ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十回 コロナ禍の葛藤
旅館業界の「明暗」
カンガルーホテルは、コンクリート打ちっ放しのモダンなデザインで、木造建築の古びた旅館がひしめく山谷において、その存在は一際目立っていた。入口に並ぶ観葉植物、ロビーの壁に掛けられたギター、ゆったりとしたソファ、アート関連の本や写真集が詰まった本棚……。
そこはカフェと見まがうほどの洒落た内装だ。経営者の小菅さんも、そんな今風の雰囲気を身にまとい、いつも若々しい格好をしている。路上で酒を呷る山谷のイメージとは対極にある、爽やかな起業家といった感じだ。
「外国人は宿泊客の6割を占めます。以前は欧米出身者が多かったんですが、最近は、中国、韓国、タイなどのアジア出身者が増えましたね。残りの4割は若い日本人観光客や就活生、受験生などです」
カンガルーホテルに宿泊する客の年齢層は20代〜30代が中心で、中高年層が宿泊する周辺の旅館に比べて若い。稼働率は8割で、週末はほぼ満室状態だ。
コロナの影響で立ち入り禁止になったカンガルーホテルのロビー
都の資料によると、山谷に建ち並ぶ簡易宿泊施設は145軒で、宿泊客は約3800人に上る。このうち9割は、生活保護を対象にした宿で、界隈では「福祉宿」と呼ばれている。1泊の料金は1700〜2250円。残りの1割は、カンガルーホテルのような一般の観光客が対象で、「一般宿」と呼ばれる。1泊の料金は3000円前後とやや高くなる。
山谷に外国人が訪れるようになったのは、サッカー日韓ワールドカップが開催された2002年ごろ。一部の簡易宿泊所がホームページを多言語化し、外国人の誘致に乗り出したためだ。2009年に開業したカンガルーホテルは、その牽引役を果たしてきた宿泊施設の1つである。
昨年からは、一般宿が東京オリンピック開催期間中の特別宿泊プランを提供し、すでに予約客で埋まっていた。この気運の高まりに呼応するかのように、新しい宿泊所もポツポツ建ち始めた。ところがコロナ禍で、全国の小中校と特別支援学校の臨時休校要請を政府が決めた2月下旬ごろから、客足が一気に遠のいた。カンガルーホテルも例外ではなく、予約のキャンセルが相次いだ。この流れを食い止めようと小菅さんは、宿泊料金をまずは3割引にし、衛生面にも気を配った。
「安心して泊まって頂くため、ドアノブや鍵のアルコール消毒を行いましたが、正直なすすべがありませんでした」
フロントに置かれた消毒液には外国人向けに英語で説明書きが添えられている
予約は一向に入らず、稼働率は4分の1まで落ちた。しかも周囲の一般宿も軒並み値下げを始めたため、小菅さんもさらなる値下げを迫られた。その結果が、看板の割引価格となったのだ。
「看板を出してから、生活保護の方から問い合わせがきています。宿泊上のマナーを守ってくれそうな人だったら、受け入れる方向です。ただ、ビジネスパートナーの妻は僕の判断に戸惑いを感じていました。そこで今の状況だと夏には倒産の可能性があると説明し、話し合いの末に理解してもらいました」
看板に表示された「2300円」という宿泊料金は、福祉宿の水準ぎりぎりまで迫ろうとした結果だ。それでも観光客からの予約は入らず、代わりに問い合わせを受けたのは、カンガルーホテルのようなオシャレな部屋に、低額での宿泊を希望する生活保護受給者だった。
「背に腹は代えられないので、ホテルの一部を生活保護の方々に開放することにしました」
小菅さんが胸中を明かす。
山谷の一般宿の中には、休業に追い込まれたところも複数あった。
一方、福祉宿の番頭に聞いてみると、コロナの影響は「全く受けていない」と口を揃える。山谷の旅館業界では、一般宿と福祉宿の間で明暗がくっきり分かれていた。