連載第4回 「映像と小説のあいだ」 春日太一

映像と小説のあいだ 第4回

 小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。
 もちろん、原作がゼロから作品世界を生み出したのだから、その力が大きいことには違いない。
 ただ一方で、映画やテレビドラマを先に観てから原作を読んだ際に気づくことがある。劇中で大きなインパクトを与えたセリフ、物語展開、登場人物が原作には描かれていない――!
 それらは実は、原作から脚色する際に脚本家たちが創作したものだった。
 本連載では、そうした見落とされがちな「脚色における創作」に着目しながら、作品の魅力を掘り下げていく。


『ひめゆりの塔』
(1953年/東映/原作:石野径一郎/脚色:水木洋子/監督:今井正)

映像と小説のあいだ 第4回 写真1「ひめゆりの塔」
DVD発売中 3,080円(税込)
販売:東映 発売:東映ビデオ

「先生! おひさまよ!」

 太平洋戦争末期の一九四五年四月から約三か月にわたり、沖縄では日米の激戦が繰り広げられた。多くの現地民間人をも巻き込んだ戦闘により、全戦没者は十八万八千百三十六名にのぼり、沖縄県民は軍民合わせて十三万二百二十八名もの犠牲者を出した。それは、当時の県民の約四分の一に当たる。その中には現地の学徒兵もおり、女子生徒は総勢約五百名のうち約二百名が亡くなった(※戦没者数は全て総務省のホームページ参照)。

 沖縄県立師範学校と第一高等女学校の生徒たちで編成された特志看護婦の一団は「ひめゆり部隊」と呼ばれた。多くの犠牲者を出した彼女たちの存在は、沖縄戦の悲劇の象徴として語り継がれることになり、その慰霊碑は「ひめゆりの塔」と呼ばれる。

 ひめゆり部隊を題材にした小説「ひめゆりの塔」は沖縄出身の作家・石野径一郎によって書かれ、一九四九年に連載が開始、翌五〇年に単行本化された。さらに五三年に東映が映画化して、これが大ヒットしたことで、「ひめゆり部隊」の存在は後々まで多くの日本人の心に刻まれていく。この悲劇は計六回映画化されているが、今回は最初の東映版を取り上げる。

 基本的な流れは、小説も映画も同じだ。

 彼女たちが従事していた南風原の野戦病院に始まり、止まらない艦砲射撃と大雨の中を南部へ撤退。住民の退避した農村での束の間の休息を経て、南端に追い詰められてからの洞窟壕での過酷な生活、そして投降できないまま米軍により虐殺される――。いずれも、かなり心を抉られる内容である。

 ただ、映画版は石野の小説の他にも、教員として実際に部隊を引率した仲宗根政善の記した「沖縄の悲劇」と沖縄タイムス所載「沖縄戦記」も「資料協力」としてクレジットされており、さらに脚本の水木洋子自身による部隊の生存者たちへの聞き取り取材した内容も加わっている。そのため、登場人物の名称をはじめ、大部分が小説とは異なる内容となった。

 特に異なるのは、主人公の人物像だ。小説の主人公であるカナとその友人の雅子は、沖縄戦の始まる前から当時の軍国主義とそれに基づいた教育に否定的で、そのため戦闘が始まってからもどこか醒めたところがあり、部隊とはぐれて単独行動になっても平気だった。そこには石野による批判精神が色濃く反映されている。つまり、主人公たちの心の中に「戦後の視点」が宿っているのである。

 それに対して映画の主人公・文(香川京子)は懸命に看護に勤しみ、負傷兵や仲間のためには我が身も顧みない。戦争や軍国主義に疑問を持つことはなく、ただひたすら役割に向き合っている。それは主人公だけではない。教員も生徒たちも、誰一人として戦争に対する批判を口にすることはない。全てを当然のこととして受け止め、従事し続ける。

 そこに水木洋子の狙いがあった。当事者に取材したことで、水木は以下のような意識を抱くようになったという。

「彼女たちは意外なほど淡々としていました。悲惨な体験をしたような人にはとても見えないし、彼女ら自身、特別な経験をしたという意識がないらしいのです」

「そんなわけで、ことさらに特殊な描き方をしないというのが、脚本を書くうえでの方針となりました」

――(「クロニクル東映 1947-1991」東映株式会社刊 より)

 水木が描こうとしたのは、特別な意識をもった人間ではない。当時の沖縄に暮らす、等身大の若者たちの姿だった。そして彼女たちを通して「日常のなかの戦争」を描こうとした。

 小説も映画も、野戦病院の描写や、米軍の艦砲射撃や機銃掃射によって人々が倒れていく描写は、どちらも悲惨で残酷だ。ただ、それに対する女生徒たちのリアクションは異なる。

 小説では、その度に主人公たちは戦争や軍部や軍国主義教育への怒りを募らせていく。それに対し映画では、少しでも気の休まる瞬間があれば、冗談を言い合い、笑い合い――と、「平時と変わらない日常」がそこに存在しているのである。その前後の恐ろしい描写からここだけを切り出せば、遠足の場面ではないかと勘違いするほどだ。

 だからこそ、それと対極的な戦禍と、やがて訪れる悲劇の予感がより際立ち、同時に「平穏な日常」がいかに尊いものであるかを突きつけてくる。その象徴が、大雨に打たれながら艦砲射撃の中を農村にたどり着き、翌朝を迎える場面だ。ここで彼女たちは久しぶりに陽光を浴びる。冒頭に挙げたのは、その時に主人公の発したセリフだ。ここで彼女たちは初めての安息を得る。

 だが、その空間が艦砲射撃により容赦なく破壊されたことで、全てが壊れる。何もかも戦禍に飲み込まれ、日常は境界を失う。ついには、お菓子を求めているのかと錯覚するほど和気あいあいと笑いながら、じゃんけんで自殺用の青酸カリを取り合うように。ここでも当然のように「死」が目の前に存在し、それを当然のこととして受け入れているのだ。

 ひめゆり部隊を通して、自身の戦争への怒りや批判をストレートに代弁させようとした石野。当時の等身大の若者たちを淡々と追いながら、悲劇を浮かび上がらせようとした水木。主人公のキャラクター像が大きく変わったのは、そうした両者の狙いの相違によるものだった。

 そしてその相違は、ラストの脚色にも反映されている。

 絶望的な戦況にあり、それでもなお軍人たちは島南部に無数にある洞窟に籠り、抵抗を続けた。「ひめゆり」の生徒たちもまた、それに従って洞窟にいた。そして、米軍からの投降の呼びかけを拒否したことで洞窟を攻撃され、大半が無残に命を落としてしまう。この展開は変わらない。

 この時、小説も映画も、主人公は洞窟を出ようとしている。では、なぜそれが叶わなかったのか――。

 小説では、戦禍を通して主人公は「何があっても生き抜く」という決意を固めていた。だからこそ、米軍の呼びかけに応じようとしたのだ。だが、軍医に脅され、身動きすることができなかった。

 それに対して映画の主人公は、はぐれてしまった妹の姿を求めて洞窟を出ようとした。だが、その際に背中を銃で撃たれて絶命する。大事な者のためなら後先を顧みない性格が、悲劇を招いてしまったのだ。

 そして、彼女を撃ったのは軍医(藤田進)だった。「洞窟から出る主人公に軍医が立ちはだかった」という構図は小説と同じだが、圧し掛かるものは映画が遥かに重い。というのも、小説の軍医は絶えず高圧的で「嫌な奴」として描かれていたため、そうした行動に出ても意外ではないのだが、映画はそうではないのだ。

 ここでの軍医は、自分の娘によく似た主人公に優しく接し、他の女生徒たちにも面倒見の良い、温和な人間として描かれていた。しかも、その直前には主人公の肩を抱いて励ましてすらいる。そんな軍医も、最終的には軍の対面のためには、娘のような存在だった者でも容赦なく射殺してしまう――。そのことから受ける絶望感は、途方もなく大きい。

 そして、ここでの主人公の死に方もそうだが、映画ではどれ一つとして「死」の描写が劇的に盛り上げられることはない。撃たれ、倒れ、死ぬ。ただそれだけだ。そこには、最期の言葉も、嘆きの涙もない。そこにもまた、「ことさらに特殊な描き方をしない」という水木の狙いが反映されていた。

 「お涙頂戴映画」的に捉えられることも少なくない作品だが、実のところはどこまでも乾いていて、そして悲痛な内容なのである。

【執筆者プロフィール】

春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了。著書に『天才 勝進太郎』(文春新書)、『時代劇は死なず! 完全版 京都太秦の「職人」たち』(河出文庫)、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文春文庫)、『役者は一日にしてならず』『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇入門』(角川新書)、『日本の戦争映画』(文春新書)、『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)ほか。最新刊として『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)がある。この作品で第55回大宅壮一ノンフィクション大賞(2024年)を受賞。

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