▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 黒史郎「最期の言葉」
「死ぬ時ってのは、声もまったく出せなくなるんだな」
男は笑む。
笑みながら、目に光を宿らせる。
その眼光には、これまで獲物に向けてきたものと同じ鋭さがある。男は猟師だった。
「最期だってのに、恨み言のひとつもこぼせないなんて、ミジメなもんだ。しかしまあ、たった一発でこうなっちまうとは、脆いもんだよなぁ、生き物ってのは」
男は相手の目を見つめる。真っ黒な目だ。その目からは感情のようなものはうかがえない。木に背をもたせかけ、猟銃を抱くようにして座る男が映り込んでいるだけだった。
「なあ。いま、どんな気持ちだ? どんな気持ちで俺を見てるんだ? その目から俺がどう見えているのか、死ぬ前にお前の言葉で教えてくれよ」
長い沈黙があり、男は諦めた表情で相手から視線をはずす。
「いくら待っても、お前の言葉は聞けそうもないな。なら、俺は俺自身の言葉を聴くしかないってわけだ」
風が吹き、男の身体に絡みつく硝煙の臭いをかっさらう。
「俺は、もともと農民だ。だから、鉄砲は農具の一つだった。自分の畑を守るため、卑しい獣を駆除する道具だよ」
まだ熱を持つ銃身を、男は愛おしむように撫でる。
「いつからだったか。自分が畑を守るために撃っているんじゃなく、獲るために撃っていることに気づいた。農具が、狩猟道具になっていたんだ。ある時、わかったんだよ。自分には、猟師のほうが性に合ってる。畑を耕すより、獣を追って、足跡や糞を探し、ヌタ場で張って、撃って、その毛皮や肉や熊の胆を売って——そういう暮らしのほうが合ってるってわかったんだ。で、こうして本職になったってわけだ」
男は眠たげな目を上げ、梢の先にとまる雲雀を見る。向こうに朝焼けの空がある。
「もう十五年になるか。それなりに場数を踏んできたし、ヌシと呼ばれる獣もたくさん撃ってきた。角折れの青鹿を仕留めた時は、ヤツに畑を荒らされていた村人たちから感謝されたもんだ。山の神の使いだからと目こぼしされ、暴れ放題だった赤毛の大猪を獲ったのも、この俺だ」
男は銃をゆっくり構え、相手に向ける。
「俺は一発では仕留めない。あえて急所をはずし、手負いにする。血の跡を追いかけ、倒れたら、そばで一服する。刻々と命の灯が小さくなっていく獲物が、最後の最後に放つ言葉を聞くために。俺はそいつを聞くと、とても満足するんだ」
死を嗅ぎつけて、カラスが集まってきた。
「狙った獲物を逃がしたことは一度もない。幸運と腕を持っていた俺は間違いなく、このあたりでは一番の猟師だという誇りもあった。だから、獲りに来た。樵を六人、炭焼きを三人喰い殺した、この山に住むという化け物をな」
男は初めて悔しそうな表情を見せる。
「うわさ通りの化け物だったよ。なあ、俺は何発、撃ったと思う? ——十三発。持ち弾、全部だ。しかも、最後の弾は菩薩弾。八幡大菩薩の名を刻んだ、猟師、最後の切り札よ。こいつを使う時は猟師をやめる時。使わずにいることが猟師の誇りなんだ。その弾もかわされちまった俺は、一発で首をへし折られて——このザマだ」
血に濡れた歯を剝きだし、男はまた笑む。
「お前さんが、ヒトの心を読むっていう、あの〈さとりの化け物〉だと知ってりゃ、手は出さなかった。考えたことがみんな筒抜けじゃあ、弾なんて当たりっこねぇ……獲るつもりが、あっけなく獲られちまったよ……」
ごぼごぼと血の泡を吐くと、男は永遠に瞼を閉じる。
「それにしても、皮肉なもんだよな。俺の最期の言葉を聞かせてやるつもりはなかったのに……目の前の化け物の口から出てくる言葉が、みんな俺の心の声なんだからよ……おっと……それもそろそろ終いのようだ……眠くなって……」
さとりの化け物は口を閉じ、猟師の亡骸を見下ろした。
そこにはもう、彼の言葉も心もなかった。
黒史郎(くろ・しろう)
2007年「夜は一緒に散歩しよ」で第1回『幽』怪談文学賞長編部門大賞を受賞しデビュー。「幽霊詐欺師ミチヲ」シリーズ、『童提灯』などの小説作品の他、『川崎怪談』『横浜怪談』『実話怪談 黒異譚』などの実話怪談、「かくされた意味に気がつけるか? 3分間ミステリー」シリーズなどのショートショート、『小説 ミスミソウ』『夜廻三』など漫画やゲームのノベライズも多く手がける。