細く開いた障子の間から、重なり合うように三人の女の顔が……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第五章の壱 三姉妹 前編【期間限定無料公開 第47回】

第五章の壱 三姉妹(前編)2

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 百夜と左吉は、裏庭に面した離れに通された。茶と菓子で小腹を満たしていると、主の吉右衛門と息子の仙太郎が現れた。
「ご足労、ありがとうございます」
 小太りの吉右衛門は二人に頭を下げた。
 仙太郎は二十歳少し前といったところか。ニキビ面で、不満そうに口を尖らせている。
「お父っつぁん。こんな小娘がほうなのかい?」
「これ。仙太郎!」吉右衛門は慌ててたしなめる。
「甘やかして育てたものでございますから……。失礼いたしました」
 吉右衛門は百夜に愛想笑いを向ける。
「構わぬ。はつりょうさえいただければ、礼儀知らずのぼんくらであっても助けてやる。別料金で、すねかじりのろくでなしの性根を叩き直してやってもよいぞ」
 百夜は仙太郎に顔を向けてにやりと笑う。
 仙太郎は膨れっ面をする。
「お父っつぁん。こんなションベン臭い小娘に祈祷なんかできるもんか。帰ってもらいましょうよ」
 百夜は仙太郎に無表情な顔を向ける。
「ここはお前の部屋であろう?」
「そうだが、どうした?」
「小便臭いのはお前の方だ。ここしばらく、恐ろしさのあまり、小便を漏らす夜が続いておろう? この部屋、小便がプンプンと臭うぞ」
 百夜の言葉に、仙太郎の顔が青ざめる。
「夜な夜な何が来る? お前の寝所に忍び寄って来るのはどんな奴だ? 一つ、二つ、三つ──。三つの鬼火が見えるな。音も聞こえる。この音は、仏壇のおりんか?」
「恐れ入りましたぁ!」
 仙太郎は悲鳴を上げて畳みに平伏した。
「よく三人の亡魂が現れることがお分かりになりましたな」吉右衛門も顔色を悪くしながら言った。
「倉田屋さんには亡魂が現れるお話しはしましたが、人数までは申し上げておりませんのに。それから、音も──」
「仙太郎には、三つの気配が染み込んでいる。音は、その気配に注意を向けたら聞こえてきた。吉右衛門殿も見たのか?」
 百夜は訊く。
「はい。昨夜、なんとか仙太郎を守ろうと、寝所で不寝番をいたしましたおりに」
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「百夜さん」左吉が不満げに言う。
「その話は昌平坂を降りながら、あっしが話したじゃないですか」
「聞いていなかった」
「そんなぁ。せっかくの名調子を聞いてなかっただなんて」
 左吉はぼやいた。
「お前が面白おかしくひれをつけた話よりも、実際に見た者から聞く方が正確だ」
 百夜は、侘助の男に気を取られていたことは黙っていた。
「仙太郎が最初に小便を漏らしたのはいつだ?」
「はい。十日ほど前でございます」
「では、十回出たのか?」
「いえ。十日前が初めてで、次が七日前と六日前。間を開けて、一昨日と昨日でございます」
「それじゃあ、今日出るかどうかは分からないんですね?」
 左吉は百夜に聞いた。
「まぁ、そういうことだな」
「でも、今回はなにやら亡魂のようじゃありやせんか」
 左吉は嬉しそうに揉み手をして百夜を見る。
「この小便臭い若旦那から漂ってくるのは、亡魂の気配ではない」
「え……。それじゃあ、やっぱり?」
「おそらく、付喪神であろうよ」百夜は言って吉右衛門の方へ顔を向けた。
「さぁ。木村屋さん。話されよ」
「はい」
 吉右衛門は肯いて、昨夜の出来事を話し始めた。

  ※          ※

 昨夜。
 仙太郎があまりに怖がるので、吉右衛門はしんばんをすることにした。
 深更。
 うとうとしていた吉右衛門はふっと目覚めた。
 行灯の明かりは絞られて、室内は暗い。
 仙太郎の寝息が聞こえている。
 なぜ目覚めたのだろう──。
 夢うつつの中で、物音でも聞いたのだろうか。
 吉右衛門は辺りを見回す。
 八畳間の四隅には暗がりがわだかまっているが、人影はない。
 首を回して肩こりをほぐす。
 姿勢を正し、仙太郎の寝顔を見ているうちに目蓋が重くなってきた。
 その時である。

 ちーん

 と、金属の鳴る音がした。
 吉右衛門ははっと目を開ける。
 聞こえたのか?
 それとも夢だったのか?
 耳をそばだてる。

 ちーん

 今度は確かに聞こえた。
 仏壇のお鈴か──?

 ちーん

 いや。もっと鈍い音だ。
 お鈴よりも鈍い音のする物を、何か細く固い棒で叩いたような音である。
 別の音も聞こえた。

 ずっ
 ずっ
 ずっ
 
 何かを引きずる音である。
 廊下から聞こえてくる。
 雪隠の方からこの座敷に近づいて来る。
 金属を叩く音が、何かの拍子をとるように変化する。

 ずっ ずっ
 ちん ちん ちちちん
 ずっ ずっ
 ちん ちん ちちちん

 引きずる音が増え、それに重なった。
 
 ずっ ずっ ずっ
 ちん ちん ちちちん
 ずっ ずっ ずっ
 ちん ちん ちちちん

 三人の足音。
 何者か三人が、足を引きずるようにして、こちらへ歩いてくる。
 吉右衛門は総毛立った。
 這いずるように仙太郎の側に寄った。
 起こそうか起こすまいか、迷った。

 ちん ちん ちちちん
 ずっ ずっ ずっ
 ずっ
 ちちん

 足音が止まった。
 金属音も止まる。
 座敷の前である。
 かたん、と障子が微かに動く。
 細く開く。

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 白い指が隙間から突き出され、ゆっくりと障子を開ける。
 五寸(約十五センチ)ほど空いた障子の隙間の両側に、次々に手が現れる。
 白く細い指──。女の手である。
 左右に三つずつ。三人の女の手である。
 その上に影が動く。
 目が現れた。
 虚ろに見開かれた目である。解れた髪が幾筋も目の上にかかっている。
 顔を真横にして、女が室内を覗いている。
 その上にもう一つ。さらにその上にもう一つ。顔を真横にした女の目が現れた。
 三人の女が重なり合うようにして座敷を覗いている。
 黒目がめまぐるしく動く。
 そして、ぴたっと吉右衛門の視線をとらえた。
 吉右衛門は身動きも出来ずじっと女たちの視線を受け止めていた。
 女たちの眉間に皺が寄った。
 険しい目つきで吉右衛門を睨む。
 障子にかかった手に力が込められる。
 一気に障子が開く。
 黒い着物を着た三人の女が室内に走り込んできた。
 裾にはなしょうの絵柄が描かれた着物──。
 女たちは吉右衛門を押しのける。
 吉右衛門は畳の上に転がった。
 女たちは、仙太郎を布団から引きずり出した。
 仙太郎は女たちを見て悲鳴を上げた。
 その股間から水音がほとばしる。
 女たちはまばたきをしない目で仙太郎を見つめ、口元に笑みを浮かべながら、ぐいぐいとその手を引き、体を押して、部屋から連れ出そうとする。
「やめろ!」
 仙太郎は女たちに引きずられ、小便の筋を畳の上に曳きながら、抗う。
 吉右衛門は、あたふたと立ち上がって、女たちの手を仙太郎から引き離そうとする。
「がぁっ!」
 三人の女は口を大きく開けて、吉右衛門を威嚇する。口の中には歯も舌も無く、ぬるりと紅い洞穴のようであった。
 吉右衛門は震え上がったが、手を離せば仙太郎が地獄へ連れて行かれると思い、女たちの顔から目を逸らして仙太郎の体を思い切り引っ張った。
 すっと女たちの力が消える。
 吉右衛門は仙太郎とともに、転倒した。
 二人は身構えながら飛び起きた。
 部屋には女たちの姿は無かった。
 騒ぎを聞きつけて母屋から使用人が飛び出してきたが、誰も逃げる三人の女の姿を見てはいなかった。

  ※          ※

「三人の女はよく似た顔をしていました」吉右衛門は頬に鳥肌を浮かせながら言った。
「姉妹か、三つ子か──。そんな人相でございました」
「三人の女と音は、ひとそろいのようだな。音を出していた金物は見たか?」
 百夜が訊いた。
「怖ろしい三人の女ばかりに気を取られておりましたから、気がつきませんでした」
「衣装からすると、芸者のように思えやすから」左吉が言った。
「音は、お囃子に使うかねでございますかね」
「いえ。鉦のように澄んだ音ではなく、もっとこもったような音でございました」
「仙太郎さん」左吉が訊く。
「芸者に恨みを買うようなことはしてないかい?」
 その問いに仙太郎はむっとした顔をした。
 吉右衛門が苦笑しながら左吉の問いに答えた。
「お恥ずかしい話ですが、あちこちで傍若無人な飲み方をしている様子でございまして」
「三人に絞れぬくらいに恨みを買っているということか」百夜は冷笑した。
「十日前にはどこで飲んだ?」
 百夜の問いに、仙太郎は少し考えてから、
じゅうそう
 と、ぶっきらぼうに答えた。
 十二社は現在の東京都西新宿にある熊野神社のことである。当時は熊野十二所権現と呼ばれていた。熊野の十二所権現を祀った神社で、境内にある池や滝の景色が美しく見物客が多く集まるので、周辺は茶屋や料理屋が建ち並ぶ遊興地となっていた。
「十二社か」
 百夜は呟いた。
 十二社池、池に注ぐ滝──。
 侘助の男が言った『水難の相がある』という言葉を思い出した。
「小手毬とかいう芸者に入れあげているようで」吉右衛門は苦々しげに言う。
「年増女に騙されているのでございますよ」
 吉右衛門の言葉に、仙太郎はそっぽを向く。
「その小手毬とかいう芸者の生き霊じゃござんせんかね」
 左吉は腕組みをして鹿しかつめらしく言った。
「三人の芸者が飛び込んで来たとき──」吉右衛門が肯きながら言う。
「わたしは、小手毬が仲間を連れて殴り込んできたのかと思いました。それほど生々しく、生きている人のように見えましたから」
「生き霊ではあるまいが、相当強い恨みを買ったのは確かなようだな」
 百夜は仙太郎に顔を向けた。
 仙太郎のふてくされた表情が強ばった。
「そんな……。恨みを買うことなんかしていない。恨んでいるのはこっちの方だ」
「どういう意味だ?」
「小手毬に袖にされたんだよ」
 仙太郎は吐き捨てるように言った。
「振られたんですかい」
 左吉がぷっと笑う。
「急に別れ話を切り出すから、怒って暴れたが、小手毬には手を出しちゃいない」
「料亭で暴れたか?」
「いや。その時には、十二社の池の畔で花見をしていた」
「十日前なら葉桜じゃねぇですか」
 左吉は呆れたように言う。
 仙太郎は馬鹿にしたように左吉を見る。
「桜ばかりを花だと思っているのかい。これだから、無粋な奴はいけない。池の畔に燈明を立てて、菖蒲の花を見ながら宴を楽しんでいたんだよ」
「菖蒲──。三人の女の着物の柄と同じでござんすね」
 左吉は百夜を見た。

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「行ってみるか」
 百夜は立ち上がった。
「今から十二社へでござんすか?」
 左吉も慌てて立つ。
「一里(約四キロ)ほどだ」
「でも、着く頃には日が暮れやすよ」左吉はぶるっと身震いした。
「夜の池の畔で三人の芸者の化け物に襲われるってぇのはぞっとしやせんぜ」
 左吉に言われて、百夜はまた『水難の相』のことを思い出した。
 侘助の男は誰に水難の相が出ているとは言わなかった。自分ではなく、左吉のことであったのかもしれない。
「ならば、お前はここで待っていろ」
「いや、それもまた、ちょいと」左吉は頭を掻く。
「夜が更ければ、またぞろ三人の芸者が来るかもしれねぇじゃねぇですか」
「百夜様には、わたしがお供いたしましょう」吉右衛門が言った。
「夜の十二社は、すいかんが多うございます。百夜様はヤットウの腕も大したものだと聞き及んでおりますが、絡んできた者を片端から斬り捨てるわけにも行きますまい」
「あっ」左吉が言う。
「木村屋さんが行くんなら、あっしも一緒に行きやすよ。仕事が終わったら、十二社で精進落としってやつをちょいとやりやせんか?」
「精進もしておらぬ奴が何を言う」
 百夜は苦笑した。
 このまま木村屋に左吉を置いておくのも少し心配だった。『水難の相』が左吉に出ているのならば、近くに置いた方が守りやすい。
「お父っつぁんも左吉もいなくなったら、わたしはどうすればいいんだよ!」
 仙太郎が駄々をこねるように言う。
「お前にはこれをやる」百夜は懐から護符を四枚出して仙太郎に差し出した。
「部屋の四隅の柱にこれを貼っておけ。結界ができて、三人の芸者は中に入れない」
 仙太郎は不満げな顔をしながらも、護符を受け取った。
「まずは、小手毬に話を訊く」
「それでは、先に小者を走らせて、席を設けましょう」
 吉右衛門は言った。
「おっと」左吉は嬉しそうに手を叩く。
「そうこなくっちゃ!」
 仙太郎はぶすっとした顔で左吉を睨んだ。

 
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著者紹介

●作 平谷美樹(ひらや・よしき)

1960年岩手県生まれ。
大阪芸術大学卒業後、岩手県内の美術教師となる。2000年「エンデュミオン エンデュミオン」で作家デビュー。同年「エリ・エリ」で第1回小松左京賞受賞。「義経になった男」「ユーディットⅩⅢ」「風の王国」「ゴミソの鐵次調伏覚書」など、幅広い作風で著書多数。

 
●画 99.COM(つくもどっとこむ)

京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科・故・小野日佐子教授に率られた、在学生および卒業生からなるキャラクターデザイン・イラストレーション制作チーム。総勢99名。各々の個性を生かした2D・3Dイラストからアニメーション集団制作までを行った。

初出:P+D MAGAZINE(2019/05/11)

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