モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第8回】丸裸の魂とダイヤモンド

最悪だけど最高

若手バンド「パニック・スマイル」にすべてを丸投げし、もてなされ、バンドは勝手に音が良くなり、あっという間に九州の日程が終わりにきた。英会話はまったくなかったが、いくつかのキーワードやジョークが異文化交流のかわりに楽屋で飛び交っていた。「パニック・スマイル」は顔が広い。知り合いのミュージシャンや友人たちが行く先々で集まり、福岡では群れをなし、屋台が並ぶ中洲や長浜でひたすら酒のボトルを開け続けた。酒が飲めないモーリーも、生ビールを飲める一歩手前まで行った。

「パニック・スマイル」のベーシストであるトリイと、アメリカから来たドラマーが親子のように仲良くなった。バイブレーションがマッチしている。その波動を大切にするしかない。一期一会だ。モーリーはトリイの新幹線代を払って東京に連れ帰った。グリーン車だが、構わずに乗せた。パスポートがあるなら韓国にも中国にも連れいこうと思っていたが、ないのでそれはかなわない。トリイは東京でのライブに飛び入り出演し、一緒にでたらめな即興をやり、福岡人のパワーを炸裂させる。夜のJ-WAVEのラジオ出演にも同行した。
「ドラマーのブルースさんが、いつも中指でファック・サインをするんですごくおもしろいです」
とトリイが無邪気に発言したところ、ディレクターがただちにまずいと判断し、そのままトリイはスタジオを出される。番組が終わってから深夜に至るまで飲み歩き、早朝にホテルの部屋に一緒に泊まらせた。

トリイを福岡に電車で返し、3人はいよいよソウルへと向かう。出発前夜に夜更かしをしすぎたために寝過ごし、成田エクスプレスも京成ライナーも乗り過ごす。信じがたい。鈍行の京成線から京成ライナーに乗り継ぐという離れ業でなんとか搭乗が終わる寸前に空港に着き、ソウル行きに乗った。飛行機は滑走路を飛び立ち、海を越えてあっけなく韓国に到着した。

ソウルは東京と1時間しか時差がない。ソウル市内の「豊田ホテル=プンジョン・ホテル」にチェックイン。その日の夜にはもう学生街にあるライブハウスでブッキングがなされていた。アジアの中では台湾と共に日本に近い距離だが、町並みは見渡す限りがハングル文字だ。英文字も少ない。たまに漢字もある。この分からなさが冒険心をかき立てる。雨がザーザーと強めに降りしきり、タクシーのフロントガラスに大粒の水が叩きつけられる中、ギター用のケーブルを買いに、楽器を専門に扱う百貨店に行く。蛍光ピンクのおもしろいケーブルがあったので購入。あとでわかったのだが、音が本当に悪かった。

ソウル市内、弘益大学校(ホンギック・デハッキョ)の近くには学生相手の食堂やバー、雑貨店、ライブハウスがひしめくエリアがある。そこに「ブルー・デビル」というブルース専門のライブハウスがあった。日本の在日コリアンから紹介された韓国の著名なドラマーに丸投げする形でここをブッキングしてもらっていた。事務所も経由せず、ただ個人対個人で恩義を被った形だ。韓国には大規模な米軍基地があちこちにある。そのため、軍のラジオで流れるアメリカン・ポップスが親しみをこめて聴かれているらしい。アメリカ中西部のバーで聞こえてきそうな節回しのブルースでジャムセッションが行われていた。

それぞれの国には音楽の「時計」のようなものがある。必ずしもイギリス、アメリカ、日本…という順番で追いかけて流れているのではない。アメリカでも都市部では最先端の音楽が流れる一方、田舎や南部、中西部に移動するにつれ、どんどんと時代が逆行していく。カー・ラジオからカントリーと1970年代のポップスが交互に流れることも珍しくない。したがって、韓国の芸能人たちが「ブルー・デビル」に集まって、ちょっとかったるいブルースのセッションに耳を傾けていたとしても、それはそれで「あり」ではないか。そんなことを思って、自分たちの出番を待った。東京で知り合った韓(ハン)くんというラジオのリスナーが今回のイベントではすべて間に入ってくれていた。通訳も含めて韓くんに丸投げしていた。

着いたばかりの韓国だが、サウンドには米軍基地の風味が漂う。そこで一曲目はレパートリーの中にあったジミ・ヘンドリックスの「フォクシー」を演奏することにした。アメリカの大学町なら、これで多少盛り上がるはずだ。演奏のボルテージを上げて派手にやった。だが観客は、身動きしない。誰も頭が動かない。ロックの音量そのものに反発している気配すらある。曲が終わると主催の大物芸能人が拍手をし、それに釣られるように拍手が起きた。でも、しぶしぶだ。観客の表情は、硬い。これは文化の違いを通り越して、ただ嫌悪されているのでは? その疑問に躊躇する暇もなく、次から次へとパンクなナンバーを繰り出す。場の緊張感に押されるように、いつもよりスピードが上がる。拍手せず、動かずの客と、どんどんスピードとボリュームが上がる自分たち。ブーイングは起きないが、何か間違っていることは、わかる。

曲がなくなってきた。考えてみれば、マイルドにテンポが速い曲と、本当に速い曲ばかりだ。見たこともない東アジアの各地を、アップテンポでパンクな曲ばかりを演奏することで制覇するつもりだった。深く考えず、自分たちの好きな曲を元にセットを組み立てたら、自然にこうなっていたのだ。どうする?

ゆっくりした曲が1曲あった。モーリー自身が作った「いんちきカントリー」の歌だ。ただ、問題がある。ステージに上がる直前、韓くんに釘を刺されたのだが、
「くれぐれも日本語では歌わないようにしてください」
ということだった。意味がよくわからない。そして他にゆっくりした歌がない。まあ、いいんじゃないのか。英語で、
「次はゆっくりしたやつです」
とだけ挨拶をして、日本語で歌い始めた。歌い終わった。観客の表情は変わらず、硬い。また次の、やや速めの曲のイントロを演奏した。

すると韓くんがステージ脇に来て慌てて言った。
「警察が来ます! すぐに逃げてください! ほんとです!」
よくわからないが警察が来るらしい、とギタリストとドラマーに英語で伝え、演奏を中断。ギターとベースをそれぞれのケースに納め、「ブルー・デビル」の階段を上がる。韓くんについてそのまま小走りに逃げ去った。ギタリストはアメリカで足を捻挫していて、固定するためにギプスをはめている。片足を引きずるようにスキップして逃げた。韓くんに率いられ、合計4人で近くの喫茶店に入り、潜伏した。

後でわかったことだが、本当に警察は来た。事前に区役所の職員とされる人物が来て演奏しているところをカメラで撮影し、証拠を押さえた後に警察が踏み込んだそうだ。罪状は無許可での演奏活動及び日本語で歌を歌ったこと。信じがたいことだが、日本語で歌うことは日本に支配された植民地時代の忌まわしい思い出があるため、法律で禁止されているのだという。

そんな話は聞いたことがなかった。同じ東アジア文化圏で漢字も米作も共有する日本と韓国。言わば兄弟のような文化ではないか。平安時代やそれ以前から朝鮮半島は大陸の文化が日本に渡る通り道だった、と日本史の教科書で繰り返し学んできた。かつて任那みまなには日本府が置かれ、白村江はくすきのえの戦いとかもあったと記憶している。どことどこが戦って、日本の朝廷がどのように関与したのかは教わらなかったが。そんな兄弟同士の文化ではないか。ちょっと数十年にわたって侵略と支配が続いたからといって、今なお日本語の歌を歌うな、というのは了見が狭いとしか思えない。日本は東京大空襲や原爆、沖縄戦を経てなおアメリカ進駐軍に心を開いて英語の歌を歌っていたぞ…とまるで兄が聞き分けのない弟を諭すような口調でものの道理を説明してあげたい、とそう思った。

韓くんは急いだ口調で「日帝」時代と呼ばれる植民地支配が非常に過酷なもので、今も韓国の世論は反日に傾くことが多く、日本語の歌を聞いて辛かった時代を思い出す老人も多いといったことを説明し、モーリーはそれを英訳した。韓国側では理屈が通っているのだろうが、3人のパンクなアメリカ人には、やはり理解できない。百歩譲って、日本が嫌いで仕方がない韓国人が、
「おれの前で日本語の歌を歌うな」
と言ったとしても、それを個人の希望としてある程度は尊重できる。だが法律で日本語の歌を全部禁止して、どこにメリットがあるというのか? しかも戦争から半世紀以上が経っている今。

翌日、大物芸能人から韓くんに連絡があり、以後のソウルにおけるブッキングはすべてキャンセルされたことが伝えられた。大物芸能人はこれから警察署に出頭しなくてはならなくなったらしい。本来なら大物芸能人の名前をここに書くべきだが、今なお日韓関係が緊張する中、韓国側では著名人が「親日」のレッテルを貼られると色々なリスクを被る。そこであえて大物芸能人は「X」と呼ぶことにする。

2日目はソウル市内の数少ないパンク系ライブハウスでブッキングされていた。そのはずだった。キャンセルを告げられてはいたが、こちらは3人分の航空券、ホテル代、経費などをすべて手配して来た身だ。そう簡単に引き下がれない。間に立っている案内人の韓くんには気の毒だったが、「X」の承諾なしでライブハウスに向かった。こちらは「ブルー・デビル」のようなちゃんとした店ではなく、コンクリート打ちっぱなしの空間に照明や空調、アンプ、ステージ、椅子、バースタンドなどがあつらえてあるだけの即席ライブハウスだった。オーナーと思われる男もやる気がなさそうに挨拶をした。これなら、いけるかもしれない。

モーリーは米ドルで100ドル紙幣を見せ、
「演奏させてくれるなら、支払う準備はある」
と伝えた。するとオーナーは、
「別に金は要らない。どうぞ」
と二つ返事をした。こんなにあっさりと解決するものなのか。「X」のあの厳戒態勢はいったい何だったのか? よくわからないまま、開演時間を待った。

メインイベントは地元の少年たちが組んだパンクバンドだった。ちょっと目を離した隙に、制服を着た女子中学生や女子高生が100人以上押し寄せ、会場はアイドルを囲む女子の群衆へと早変わりする。終わらない歓声の中、少年たちはもたついた演奏でカバーやオリジナルを次々と演奏する。イギリスのバンド、クラッシュの歌もあった。平均年齢16歳のこのメンバーたちが5歳か6歳の頃にクラッシュは解散したはずだ。でもそんなことは熱狂した女子たちにとっては、どうでもいい。制服を着たままの押しくらまんじゅうが続き、少年たちは愛嬌を振る舞い、アイドルでありながら泥臭かった。

この時、彼らが本当に羨ましかった。日本語で歌うことも許されず、男子は皆徴兵され、経済状態も頭打ちの国で演歌のようにパンクを歌い、制服を着たままの女子たちが熱狂する。ロックの原点を見たようだった。先進国である日本やアメリカに比べてテクニックは確かに劣る。しかしその差を埋めて余りあるハートがある。寅さんがパンクをやっているかのような温かみ、厚みだ。充実した音響空間で靴を脱いで演奏した広島のライブハウスより、このコンクリート打ちっぱなしで音が割れたステージのほうが、よほどいい。

ステージに案内された。段取りも特になく、本当に適当だった。この緩さでモーリーのスイッチが入った。マイクに向かって聴衆にシャウトする。
「Hey you all! My grandfather was Korean!=おーい、お前ら! おれのおじいさんは韓国人だったんだぞー!」
そう叫ぶと、満場の客からウォーッという歓声が上がった。そのまま最初の曲に入る。全員が踊った。次々と曲をつないだ。最高のワンセットだった。もちろん、モーリーの祖父は韓国人ではない。

ゲリラ・ライブが終わった次の日、モーリーは「X」が出演する国営ラジオ放送の番組に呼ばれた。「1人で来るように」とのことだった。韓くんを通してしかメッセージが伝わらないため、細かい情報がない。残る2人のアメリカ人を文化人が集まるバーに残してタクシーに乗った。

ラジオ局に行くと、「X」がカンカンに怒っていて、韓国語で韓くんにまくし立て、それをすまなそうに韓くんが日本語でリレーする。「X」は英語も流暢に話せるはずだが、韓国語しか話さないことで何らかのけじめを付けているようだ。スタジオには「X」よりさらに大物と思われる長髪のアイドル風芸能人「Y」がいた。「Y」の活動も知らないが、韓くんによれば相当にビッグネームらしい。先輩と後輩の序列では「X」がビッグネームの「Y」にへりくだっている。モーリーはスタジオに呼ばれ、「X」に英語で聞かれる問いに答えた。「X」は、
「Do you like Korea?」
と聞いた。モーリーは、
「Yes, it’s great.」
と愛想よく答えた。その後、「X」は長々と韓国語で「Y」に語る。明らかにモーリーの返答より、訳のほうが長い。声のトーンも揶揄したような、憤ったような声になっている。韓くんがスタジオに入ることを許されないため、モーリーは蚊帳の外に置かれたまま。簡単な英語の質問に答える度に、「X」が「Y」に長広舌で語る。「Y」は「うん」とか「ふーん、そうか」といった感じの短い返事をしている。

ピンときた。これはモーリーが一方的に「お詫び会見」をさせられている。要するに野蛮なアメリカ人が韓国にやってきて、地元の礼儀やルールもわきまえずに土足で上がり込み、あげくには日本語で歌を歌ってしまった。愚かな奴のしでかしたことなので、ひとつ皆さん、許してやってください…といったところか。「X」がここまでやらなくてはならない韓国側の事情は、わからないでもない。しかし悲しい。事前に、
「釈明をしなくてはならない。君には耐えてもらうことになるが、理解してくれ」
と英語で言われたなら、飲み込めないでもなかった。だが、不意打ちで日本語の歌を歌い、翌日のキャンセルされた会場に勝手に現れて演奏を押し通したモーリーは、すでに信頼の序列では最下位に転落していたのかもしれない。国営ラジオのスタジオには、かつて東京を訪れた「X」にプレゼントした日本製のサンプラーが置いてあった。最新の製品だ。日々、この番組で活用されているらしい。モーリーは番組の最後に、
「Thank you, everyone!」
と明るい声でお別れを言った。

モーリーが国営ラジオ局に呼ばれている間、ギタリストとドラマーがいるバーに前日の少年バンドがライブハウスのオーナーに率いられて現れた。実はモーリー達がゲリラ・ライブを終えた直後に、ここにも警察が踏み込んだらしい。無許可演奏や日本語の歌といった問題ではなく、制服を着た女子高生にオーナーが無造作に缶ビールを売ったことが通報されたためだった。オーナーは逮捕され、一夜を留置場で過ごす。出てきて少年たちのバンドを引き連れてバーに現れたわけだ。そのままオーナーは泥酔し、酒乱になって少年たちを焚き付け、ボトルを投げるなどの乱闘騒ぎを起こし、客はみんな外へと逃げた。ホテルに戻ってその一部始終を聞いた。日本語の歌唱禁止以前に、もっと乱雑なお国柄を何とかしろよ、と呆れる気持ちと、毎日がパンクな「どつきあい」のソウルに強烈に憧れる気持ちがごっちゃになった。なんだ、このちぐはぐさは。最悪だけど最高じゃないか、ソウル。

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