アジア9都市アンソロジー『絶縁』刊行記念対談 ◆ 村田沙耶香 × チョン・セラン

小説を書くときは水槽のイメージがある

――村田さんは現在、ソウル国際作家フェスティバル参加のために韓国滞在中ですが、国籍の違う作家が交流をするのは非常にまれで貴重な機会だと思います。これを機に、聞いてみたいことがあれば自由に質問してください。

村田
 小説家の人に会ったらいつもお聞きしたいと思うことなのですが、ライティングスタイルに興味があります。何から始めるのか。私はいつも似顔絵から描き始めるのですが、手を使うのか、最初から文字を打つのか。物語がいつも何から始まるのか。言語が違っても似ているところがあったりするかもしれないし、そういうことにすごく興味があるので、もし良かったらお聞きしたいです。

チョン
 私もやっぱりビジュアル化から始めていると思います。絵心がないので実際に描きはしないのですが、特定の場面を頭の中に思い浮かべるところから物語が形成されていきます。導入部であることもあれば、結末や中間部分だったりもします。「この人とこの人が会ってこんな会話をする」という決まった設定での行動を想像してから、その場面にたどり着くために走り出すという感じです。

村田
 そうなんですね。言葉が先にあるタイプの作家さんもいるのですが、(セランさんは)映像が先にあるタイプの作家さんなのでしょうか。私もそうなのですが……。

チョン
 そういうところが通じ合っているんじゃないかなと思います(笑)。私も好きな小説家の方に会ったらいつも質問していることなのですが、無意識に繰り返し使っていて、推敲するときに削る単語を知りたいです。私は「ぼうっとしている」とか「少し」という表現を使いがちなのですが、村田さんはいかがですか?

村田
 私は「本当に」という表現を地の文よりも台詞で、つい繰り返してしまうことがあります。いつも繰り返してしまいますね。「本当にそう思うよ」とか。「ただそう思った」ではなくて、一歩踏み込みたいと思っているからだと思うのですが。印刷してから何度も人物が喋っていることに気が付いて、たくさん消すことがあります。

チョン
 小説家によって、繰り返す表現はそれぞれ違いますよね。それからもう一つ、知りたいことがあります。一般的には、小説家は読者を物語に引き込むために、共感と感情移入という戦略を多用すると思うのですが、村田さんのやり方は少し違うように感じました。どういう感じかと言うと、まずショックを与えて読者の表面に亀裂を作り、そこに痛みを感じさせる液体を注ぎ込む、みたいな(笑)。読んでいる最中はショックに陥って、読後はじっくり嚙みしめることになります。ご自身が考える、村田さんならではの戦略や方法をさす言葉があれば教えてください。

チョン・セランさん

村田
 私は、『コンビニ人間』を書くまではあまり売れない作家でした。「こんなに売れない本を出してもらっていて、本当に編集者さんに愛されている作家だね」としみじみ言っていただき、本当にそうだなあと感謝していました。実はこの感覚は今もあまり変わっていないんです。たくさんの読者に読んでもらうための戦略というものが抜け落ちていて、自分が面白いというか、物語に自分自身がとらえられることをいつも望んでいます。小説を書くときはいつも水槽のイメージがあります。空っぽの水槽を目の前に用意して、登場人物、場所、匂い、いろいろなものをそこへ入れていきます。そうすると、ある時点で、水槽の中で自動的に物語が動いて、人物が喋り、いろいろな光景が生まれていくようになります。それを壊さないように、なるべく忠実に書き留めます。水槽の中で、人間としての自分を裏切るようなことが起きたときも、小説を裏切らないことにしています。実験のような感覚ですが、自分にとってつまらない実験は最後まで続きません。ある作家さんが、「がっちゃ虫」という虫が――すみません(笑)。訳せませんよね――本の中に虫がいて、その虫にがしっと摑まれる本は最後まで読んでしまう本だと、他の作家さんのエッセイで読んだとおっしゃっていたことがありました。確かにそうだなとすごくびっくりしたことがあります。読むときもそうですが、私は書くときにがしっととらえられるような感覚が起きるようになんとなく水槽の中を調整している気がします。もし私をがしっと摑んで小説を書かせた虫と同じ虫が、読んでくださるかたのこともがしっと摑んでくれたら、私はとても嬉しいです(笑)。

チョン
 期待どおりのお答えでした。もう一つ、簡単な質問をさせてください。私は現在、次の長編小説を書く前の〝予熱〟期間なので、小説以外の活動のほうが多いです。映像やアニメーション、音楽、美術関連など、いろいろな作業をしています。「私って小説家なんだっけ?」と思ってしまうほど、小説から遠ざかっている感があるので、早く執筆活動に戻りたいです。村田さんは次の作品を書くまでの予熱期間をどのように過ごしていますか?

村田
 私は小学校のときから小説を書いていて、高校のときに小説を書けなかったというトラウマがあるため、小説を書き終えたらその日に新しいノートを開いて、次の小説を書き始めることにしています。一行でもいいから、新しい小説を書いておくと安心します。予熱期間があったほうがいいのかもしれないのですが、怖くて作ることができないのです。私の小説の先生は、「どんどん書かないと小説が便秘になる」とおっしゃっていたので(笑)、なるべく書くようにしています。でも、個人的には、書かない期間も小説家は小説を書いていると思っているので、うまく言えないのですが、その期間を作らないというのは、もしかしたらあまり良くないことかもしれないのですが。

チョン
 読者としては本当に嬉しいことです。

この本はゴールではなくスタート地点であってほしい

――最近、創作者として悩んでいることはありますか。

村田
 悩み。私は実験をしている感覚なので、あまりないのですが、強いて言えば、人間の私と小説家の私がどんどん分裂してきている気がします。悩みというほどではないのですが。人間の私は小説のために、世界に培養されているだけの存在なのです。平凡で凡庸です。小説家の私は、世界に横たわっている平凡な人間を、切断して断面を見たり、血液が流れる様子を眺めたり、切り刻んで、実験に使える部分があれば使用します。その分裂に、変な感じ、変な感覚、奇妙な感覚があります。

チョン
 面白い表現ですね。私は、過度にストレスを排除したコンテンツを生産して、消費しているのではないかとちょっと悩んでいました。安全な癒しの文学には、もちろん前向きにとらえられる面もありますが、その志向が強くなれば、すっかり角の取れたコンフォートゾーンに留まることになってしまうのではないかと不安でした。そこから出て少しずつ歩み出すために、先ほど申し上げたように、不快で凹凸のある物語もときどき書いていかなきゃと決心しました。二つ目は、私は小説家としてはかなり外交的なほうですが、それでも人前に出ることを負担に感じるときがあります。数百人の前で話したり、テレビに出たりという仕事をうまくこなしたいのですが、まだ準備不足だなという気がします。小説家は部屋に隠れていて、文章だけが世の中に出て行くと考えていたのに、そうではなく、文章と一緒に小説家自身も世の中に出ていかないといけないという点をよく知らずにいました。村田さんが今回参加された国際作家フェスティバルもかなり大きなイベントですよね。執筆以外の活動に関して、ストレスなどはありませんか。

村田
 私は国際的なフェスティバルに出かけるとき、旅の前がいちばん不安です。忘れものをしてはいけないと心配しすぎて、虫刺され薬とか、ソウルではまったく必要ないであろうものを持ってきて。でも、こうやって日本とは違う言語や文化を持つ街に来ると、いつもより外向きな私にちょっとだけ変身できている気がします。以前、一緒に旅をした作家さんにも「沙耶香ちゃんは旅をしてると、違う沙耶香ちゃんになってすごく生き生きしてる」と言われました。日本ではすごく内気で、家にこもってずっと想像をして、ぬいぐるみと喋ったりしていますが、旅をしているときはいろんな人と話したり、吸収したいという気持ちが湧き上がって、ちょっとだけですが外向きになれている気がします。実際に飛行機に乗って現地に着くと、喜びのほうが大きいです。

チョン
 うらやましいです。

――この本は韓国と日本で同時出版ということですが、この時代に文学を愛し、アジアの他国の作家に関心を持っている読者のみなさんは、どんな方々でしょうか? 伝えたい言葉をお願いします。

チョン
 私は、能動的に自分を新しい文化に触れさせる人というのは本当にすごいと思います。大きくても小さくても、冒険をすれば傷つく恐れもあるし、自分が流される恐れもあって、体験した後で自分が変化する可能性もあります。どの方向に展開するかわからない分岐点に立ってみることだ、と言えるでしょうか。冒険的な読者のみなさんに読んでいただけることがいつも嬉しく、感謝しています。私もそんな読者になりたいです。アジア文学の冒険のために、この本が交流のゴールではなく、スタート地点であってほしいなと思います。

村田
 私は、尊敬する方から「読書は、音楽に譬えれば、演奏だ」という日本の作家の小沢信男の言葉を教えていただきました。そのため、小説の文章は演奏にあたるのではなく、楽譜にあたるのではないかとおっしゃっていました。私はその言葉をとても大事にしています。
 その言葉から展開して考えると、このアンソロジーはいろいろな言語で描かれた楽譜、いろんな楽譜が詰まっている音楽集なのかもしれないですね。読者が百人いたら百通りの音楽が流れるのが読書なのだろうと、その言葉からいつも考えていますが、このアンソロジーはとても多重な音楽が流れる楽譜集だと思います。読者のみなさんにとっても、新しい自分から流れる音楽の発見となれば嬉しいです。そして、それがどんな音楽なのか、作品を書いた私たちにもいつか聞かせてもらえたら、それは大きな喜びです。

司会/キム・ヨンス(「文学トンネ」編集者)
構成/藤田麗子(翻訳者・ライター)
〈初出:「文藝」2023年春季号〉

 


絶縁

『絶縁』
著/村田沙耶香、チョン・セラン ほか

[本書収録作品]
村田沙耶香「無」
アルフィアン・サアット「妻」/藤井光=訳
郝景芳「ポジティブレンガ」/大久保洋子=訳
ウィワット・ルートウィワットウォンサー「燃える」/福冨渉=訳
韓麗珠「秘密警察」/及川茜=訳
ラシャムジャ「穴の中には雪蓮花が咲いている」/星泉=訳
グエン・ゴック・トゥ「逃避」/野平宗弘=訳
連明偉「シェリスおばさんのアフタヌーンティー」/及川茜=訳
チョン・セラン「絶縁」/吉川凪=訳

 


村田沙耶香さんとチョン・セランさん

村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年生まれ。2003年、初めて投稿した小説「授乳」で群像新人文学賞優秀作を受賞してデビュー。2009年『ギンイロノウタ』(新潮社)で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』(朝日新聞出版)で三島由紀夫賞を受賞。2016年に芥川龍之介賞を受賞した『コンビニ人間』(文藝春秋)は、30以上の言語で翻訳され、全世界の累計発行部数は100万部を突破した。以降も『地球星人』(新潮社)、『生命式』(河出書房新社)、『変半身』(筑摩書房)、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』(KADOKAWA)と、新たな世界を読者に提示する作品を書き続けている。

チョン・セラン(정세란)
1984年ソウル生まれ。編集者として働いたあと、2010年に文芸誌『ファンタスティック』に「ドリーム・ドリーム・ドリーム」を発表して作家としての活動を始めた。2013年『アンダー・サンダー・テンダー』(クオン)でチャンビ長編小説賞を、2017年『フィフティ・ピープル』(亜紀書房)で韓国日報文学賞を受賞した。他の邦訳作品に『保健室のアン・ウニョン先生』『屋上で会いましょう』『声をあげます』『シソンから、』『地球でハナだけ』(すべて亜紀書房)。SF、ファンタジー、ホラーなど多彩な作品を発表し、幅広い世代から愛されている。

 

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