百夜は言った。その時、自分の心にわき上がった感情に、百夜は再び戸惑った。
自分は、あの男のことを左吉に知られるのを恥ずかしいと感じている。
何だ、この感情は──。
「川村屋の一件には関係のないことだ」
「
「心配ない」
「そうですかい」
左吉はほっと溜息をつく。
「行くぞ」
百夜は言って、急ぎ足で昌平橋を渡った。
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