■特別対談■ 一木けい × 鳥飼 茜 物語の力を信じたい
生と死の境目のなかで物語を書いている
一木
鳥飼さんの最新作の『サターンリターン』も、読んでいます。とっても面白いです!
鳥飼
ありがとうございます。
──鳥飼さんの最新作『サターンリターン』(小学館)は、「30歳になるまでに死ぬ」と断言して本当に死んでしまった〝アオイ〟の死の真相に、小説家の理津子が迫ります。
一木
私も主人公の理津子のように、昔、大切な人を亡くしました。そこから真剣に、死について考えるようになりました。
鳥飼
うんうん。
一木
彼らを死なせずに済む方法はあったんだろうか、と。理津子が直面しているだろう問いは、私自身が長年、抱えているものと深く重なります。
鳥飼
結論から言うと、死なせないというのは無理。だけど「救えたかもしれない」ポイントは、存在したのでしょう。
一木
そう、それです。それが知りたいし、ずっと考えていたいから、小説を書いている気がします。はっきりした解答が欲しいわけでもないんです。
鳥飼
物語をつくるのって、そういう面は少なからずありますよね。日常生活をしながら、物語を考えている状態というのは、生と死の狭間じゃないけれど、ある種の境界のなかで、彷徨いながら思索しているような感じですよね。
一木
その通りです! 境界っていう表現が、まさに。
鳥飼
描くのは、ひとりの作業。でも、読んでくれる誰かに届くかもしれないと祈っていて、完全な孤独ではない。頭のなかの出来事が、頭のなかだけではないことになりそうな、なんとも言えない狭間を、意識のうえでは行き来しています。
一木
本当、そう。
──どこにも属さない意識によって、描き取れるものがあると。
鳥飼
そうかも。どんな話を描くときも、境目感からは離れません。「死んだ人を、どこで救えたんだろう」というようなことを考えつつ、あっち側とこっち側を行ったり来たりしながら、一番ぐっとくるところに物語を持っていこうと、努めているような感覚があります。
一木
ぐっとくるところを探すときって、鳥飼さんはご自身と、読者のいる側とでは、やっぱり読者側に寄っていきますか?
鳥飼
いや、あくまで境目に立っていたい。一木さんは、面白いことを訊きますね(笑)。
一木
いえいえ(笑)。
鳥飼
私は割と自己中なので、他人がどう読んでくれるとか、多くの人に届けたいとかは、あまり考えていません。プロとして、お客さんを意識はしますが「お客さんである自分」が主体です。大衆全般に向けて、漫画を描いたことは一度もありませんし、これからもないような気がします。
一木
よくわかります。私は最近、共感ということを、小説家として考えています。たくさんの読者に共感してもらえる小説を書くのは、売り上げの意味では、正しいと思う。
鳥飼
そうですね。
一木
だけど私は、共感を一切してもらえない、まったく救いのない小説も書いてみたいです。どん底のどん底で、話が終わってしまう。けれど、暗いのになぜかほっとする、本当の意味で誰かによりそうような小説を、書き上げてみたい欲が高まっています。
鳥飼
いいですね。私たちが行きたいのは、たぶんそこだよね。
一木
まだ長編でやる度胸はないので、短編で試しながら、いつか完璧に救いのない長編に挑んでみたいと思います。
鳥飼
楽しみ。また次の作品も読ませてくださいね。
一木
ぜひ! 『サターンリターン』の今後も、楽しみにしています。
一木けい(いちき・けい)
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。デビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)が大きな話題に。現在バンコク在住。
鳥飼 茜(とりかい・あかね)
1981年大阪府生まれ。漫画家。2004年「別冊少女フレンドDXジュリエット」でデビュー。主な作品に『おんなのいえ』『先生の白い噓』『地獄のガールフレンド』『ロマンス暴風域』『前略、前進の君』などがある。