〈第20回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」
みひろを呼び出す。
慎はノートパソコンのセッティングを再開し、話し始めた。内容は、中森がデータの抜き取りを行うまでのいきさつと、東京プロテクトとされていた計画は実は全くの別物であったこと。そして今日慎の身に起きたことと、中森が慎を仲介役に持井と取引を望んでいることを話した。
「下書きフォルダのメールにあった『計画』イコール、レッドリスト計画ですね。赤文字リスト入りして飛ばされても働き続ける職員は結構いるらしいから、キツい仕事をさせて辞めさせようとか? だったら退職強要で不法行為ですよ」
食べ終えた焼きそばドッグの袋を片付けながら、みひろは言った。
「確かに不法行為ですが、中森や伊丹の様子からして、そういうレベルの問題ではありません」
「それにしても、室長の今日一日が濃すぎっていうか、展開が早すぎ。室長がすごいのか、それだけ切羽詰まった状況なのか。どっちだと思います?」
「どちらもですね。他にも僕が東京プロテクトがダミーだと気づいたプロセスや、中森の潜入先など疑問はあるかと思いますが、ノーコメントで。情報提供者と中森の安全確保のためです」
「わかってますよ。中森さんは辛(つら)かったでしょうね。中学の同級生に、猛勉強して名門高校に入ったものの周りについて行けずに退学した子がいましたけど、似たような感じかな。監察係に配属されることがゴールで、その先を考えていなかったのかも」
「お得意の分析ですか。国民の血税から報酬を得る公僕である以上、職能のない人員は淘汰(とうた)されるべきです。赤文字リスト入りした職員についても同様……まあ、赤文字リスト入り目前のお前が言うなという話ですが」
そう言って慎は笑ったが、みひろは笑っていいのかわからない。すると慎は、「お待たせしました。セッティング完了です」とノートパソコンから手を下ろした。みひろはペットボトルを手に、慎の隣に移動した。ノートパソコンの液晶ディスプレイには、Uh-huhのユーザーアカウントとパスワードを入力する枠が表示されている。
ノートパソコンを自分の前にずらし、みひろはキーボードに手を伸ばしてユーザーアカウントの枠に、「qaz7410」と入力した。
「qazは、キーボードのアルファベットキーの左端。7410は、テンキーの左端。覚えやすく、年配者が選びそうな文字列ですね」
隣から、慎が冷ややかに私見を述べる。
さっきから持井さんたちを年寄り扱いしてるけど、私からすれば室長も立派な「おじさん」ですよ。そう返したくなったが我慢し、みひろはパスワードの枠にも「qaz7410」と入力してエンターキーを叩(たた)いた。
画面が切り替わり、フリーメールの受信フォルダが表示された。慎がノートパソコンを自分の前に戻し、今度はみひろが隣から覗く。
慎はムダのない動きで下書きフォルダを開いた。一時間以上かけて四十八件のメールを読み、ファイルが添付されているものはそれにも目を通した。
「文面にはいろんな人の名前が出て来ますけど、メールを書いているメンバーは持井さん、伊丹さん、沢渡さんですね。あとは公安部公安総務課の第五公安捜査係と第六公安捜査係、外事第三課の人がちょろっと。ここって、テロの取り締まりや捜査をする部署でしょう?」
「ええ。文面に記されている『人員』は、赤文字リスト入りした職員ですね。彼らを集めて『特別守護隊』という部隊を結成し、各方面に配置する計画のようです。特別守護隊は英語で『Special Guard』とし、通称は『SG』。添付されたファイルに各方面の部隊の予算概算要求書もあったので、間違いありません」
慎は液晶ディスプレイに開いた複数の文書に視線を走らせながら、栄養補助食品のバーを囓(かじ)っている。壁の時計の針は、午後九時を指している。
「でも、レッドリスト計画の具体的な内容がわかるメールはないですね。手がかりは、室長が中森さんに見せてもらった表? さっき第六、第七、第八方面の人員配置が多いのが気になったって言ってましたよね」
みひろはスマホを出し、画面に東京都の地図を表示させた。
「ええと、第六方面が台東区と荒川区、足立区。第七方面は江東区、墨田区、葛飾(かつしか)区、江戸川(えどがわ)区ですよね。繁華街や観光名所はありますけど大半は住宅街で、確かに各五十名も配置する意味がわかりませんね。第八方面も同じ――いや、東村山市には東京都立健康サイエンス研究所があるな。あれ? そう言えば」
ある記憶が蘇(よみがえ)り、みひろは地図を見直した。確信を得て、隣を振り向く。
「三つの方面に共通するものを見つけました!」
「そうですか。なんでしょう?」
みひろは勢い込んで答えた。
「『実話ハッスル』ですよ。最新号は『ここが危ない! 東京デンジャラスゾーン』って特集だったんですけど、荒川区と足立区は地震が発生した時に建物の倒壊や火事で危険度が高いって書いてありました。あと、江東区、墨田区、葛飾区、江戸川区は海抜ゼロメートル地帯で、洪水が起きた時に浸水したり水没したりする可能性があるとか。それと、東村山市の郊外にある東京都立健康サイエンス研究所。感染症の研究に熱心で炭疽菌(たんそきん)、天然痘ウイルス、ペスト菌などを保有していて、生物兵器テロの標的になる恐れありだそうです。人員配置が多いのは、デンジャラスゾーンだからですよ!」
地図を見せ、身振り手振りも交えて訴えたが慎は無言。片手でこめかみを押さえて俯いている。
「どうしたんですか。何か言って下さいよ――ああ。いつもの『予想や推測でものを言わない主義』?」
「いいえ。呆(あき)れて言葉が浮かばないんです。三雲さん。レッドリスト計画は都市伝説でも陰謀論でもなく、現実の施策ですよ」
「わかってますよ! じゃあ訊(き)きますけど、第五方面に配置される隊員の数を覚えていますか?」
みひろがムキになって問うと、慎は俯いたまま答えた。
「ええ。確か六十名。それが何か?」
「第五方面に区分されるのは、豊島(としま)区と文京(ぶんきょう)区の七つの警察署だけですよね。しかも、池袋を除けば住宅街ばかりですよ。そこに六十名。なんでだと思います?」
指を突き出して迫ると、慎は鬱陶しそうに眉をひそめて脇に避(よ)けた。
「さあ」
「目白(めじろ)に東都工科大学があるからですよ。工学部の原子力研究室に小型だけど原子炉が設置されてて、ここもテロや事故の危険があるって書かれてました」
すっ、と慎が真顔に戻り、みひろを見た。
「一理ありますね」
そう呟(つぶや)き、ノートパソコンに向き直った。メールやデータをめまぐるしく切り替え、目を通していく。みひろが見守っていると、慎は動きを止めた。茫然(ぼうぜん)とした様子でゆっくり片手を上げ、液晶ディスプレイを指す。
液晶ディスプレイには、大きな表があった。一番上の枠に「防護装備」と書かれ、下の枠に「全面マスク」「防護服(二重)」「作業靴」「ゴム手袋」等々の品名が並び、横に「40」「15」といった数字が書き込まれている。
「予算概算要求書の第五方面の調達装備品です。どれも放射線環境下で使用されるものですが、重汚染が起きた場合、これでは装備が軽すぎるし数も足りない。さらにこれ」
慎は言い、別の表を表示させた。こちらも調達装備品らしく、「抗ウイルス薬」「簡易抗体検査キット」「フェイスシールド」などの品目と数字が並んでいる。
「第八方面の調達装備品ですね。もし東京都立健康サイエンス研究所からウイルスが漏れ出た場合、この装備では軽すぎて数も足りないんじゃないですか?」
「その通り。第六、第七方面の装備品も確認しましたが、同様でした」
「なんでそんな……わかった。配置される隊員は、災害やテロのスペシャリストなんじゃないですか? だったら自分で装備を用意できるし、リスクも避けられるでしょう。じゃなきゃ、これから訓練するとか」
みひろは訴えたが、慎は前を向いたまま首を横に振った。
「名簿を見ましたが、そんなスキルの持ち主はいません。訓練の計画書などもありませんでした」
「室長。この計画、何なんですか? おかしいですよ。これじゃまるで」
話しだそうとすると、慎に片手を挙げて止められた。慎は再びノートパソコンに向かい、みひろはじっと見守った。
また慎が動きを止めた。キーボードに両手を乗せて前を見たまま、固い声で告げた。
「今回ばかりは自分の予想と推測が誤りであって欲しいと願いましたが、叶(かな)いませんでした……これは沢渡暁生、僕の父親のメールです。読んで下さい」
促され、みひろは液晶ディスプレイに表示された文面を読んだ。
「一つ発見したのでお報せします。
特別守護隊、通称・SG。実はこれ、今回の計画から想起される存在と頭文字が同じなんです。
その存在とは、『Scapegoat』。音節で区切ると『Scape・Goat』になります。
ね、面白いでしょう?
持井さんから『そんな意図はない』とお?りを受けそうですが、赤文字リストに名を刻まれた警察官たちは、『贖罪(しょくざい)の山羊』になる運命だったということでしょうか。
沢渡暁生」
読んでいる途中から、動悸(どうき)がした。怒り、焦り、恐怖。押し寄せるものに耐えきれず、みひろは隣を見た。
「スケープゴートって、身代わりとか生け贄(にえ)って意味ですよね? 持井さんたちは赤文字リスト入りした職員を集めて、自然災害や事故、テロの現場の最前線に送るつもりなんですね。第五、第六、第七、第八以外の方面も同じで、何か起きたら一番危険な職務を与えられる。しかもろくな装備もなく、犠牲者が出ても仕方ないって考え。これがレッドリスト計画の正体なんでしょう?」
「はい。中森は人員配置の数に疑問を呈した僕に、『答えは既に阿久津さんの頭の中にあります』と言いました。いま三雲さんが述べたのが、その答えなんでしょう」
強い目でこちらを見て、慎が答えた。拳を握り、みひろは立ち上がった。
「下書きフォルダの中身を、マスコミに渡しましょう。新聞とテレビ、あとネットにも」
「ムダです。『メールやデータはねつ造だ』と突っぱねられればそれまでですし、こんな計画が報道されたらパニックになりますよ」
「じゃあ、どうすれば」
「僕に任せて下さい。中森は、言い逃れやごまかしが利かない証拠を持っているはずです。
相談して、レッドリスト計画を中止させる方法を考えます」
「そんなことできるんですか?」
「僕ならできます」
いつもの、冷静で自信に満ちた慎に戻っていた。それでも気持ちが収まらず、みひろは「でも」と呟いた。
「コーヒーを淹(い)れます。体が温まれば、気持ちも落ち着きますよ」
微笑(ほほえ)みを浮かべ、慎は立ち上がってキッチンに向かった。