吉川トリコ「じぶんごととする」 9. 「自分らしく」おしゃれするってなに?

じぶんごととする 9 「自分らしく」おしゃれするってなに?


 そんな私が、どうして急に「自分らしさ」について考えるようになったのかというと、最近立て続けに「自分らしさ」を体現するような高齢女性のスタイルブックに出会ったからである。

 一冊目は銀粉蝶さんの『カンタン服でいくわ』。高齢女性のスタイルブックは、どうしてもハイブランドのラグジュアリーなものやエレガントに寄ったものが多く、一般人にはやすやすと真似できなかったりするけれど、銀粉蝶さんのスタイルはほんとうに軽快でかわいらしく、いますぐにでも取り入れたくなるものばかりだった(実際に真似してポンプフューリーを買ってしまった)。凝ったデザインのものや特別なものを身につけているわけでもなく、なじみのあるブランドのカジュアルでベーシックなものが多いのに、どれもとてもよく似合っていてなおかつ新鮮。それがいちばんの驚きだった。

カンタン服でいくわ

『カンタン服でいくわ 銀さんの春夏秋冬
銀粉蝶 
双葉社

「年甲斐もなく〇〇して」だとか、「いい年して〇〇なんてみっともない」だとか、「四十代でこれを着てたらイタい」だとか、とかく年齢に合わせた服装や行動を求められがちな本邦において、年齢に合わせて服を選ぶのではなく、自分に合わせて服を選ぶことはなかなかに難しいことである。年を重ねるにつれ、百貨店のフロアの階数も上がっていくのが慣例になっているけれど、四十六歳になったいまでもミセスフロアに着たいと思えるような服はなく、かといってヤングフロアにぐいぐい踏み込んでいくのは気が引ける。『カンタン服でいくわ』はそのような逡巡を軽く吹き飛ばしてくれる一冊であった。ガーリーなコム デ ギャルソンの服をこんなにもこざっぱりと着られるようになるのなら、年を取るのも悪くないなと思えてくる。

 もう一冊は、十年前に話題になった『Advanced Style ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ』である。六十歳から百歳代の女性を被写体にしたこの写真集が発売された当時、私はまだ三十代半ばで、いつか老いるということは頭ではわかっていたが、そこに実感がまったく伴っていなかった。だから、話題になっていたことは知っていたけれど、自分には関係のないものだと素通りしていた。

 ここにきてなぜかこの写真集のことを思いだし、「いまこそ」と思って取り寄せてみたら、これがどんぴしゃだった。とにかく色鮮やかでデコラティブ、とにかく派手、「派手!!!だね!!!」と中山美穂の歌声が聞こえてきそうである。ハリウッド映画のヴィランがつけていそうな〝キャンプ〟なサングラスやうんこのような色形をした麦わら帽子、全身ヒョウ柄など、ぱつぱつした若い娘が着ていたらそれこそ昭和のアイドルみたいに滑稽で「やりすぎ」感が出てしまいそうなパンチの効いたファッションを、高齢の女性たちがスタイリッシュに着こなしている姿は、「年甲斐? 知るかバカ!」と世界中に中指を突き立てているかのようにパンクでファビュラスだ。

Advanced Style

『Advanced Style ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ
アリ・セス・コーエン 訳/岡野ひろか
大和書房

 昨年の夏にニューヨークを訪れたとき、開放的なファッションを楽しむ女性たちの姿をそこかしこで見かけた。胸の谷間やミニスカートで脚を丸出しにするどころではなく、ぴちっとしたトップスを着て乳首が浮いていようと、レギンスで前後の割れ目がくっきり出ていようとおかまいなしで地下鉄に乗っていて、性的に眼差されることを過剰に防御しなければならない日本とはぜんぜんちがうんだなと驚いた。それぞれが男性の目を気にすることもなく好きなように好きな格好ができることは素晴らしいことではあるが、しかし同時に、ファッションの傾向が過剰に女性性を強調するものであることも気にはなった。もっといろんなスタイルがあったってよさそうなものなのに、どうしてみんなボディラインを強調し、セクシー一辺倒なんだろう。それははたしてほんとうに女性解放なのだろうか、と。

『Advanced Style ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ』にはわかりやすくピンナップガール的なセクシーファッションは登場しない。被写体の年齢をかんがみるに、「肌を見せてはいけない」「露出はひかえめに」という規範のもとにおしゃれしているのかもしれないが、そうした制約があるからこそ、より知的に「自分らしさ」を追求できているように私の目には映る。というのも、私自身が日本で生まれ育った女性で、そういった規範にがんじがらめになっているからかもしれない。エイジズムからは解き放たれても、別のなにかに縛られ続けているのだから、どこからどこまでがほんとうの「自分らしさ」なのかなんてますますわからなくなってくる。


 最近はパーソナルカラーや骨格診断など、ロジカルに自分に似合う色やデザインを導き出すおしゃれの勝間式みたいな本がたくさん出ているけれど、てっとり早く「正解」にたどりつきたい私は当然もちろんすぐさま飛びついた。こんな便利なもの、なんでもっと早く教えてくれなかったの! とばかりに。そのとき、購入した本が『骨格診断×パーソナルカラー 本当に似合う服に出会える魔法のルール』である。

本当に似合う服に出会える魔法のルール

骨格診断×パーソナルカラー 本当に似合う服に出会える魔法のルール
二神弓子
西東社

 自分が好きだったりかわいいと思ったりして買った服や化粧品がどうしてことごとく似合わないのか、これを読んでようやく私は理解した。首が詰まっていたりデコラティブだったりするガーリーな服が絶望的に似合わないのは、太っているせいだとばかり思い込んでいたけれど骨格ストレートだったからなのか! ほっこりカラーだと思って黄みの強い明るい色は避け、青みのクール系の色ばかり着たり塗ったりしていたけれど、いまいちしっくりこなかったのはイエベ春だったからなのか! これまでの「似合わない」「なんか変」の答えあわせができて、まさに「ユリイカ!」であった。そうして、それまで決して自分では選ばなかった色やデザインをものは試しに身につけてみたら、これがびっくりするほどぴったり似合ってしまって、新しい自分を発見したりもした。

「パーソナルカラーや骨格なんて気にしなくていい。着たいものを好きなように着ればいい」という考え方の人もいるだろう。私のまわりにもいる。何人もいる。そう口にする人のほとんどが、おしゃれが好きでおしゃれに労力を惜しまぬおしゃれ探求者で、だいたいみんな痩せていてきれいな人ばかり。

 だけど、みんながみんな、そこまでおしゃれに時間や労力をかけられるわけじゃないし、私の場合、決しておしゃれがしたいわけではなく、人からおしゃれに見られたいだけなので、合理的に最適解を求めればいいんじゃないかと身もふたもないことを考えてしまったりもする。「人の目なんか気にせず好きなものを好きなように着る」ことが究極のおしゃれのように言われがちだけれど、どうしたって人の目は気になるし、人の目に映った自分を意識して、自分が気持ちよくいいかんじにいられることだって、おしゃれの効用じゃないかと思うのだ。

 服を選ぶとき、「好き」と「着たい」と「似合う」と「流行」はそれぞれちがったベクトルで、それがぴったり一致する人はラッキーだけれど、なかなかそううまくはいかないから、あの手この手でみんな試行錯誤するのだろう。さらにはそこに、それぞれの環境や習慣や文化やTPОや社会規範といったものが入り込んで一筋縄ではいかない。でも、そういったぜんぶを引っくるめて練りあげていくのが「自分らしさ」なんじゃないかとも思う。私にはまだまだ遠く、死ぬまでたどりつけない場所かもしれない。

(次回は4月8日公開予定です)


吉川トリコ(よしかわ・とりこ)

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(エッセイ集『おんなのじかん』所収)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。22年『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞。2023年『あわのまにまに』で第5回ほんタメ文学賞あかりん部門大賞を受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『戦場のガールズライフ』『少女病』『ミドリのミ』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』シリーズ『夢で逢えたら』『流れる星をつかまえに』『コンビニエンス・ラブ』など多数。
Twitter @bonbontrico


 

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週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.137 大盛堂書店 山本 亮さん