連載第5回 「映像と小説のあいだ」 春日太一

映像と小説のあいだ 第5回

 小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。
 もちろん、原作がゼロから作品世界を生み出したのだから、その力が大きいことには違いない。
 ただ一方で、映画やテレビドラマを先に観てから原作を読んだ際に気づくことがある。劇中で大きなインパクトを与えたセリフ、物語展開、登場人物が原作には描かれていない――!
 それらは実は、原作から脚色する際に脚本家たちが創作したものだった。
 本連載では、そうした見落とされがちな「脚色における創作」に着目しながら、作品の魅力を掘り下げていく。


『戦場のメリークリスマス』
1983年/レコーデット・ピクチャー・カンパニー、大島渚プロダクション/原作:ローレンス・ヴァン・デル・ポスト/脚色:大島渚、ポール・マイヤーズバーグ/監督:大島渚)

映像と小説のあいだ 第5回 写真1
「戦場のメリークリスマス」
発売元:紀伊國屋書店 販売元:紀伊國屋書店
価格:¥4,800+税

「メリークリスマス、ミスター・ローレンス!」

 映画『戦場のメリークリスマス』は、太平洋戦争中のジャワ島に設置された日本軍の捕虜収容所を舞台に、所長のヨノイ大尉(坂本龍一)、ハラ軍曹(ビートたけし)ら管理側の日本軍人と、ジョン・ロレンス中佐(トム・コンティ)、ジャック・セリアズ少佐(デヴィッド・ボウイ)、ヒックスリー捕虜長(ジャック・トンプソン)ら英国軍捕虜との間で繰り広げられる人間ドラマを描いた作品だ。

 原作者は自身も英国の軍人として日本軍の捕虜となった経験のあるローレンス・ヴァン・デル・ポスト。彼の記した短編集『A BAR OF SHADOW(放題「影の獄にて」)』に基づいて話は進む。

 この短編集は彼の捕虜体験をベースにした内容だ。捕虜仲間だったジョン・ロレンスが戦後のあるクリスマスに作者の元へ訪ね、当時の思い出を語り合うという形式で構成されている。そして、ハラ軍曹について語られた第一部「影さす牢格子」と、ジャックとヨノイについて語られた第二部「種子と蒔く者」の二編が、映画の原作となった。

 映画化に際して大きく付け加えられたエピソードは一つだけで、あとはわずかな脚色が施されているのみだ。

 そのエピソードは、いきなり冒頭に登場する。当時は日本の植民地だった朝鮮の軍属・カネモト(ジョニー大倉)が、オランダ人捕虜のデヨンを犯してしまう事件だ。そのためにカネモトは捕まってしまい、やがてハラによって切腹へと追いつめられていく。

 この収容所が狂気と暴力に血塗られた、異様な空間であることを端的に表現しているエピソードである。そして、この追加エピソードが大きな伏線となり、「わずかな脚色」と思えた変更点が大きな意味を成すことになる。

 当時の戦争映画は、基本的にはどちらか片方の視点に寄り、「敵対する者同士の憎悪」という二項対立で構成されがちだった。それに対して本作が珍しいのは、敵味方の関係性を超えた異文化同士の交流のあり方を徹底して訴えかけている点だ。

 そのメッセージ性は原作の段階から既に示されている。原作者もロレンスも、ハラやヨノイが行なった過酷な行為を「狂気」「蛮行」として一方的に切り捨てるようなことはせず、当人たちの経歴や民族の精神性などを鑑みつつ、なんとかして理解しようと努めているのだ。特にハラに対しては――酷い目に遭わされたにもかかわらず――二人とも畏敬の念すら抱いていた。

 そして、映画ではその「交流」がさらに踏み込んで描写されている。「わずかな脚色」を紐解くと、その様がよく分かる。

 映画の後半、無線機所持の濡れ衣を着せられ、ロレンスとセリアズは独房に入れられた。そしてある夜、ハラに呼び出される。酔って上機嫌のハラはロレンスに「ファーデル・クリスマス」と言いながら笑う。その日はクリスマスだった。正しい発音は「ファーザー・クリスマス(=サンタクロース)」なのだが、ハラは読めなかったのだ。ハラはロレンスの釈放を認める。そして去り際にロレンスに微笑み、こう語りかける。

「メリークリスマス、ロレンス」

 このシーンの描き方は、原作もほとんど変わらない。これまで鬼のように捕虜たちに接してきたハラが、初めて人間らしい一面を見せた場面――という位置づけも同じだ。

 ただ、この場面を経ての終盤の設定に、映画ではちょっとした脚色がほどこされている。

 戦争が終わり、ハラは戦犯として処刑されることになる。明朝に執行を控えたハラを、ロレンスが訪ねる。そして、二人は収容所でのクリスマスの夜のことを楽しげに語り合う。そして去り際のロレンスに向かって、原作のハラはこう叫んでいる。

「Merry kurisumasu Rorensu-san(翻訳:めりい・くりーすますぅ、ろーれんすさん)」

 それに対して映画で叫ばれたセリフが、本稿冒頭に挙げた「メリークリスマス、ミスター・ローレンス!」だった。

 戦前と戦後で、「メリークリスマス」に続くハラのロレンスに対する呼称が呼び捨てでなくなったことは、原作も映画も変わらない。「さん」と「ミスター」。言葉の意味は同じだし、字面にすると、そこに大きな違いは感じられない。戦後になり両者の立場が異なったことで、呼び捨てから敬称になった――。それだけのことだと思われるかもしれない。そう捉えると、これは「わずかな脚色」だ。

 だが、そうではないのだ。

 実はこの面会のシーンで、大きく変えられた設定がある。原作で両者は日本語で話している。しかも、英語の原典ではハラの発する「クリスマス」「ロレンス」の表記を「Christmas」「Lawrence」という正確なスペルではなく、わざわざ「Kurisumasu」「Rorensu」とローマ字での表記にしているのだ。そのことは、原作者がハラの発する「クリスマス」「ロレンス」は「片言の英語」という扱い方であることを示している。翻訳版でも、それを踏まえてハラのセリフは平仮名表記になっている。

 つまり、原作でのハラの英語力は「father」を発音できなかった戦中から変わっていないということになる。最後のセリフが「Rorensu―san(ろーれんすさん)」と敬称が「さん」なのも、彼が日本語しか話せないからこそなのだ。

 それに対し、映画でのハラは流ちょうな英語で会話をしている。ハラは収監されている間に英会話も学んでいた――という設定に脚色されているのである。だからこそ、映画のラストにハラは「ミスター・ローレンス」と叫んだのだ。つまり、映画のラストシーンで、ハラはより深く相手側の文化に踏み込んでいるのである。

 その点を踏まえると、新たに映画版で加えられた朝鮮人軍属の悲劇が意味をなしてくる。

 この序盤のエピソードが示すのは、ハラが英国人には理解しがたい存在であり、収容所の狂気と抑圧の化身であるということだ。ハラもまた、英国軍人の精神を理解しようともしなかった。

 そんなハラが初めて異文化に興味を示したのが、戦中の収容所でのクリスマスだった――。ハラからするとそれは異文化を受け入れた瞬間であり、ロレンスからすれば鬼のような存在だったハラが人間に見えた瞬間となる。このクリスマスの夜、敵味方に分かれていた両者は、互いに理解を示し合うことができたのだ。

 それを経て、ハラは戦後に英会話を学び、ロレンスと英語で気さくに語り合うまでに至る。最後の呼びかけが日本語混じりの「ローレンスさん」ではなく完全な英語である「ミスター・ローレンス」となっているのは、それだけハラが相手を尊重し、相手に歩み寄ったことを示す。つまり、映画ではハラの変化がより劇的に脚色されているのである。だが、時はもう既に遅かった――。

 そして、戦中に収容所で発した「メリークリスマス」が、ハラが初めて話せた正確な英会話である。そう考えると、『戦場のメリークリスマス』というタイトルに込められた想いもまた、伝わってくる。

【執筆者プロフィール】

春日太一(かすが・たいち)
1977年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了。著書に『天才 勝進太郎』(文春新書)、『時代劇は死なず! 完全版 京都太秦の「職人」たち』(河出文庫)、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』(文春文庫)、『役者は一日にしてならず』『すべての道は役者に通ず』(小学館)、『時代劇入門』(角川新書)、『日本の戦争映画』(文春新書)、『時代劇聖地巡礼 関西ディープ編』(ミシマ社)ほか。最新刊として『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(文藝春秋)がある。この作品で第55回大宅壮一ノンフィクション大賞(2024年)を受賞。

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