林 真理子『私はスカーレット』発売記念 あとがき全文掲載

『私はスカーレット』あとがき全文掲載

「きらら」「WEBきらら」で足かけ4年にわたって連載された林真理子さんによる名作『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル)のリメイク小説『私はスカーレット』が単行本上下巻としていよいよ刊行されました。これを記念して、下巻巻末に掲載されている「あとがき」を全文公開します!
 林さんがなぜ世紀のベストセラー小説を再構成したのかがわかり、この物語への深く強い思い入れが伝わってくるあとがきです。


 あとがき

『風と共に去りぬ』を初めて読んだのは、中学二年生の時であった。図書館で借りた、河出書房の世界文学全集の厚さも、こすれた背表紙の感触もはっきりと思い出すことが出来る。
 どうしてこれほど、記憶が定かかというと、この本を読んだ直後、甲府の映画館で『風と共に去りぬ』のリバイバルを見たからである。
 よくいろんなところで言ったり書いたりしているのだが、この時の衝撃はあまりにも大きく、田舎の少女をうちのめした。本で得た感動に、映像の具体性が重なり、『風と共に去りぬ』は、フィクションをはるかに越えてしまったのだ。
 夜、私は眠る前に自分に呪文をかける。
「私はスカーレットよ、あの緑色のドレスを着たスカーレット・オハラなのよ」
 そして想像力のありったけを駆使して、自分だけの美しい物語をつくり出す。が、朝、目が覚めてまず見るものは、わが家の節だらけの天井である。そこで私は、自分が山梨の、何の取り柄もない少女だということを思い知らされるのだ。
 朝、私はさめざめと泣いた。
 ウソだ、と言われそうであるが、死も本気で考えた。死ねば雲の上に別の世界があるに違いない。そこで神さまが私に尋ねる。
「次はどこに生まれたいか」
 私は答える。
「南北戦争前のアメリカ南部に、そしてすごい美人に生まれ変わらせてください」
 スカーレットのように。
 ドラマティックな人生を生きてみたい、という激しい願望は、その後私を作家への道に導いた。それほど私にとって『風と共に去りぬ』は大切な小説なのである。
 私以外にも、『風と共に去りぬ』に魅了された女性作家は何人かいる。
 亡くなった森瑤子さんもこの小説への愛を語り、アメリカで出版された続編の訳を手がけられた。
 また純文学作家の重鎮で、クールな印象が強い川上弘美さんが、この小説を愛読されていてちょっと驚いたことがある。年に一回は読み直しているそうだ。
 さて、『風と共に去りぬ』は、作者死後六十年経過により版権が切れ(当時)、数年前にいくつかの新訳が出された。私が『風と共に去りぬ』の熱狂的な読者だということをご存知の小学館の編集者から、
「新訳をやってみませんか」
 というお誘いがあった。
 が、既に鴻巣友季子さんらの素晴らしい訳が出ている。そもそも私の英語力では、いったん誰かに訳してもらわなくてはならない。
 そこで私が出した提案が、再構成。『風と共に去りぬ』を、もう一度構築し直してみたい、ということであった。そのために『風と共に去りぬ』を、一人称、スカーレットの視線で語らせることにし、連載を始めた。
 これが難問を生み出すこととなる。
「私」で語り出すと、他者を描けない。しょっちゅう聞き耳を立てるか、伝聞を聞くことになる。
 そしていちばんの問題は、スカーレットが自己分析をすることになり、あまりにも理智的になり過ぎる、ということだ。〝地〟の部分、つまり北部、南部についての歴史的記述をどうするか、ということについては、出来るだけ短くする方向にした。
 その他にも、連載を進めるにつれ、はて、という部分が山のように出てきた。
 世界的名作に、私のような極東の物書きがケチをつけるわけではないが、マーガレット・ミッチェルにとって、これは最初の小説だ(最後の小説でもある)。キャラクターの造形にブレがあるのだ。
 たとえばアシュレについても、あるときはどれほど貧しくても南部ジェントルマンの誇りを失わない高潔な男性だが、次の章では、全く時代についていけない頼りない男性になったりする。
 レット・バトラーに対する感情も実に不思議だ。すごいハンサムで、セクシーこのうえない。頭もすばらしくよく、金も力も持っている。文学史上におけるヒーローナンバーワンといってもいいだろう。しかしスカーレットは、彼との間に子をなしながら、性的なものに全く興味を持たないのだ。それどころか、女子高生のように、キスをしただけのアシュレにずっととらわれている。恋愛小説家の目で読み直すと、矛盾だらけの部分がいっぱいある。描写も揺れ動く。
 これをいったどうしたらいいか。
 もはや私が整理するしかないと決めた。
 そして差別という大きな問題も横たわっている。憶えておいでだろうか、アトランタオリンピックの時、『風と共に去りぬ』の音楽やイメージは、黒人差別とされて全く排除されていたことを。
 しかし当時の思想や意識を、現代のそれと入れ替えることは、絶対にしてはいけないことである。スカーレットは、
「愚かで何も知らない黒人たちは赤ん坊と同じ。それを庇護し、導いてやるのが私たち白人の雇い主の使命」
 という考えを持ち、それは頑として譲らない。ひどい言葉で、使用人を脅かしたりする。乳母のマミイのように、深い信頼と愛情を寄せる黒人もいるが、やはり主従の関係は崩れることはない。
 ここは作者のマーガレット・ミッチェルも悩んだはずであるが、彼女は南北戦争当時の白人の心情に寄ることに決めたようだ。
 私もスカーレットの言動に、怒ったり苛立ったりしたが、創ることはしなかった。
 つくづく思うのであるが、スカーレットはかなり乱暴でヒステリックな女性である。人の心を読み取ることも出来ない。が、それでもなお、私たちが彼女に激しく魅了されるのは、「とにかく生きぬいてみせる」という強い意志と行動力。そして実は夫も子どもさえも必要としていない自分本位の生き方であろう。今もこれほど強く自分勝手なヒロインを見たことがない。これが読者に伝わればと思い、『私はスカーレット』を書ききった。たくさんの方々が、私の愛した『風と共に去りぬ』に触れることを祈ってやまない。

二〇二三年二月
林 真理子


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私はスカーレット 上

『私はスカーレット 上』
林 真理子

私はスカーレット 下

『私はスカーレット 下』
林 真理子

 

林 真理子(はやし・まりこ)
1954年山梨県生まれ。日本大学藝術学部卒。82年『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーに。86年『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞、95年『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞、98年『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞。他に『葡萄が目にしみる』『ミカドの淑女』『美女入門』『anego』『下流の宴』『西郷どん!』『愉楽にて』『小説8050』『李王家の縁談』『奇跡』『成熟スイッチ』など著書多数。2022年7月、日本大学理事長に就任。

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