〈第14回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第14回〉
慎の異動に違和感を覚えるみひろ。
そこへ「内通者は僕です」と慎から出動を命じられた。


 4

 しばらく行動確認を続けたが堤たちはアパートから出て来なかったので、みひろと慎は本庁に戻った。本庁舎地下二階の駐車場に車を停めて降りると、慎は言った。

「堤の職場の様子を見ましょう」

「わかりました」

 みひろは頷き、スーツのシワを伸ばしてバッグを肩にかけ直した。二人でエレベーターに乗り、十六階にある警備部に向かう。

 十六階に着き、廊下を歩きだして間もなく見覚えのある顔を見つけた。監察係の柳原と本橋が、警備部警備第一課の部屋の前に立っている。向かいには、制服姿の四十代前半の男。腹回りに贅肉が付いたメタボ体型だがいかつい顔立ちで、眉間にシワを寄せて喋っている。柳原と本橋は、頷いたり身振り手振りを交えたりしながら男をなだめている様子だ。本橋が振り向き、はっとして慎、みひろの順で会釈をする。柳原と男もこちらに目を向けた。

「お話し中失礼します。伊丹(いたみ)係長、職場環境改善推進室の阿久津です。よりよい職場環境づくりのための聞き取り調査の件で、ご挨拶に参りました」

 そう告げて、慎はメタボ体型の男に一礼した。この伊丹が警備実施第一係の係長のようで、制服の胸に警部の階級章を付けている。

「ああ。豆田さんから聞いてるよ。でも、今は──向こうで話そう」

 眉間にシワを寄せたまま返し、伊丹は歩きだした。「失礼します」と柳原にも一礼し、慎は伊丹に続いた。同じく一礼したみひろと、本橋の眼差しがぶつかった。三週間ほど前に地下駐車場で会った時同様、何か言いたげな顔。控えめなアイメイクで飾られた大きな目を素早く上下させ、みひろの全身に視線を走らせる。戸惑い不愉快になり、みひろは会釈を返して身を翻し、慎たちを追った。

 伊丹を先頭に出入口から部屋に入った。警備実施第一係は広い部屋の中程にあり、伊丹は壁際の打ち合わせ用のテーブルに慎たちを案内した。

「悪いけど、協力できないよ。立て込んでて、それどころじゃない」

 慎たちと向かい合って座るなり、伊丹は不機嫌そうに顔を背けて告げた。治安警備の計画や実施を担当する事務方の部署の係長にしてはいかつく、圧を感じる人だ。みひろが意外に思っていると、慎は返した。

「タイミングが悪かったですね。ご事情はお察し致します」

 その含みの感じられる口調に伊丹は顔をこちらに向け、改めて慎を見た。

「そうか。あんたは確か、持井さんのところにいたんだったよな」

「ええ。このような事態になり、複雑です。相場(あいば)課長も忸怩(じくじ)たる思いで、監察係の通告を受容されたのではないでしょうか」

「当たり前だよ。監察係もここまでやったなら、結果は『何も出ませんでした』じゃ済まされないからな。元はと言えば、持井さんのところの問題なんだ……なんて、あんたに言っても仕方ねえか」

 勢いよく捲(まく)し立てたかと思ったらふて腐れたような顔になり、伊丹は俯いてため息をついた。その姿を、慎が無言で見返す。

 話の主旨はわからないけど、相場って警備第一課の課長よね? 監察係と何かあったの?  怪訝に思い、みひろは視線を巡らせた。

 警備実施第一係の隣には、警備実施第二係と第三係の机の列があった。他にもこの部屋には警備第一課庶務係、会計係、警備企画係などが入っていて、制服を着た職員たちが仕事をしている。だが、妙にざわついて張り詰めた空気が漂い、一カ所に集まってミーティングをしたり、慌ただしく通路を行き来したりしている職員が目立つ。さらに、六名いるはずの警備実施第一係で机に着いているのは、赤いメタルフレームのメガネをかけた若い女性一人だけ。空いた席の二つは伊丹と堤のものと思われるが、残りの三名はどうしたのだろうか。

 みひろが考えているうちに慎は、「聞き取り調査は時期を改めて」と伊丹と話をつけ、立ち上がった。みひろも続き、二人で部屋を出た。質問は、人のいない場所に行ってから。そう自分に言い聞かせ、みひろは廊下を歩いた。エレベーターホールの手前まで行った時、傍らの角から人影が現れた。小柄だが目つきが鋭い、制服姿の男。監察係首席監察官の持井亮司だ。

「お久しぶりです」

 脇に避けて立ち止まり、慎は頭を下げた。みひろも倣い、会釈する。持井は「ああ」と返し、訊ねた。

「なぜ、きみらがここに?」

「警備実施第一係に聞き取り調査を実施するつもりでしたが、伊丹係長に『それどころじゃない』と断られました。事態は逼迫(ひっぱく)しているようですね。ご心労、拝察致します」

 慎が答える。頭を下げたままで深刻な表情だが、どこか当てつけのニュアンスが感じられる口調だ。反応し、持井が眼差しを尖らせる。

「どこで何を嗅ぎつけたか知らないが、きみにご心労とやらを拝察されるいわれはない。それより、命じられてもいない調査を実施するとは何ごとだ。職場環境改善推進室は私が作った部署だ。勝手な振る舞いは許さないぞ」

「大変失礼致しました。しかし身内の所為に目を配り、非違事案が疑われた場合は直ちに精査し報告するのが警察官としての義務。僕にそう教えて下さったのは、持井さんです」

 丁寧ながらきっぱりと慎に告げられ、持井は口を閉ざした。しかし、その目には不満と怒りの色がはっきりと浮かんでいる。みひろがおろおろと見守っていると、持井はふっと息をついて表情を緩め、視線を落とした。そして改めてこちらを見て、こう言った。

「こうして見ると、きみらは似合いのコンビだな。この上司にして、この部下あり。結構なことだが、いつまでもつかな……たとえ自分が作った部署でも、組織に不利益だと判断すれば、私は躊躇(ちゅうちょ)なく潰すぞ」

「えっ!?」

 思わず声を上げてしまい、みひろは手のひらで口を押さえた。なんで私まで。とばっちりもいいところなんだけど。それに最後のフレーズ。匂わせっていうか脅し、パワハラじゃない? 理不尽さと戸惑いが胸に湧き、言葉にしていいものか迷っていると、持井はみひろの前を抜けて歩きだした。

「室長。今のって」

 持井が遠ざかったのを確認し、みひろはまだ頭を下げている慎に語りかけた。次の瞬間、はっとして言葉を失う。

 慎は笑っていた。自動車警ら隊を調査した時に見せた、冷たく勝ち誇ったような笑顔だ。メガネの奥の目は前方の床に向いているが、何が映っているのかはわからない。

 たじろぎ、みひろは身を引いた。その直後、慎は頭を上げて体を反転させ、歩きだした。付いて行かなくては。頭では思うのだが足が動かず、みひろはエレベーターホールに向かう、ダークグレーのジャケットの背中を見つめた。

 5

 ホットサンドを一口囓り、みひろは息をついた。

「エミリちゃん。ホットサンド、まずいって。メニューに加えるのはなしね」

 煙草(タバコ)のけむりを吐きながら横を向き、摩耶(まや)ママが声を上げた。反応し、傍らの厨房から直火タイプのホットサンドメーカーを手にしたエミリが顔を出した。

 慌てて首を横に振り、みひろはホットサンドを持ち上げて言った。

「違う違う。すごくおいしい。とろっと溶けたチーズとハム、香ばしく焼けた食パンのマッチングが最高。是非メニューに追加して」

「わかった。ありがと」

 ラメとラインストーンでネイルを飾った指でピースサインを作って笑い、エミリは厨房に引っ込んだ。カウンターの灰皿に煙草の灰を落とし、ママが言う。

「なら、そのシケた顔は何よ。お酒も進んでないし。男? わかった。例の元エリートの上司でしょ」

 今日のママの出で立ちは、夏らしい原色の花柄のドレス。V字型にざっくり空いた襟から覗く胸の谷間は、どのあたりの層の男性に需要があるのか不明だ。

 口の中のものをグラスのビールと一緒に飲み込み、みひろは返した。

「まあそうなんだけど、ママが考えてるようなことじゃないから」

「あっそう。とにかく、店に来たからには飲みなさいよ。あと、そのホットサンド。試食は頼んだけど、タダじゃないからね。税込み五百八十円」

 言いたいことだけ言い、ママはカウンターを出てボックス席に向かった。ボックス席にはジャージ姿の吉武(よしたけ)と甚平を着た森尾(もりお)がピンクのドレスをまとったハルナを挟んで座り、焼酎のグラスを片手に盛り上がっている。

 今日は持井と別れた後、エレベーターで慎と二人きりになった。しかしみひろは何も訊けず、慎はいつもの様子に戻り、「堤の調査は続行します」と告げた。その後、二人で職場環境改善推進室に戻って仕事をし、午後五時になったのでみひろは退庁してここ、スナック流詩哀(ルシア)にやって来た。

 慎を職場環境改善推進室に飛ばしたのは持井だと、みひろも何となくわかっていた。なので慎が持井に思うところがあるのも理解できるが、さっきの態度は慎らしくない。加えて、あの笑顔。みひろが慎にただならぬものを感じたのは柿沼の言葉のせいだと思っていたが、実は慎にも何か異変があったのだろうか。さらに、あっさり慎の態度に反応した持井にも、先月エレベーターの中で会った時の様子と比べると、違和感を覚えた。

 室長も持井さんも、タイプは違っても常に自信たっぷりで余裕綽々(しゃくしゃく)って感じだったのに。逼迫とかご心労を拝察とか言ってたし、二人の異変は警備第一課のあの空気と関係があるのかな。だとすると、室長が堤さんの調査を始めたのとも関係あり?

 ホットサンドを食べ、ビールを飲みながらみひろは思考を巡らせた。ママには「お酒も進んでないし」と言われたが、実は結構飲んでいる。しかし頭が冴え、全然酔えない。

 みひろははじめ、慎は以前からマークしていた堤が無届けでアパートを借りたのに気づき、調査を決めたのだと思った。だがさっき調べたところ、堤がむつみ荘を賃貸契約したのは去年の春。「一年以上経った今、なぜ?」と疑問だったのだが、堤が警備第一課の課員であるということと関わっていそうだ。

 とはいえ、八十名以上いる警備第一課の課員たちをざわつかせ、それが監察係とその幹部である持井に起因しているらしい出来事とは何か。そしてそこに慎がどう絡むのか。みひろには複雑かつスケールがデカすぎて、悩んだり考えたりする糸口すら見いだせない。

 再びため息をつき、みひろはグラスを摑んでビールを飲んだ。と、カウベルの鳴る音がして店のドアが開いたのがわかった。続いて、

「いらっしゃい……あら、お一人?」

 というママの声が聞こえた。

「はい。あの、三雲みひろさんはいらしてますか?」

 若い女がやや固い声で応え、みひろはグラスを下ろして振り向いた。

 ドアの前にママが立ち、その肩越しに女の顔が見えた。目鼻立ちのはっきりした美人。監察係の本橋公佳だった。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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