吉川トリコ「じぶんごととする」 6. 本の海におぼれたい
九〇年代の文化系キッズを描いた青春ものといえば、渋谷直角さんの『世界の夜は僕のもの』がある。七五年生まれの直角さんは二つ上でほぼ同世代といっていいのだが、東京出身だけあって地方とはまたちょっと様子がちがう。もちろん共通する部分も多いけれど、コアに近いところで九〇年代の文化を享受していた様子がありありとうかがえて、思わず私の中の九〇年代おばけが嫉妬するほどであった。
『世界の夜は僕のもの』
渋谷直角
扶桑社
音楽、お笑い、ファッション、漫画など『世界の夜は僕のもの』の登場人物にはそれぞれ愛好している文化があり、それがそのままその人のアイデンティティーにもなっている。それぞれに愛読している雑誌があり、そこから与えられる情報が世界のすべてになる。
地方の若者にはそこまでが限界だが、登場人物たちはそこから一歩踏み出し、文化のコアに近づいていく。そうして、思っていたよりも世界ははるかに大きく複雑で、自分なんて取るに足らないちっぽけな存在なんだということを知ってうちのめされる。地方の若者だった私にとって、なんだかそれは、すごく大人っぽい経験のように思える。「東京の人たち」がなんとなくクールに見えるのは、青春のごく初期の段階でそのような挫折のプロセスを踏んでいるからではないのかとついそんなふうに思ってしまう。
それにしてもあのころは、雑誌が強大な力を持っていた(ように思えた)。『 Olive 』や『 CUTiE 』や 『 PeeWee 』をすみずみまで――白黒の読者ページまで一文字の取りこぼしもなく読みあさっていたあのエネルギーと探求心ってなんだったんだろう。雑誌に載っていたアイテムを新しい武器を手に入れるみたいに手に入れ、雑誌に載っていた記号の数々――ブランド名や海外のミュージシャンやおしゃれな映画のタイトルを強力な呪文のように記憶していく。なにそれドラクエ? ってかんじだが、そうすることで何者かになれるはずだと、何者かにならなければならないと信じ込んでいたし、まわりにもそういう若者がたくさんいた。ばかみたいって思われるかもしれないけど、でも切実だったのだ。
子どものころから少女漫画が好きだった私は、妹や友人と協力し、お小遣いをやりくりして主要な少女漫画誌をすべて網羅するというパワープレイを長いあいだ敢行していたが、そこへ殴り込みをかけてきたのが、『世界の夜は僕のもの』にも登場する『 CUTiE Comic 』や『 FEEL YOUNG 』や『 COMIC CUE 』だった(この少し後に、山本直樹がスーパーバイザーをつとめていた『マンガ・エロティクス』も黒船のようにやってくる)。一冊のコミック誌を綴じが甘くなるまでしつこく何度も開き続けるような経験は、この先もうないのだろうと思うと、どうしたって感傷的になってしまう。甘くて苦い青春時代の追憶よ。
ところで、最近ひさしぶりにブックオフをディグったら、脳からなんらかのホルモンが分泌されたのか、興奮で頭がさえざえとし、時間も忘れ尿意もがまんして無我夢中で棚をあさっていた。文芸書やフェミニズムや社会学の本など、ふだん手に取ることの多いジャンルは定期的に書店で新刊棚を見ているので、ある程度知識が蓄積されているのだが、それ以外のジャンル――おもに生活系の実用書やアート系のヴィジュアルブック、図鑑などをメインに掘ってみたところ、この世にはまだまだ知らない本がたくさんあるのだということに新鮮な驚きがあった。そうして、エコバッグの持ち手がちぎれそうなぐらい大量の本を購入して帰ってきた。しばらくのあいだ、ちょっとくせになりそうである。
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