【ランキング】女性が主人公の本格心理スリラー第2弾! ブックレビューfromNY<第28回>

家から出られない女

アンナ・フォックスはマンハッタンの4階建てのタウンハウスに1人で住んでいる。近所には同じような高級タウンハウスが立ち並んでいる。アンナは広い家から一歩も出ず、朝からワインを飲み、医者から処方された各種の薬を服用ながら、DVDで昔のモノクロ映画をみている。彼女と外の世界をつなぐのは家の窓、映画に飽きると、窓越しに一眼レフカメラ(ニコンD5500)で外を覗いている。カメラのズームを望遠鏡代わりにし、近所の家の様子を覗いたり、写真に撮ったりしている。

そう、アンナは広場恐怖症(Agoraphobia)なのだ。去年の冬、夫のエドと娘のオリビアが去って以来、この家から一歩も外へ出られなくなってしまった。精神科医のフィールディング医師と、彼が紹介したセラピストのビナがそれぞれ週1回訪問してくる。1人になってからは、エドがオフィスとして使っていた地下室をアパートとしてデビッドに貸している。家賃を安くする代わりに、デビッドは家の中の簡単な修理や手伝いなどをやってくれる。アンナが実際に会って話をするのはこの3人に限られている。それ以外は窓越しに、あるいはカメラのレンズ越しに近所の人たちを眺めているだけだ。時々エドやオリビアとは電話で話をするが2人に会うことはない。

彼女にとってもう一つの窓はパソコンだ。広場恐怖症のアンナが「広場」と呼んでいるチャットのサイトで、自分も匿名で様々な悩みや精神疾患を抱える匿名の人たちの相談に乗っている。アンナは広場恐怖症を発症するまでは、子供の精神科医として、パートナーのブリル・ウェスリー医師とマンハッタンで開業していたのだ。

8週間前に通りの向かい側の家にミラー家が引っ越してきた。今の時代、ネットで調べれば家がいくらで売買されたとか、新しい住民の名前や職業などすぐわかる。360万ドルの家を買ったのは精神科医のジョン・ミラー。家は現在、内装工事中でカーテンがかかっていないので、内部がよく見える。夫よりずっと若いミセス・ミラーは、どうやら内装業者の男と浮気をしているようだ。そしてつい最近、台所の窓から見える小さな公園の向こう側の345万ドルの家にボストンから引っ越してきたアリステア・ラッセルはコンサルタント会社の共同経営者だ。妻の名前はジェーン。アンナは家の中にいるアリステアや息子の姿を何度も見ているが、ジェーン・ラッセルの姿はまだ一度も見ていない。

ハロウィーンの前日、ラッセル家の息子のイーサンが訪ねてきた。子供っぽい顔立ちで青い目、砂色の髪の毛の優しげな男の子だった。母親からだといって、ギフトボックスに入ったラベンダーの香りのろうそくを差し出した。15歳ぐらいにしか見えなかったイーサンだが、実際はあと2か月で17歳になるという。イーサンは、ボストンでは学校には行かず家で勉強していたこと、友人の妹がダウン症で、その子に水泳を教えたのがきっかけで、発達障害の子供たちに水泳を教えていたことなどをアンナに話した。アンナは子供の心理相談をしていた時のことを思い出すのだった。

ハロウィーンの日、お菓子を用意していなかったアンナの家のドアに子供たちが生卵を投げつけた。怒ったアンナは思わずドアを開け外に足を踏み出し、その場でパニック発作を起こし、気を失ってしまった。そして気づいたときは家の中に横たわっていて、そばに心配そうな顔の女性がいた。その女性はちょうどラッセル家に戻る途中、ドアの前で倒れているアンナを見つけて家の中に連れて入ったと言った。アンナは「あなたが、ジェーン・ラッセルなのね。」とやっとジェーンに会えたことを喜んだ。

次の日、「広場」に新たな心理相談が寄せられた。70歳の「リジーおばあちゃん」と名乗るモンタナ在住の女性で、夫の死後、広場恐怖症になってしまったという。相談に乗っていろいろ会話をするととても喜んで、アンナに本名を教えてほしいと言った。ずっと匿名を続けていたが、遠くに住むリジーおばあちゃんなら本名を教えてもよいだろうと、アンナという名前だということを教えたのだった。

11月2日(火)、フィールディング医師が診察に来た。ハロウィーンの日のパニック発作のことや、エドとオリビアとの電話の会話に関して、心配そうな様子だった。薬を処方する時、くれぐれも処方通りの量と時間を守るように、決してアルコールと一緒に飲用しないようにと念を押した。しかし実際には、アンナは薬の量も飲む時間もバラバラ、水代わりにワインと一緒に薬を飲んだりしている。

医師が帰った後、アンナはワイン入りのタンブラーを片手に持ち、カメラを手にして、ラッセル家を見た。居間にはジェーンとイーサンがいて、こちらを見たジェーンは手を振った。今まで近所の誰もがカメラを向けられていることに気付いていなかったが、ジェーンには気付かれてしまったと、アンナは狼狽した。が、ほどなくしてジェーンは「死ぬほど退屈しているのでしょう?」と白ワインを片手にアンナを訪ねてきた。2人はワインを飲みながらチェスをし、他愛のないないおしゃべりをして、楽しい時を過ごした。「これから用事がある」といってジェーンはアンナの家を後にした。

寝る前にアンナは、ラッセル家の居間でジェーンとイーサンが並んでソファーに座り、アリステアが2人に向かい合って肘掛椅子に座っているのを見た。アンナはカメラを構え、焦点を絞ったが、結局写真を撮るのをやめた。

11月4日、薬と赤ワインを飲用した後、アンナはパソコンに向かった。「広場」のチャットで「リジーおばあちゃん」に家族がいるのかと聞かれ、夫とは別れたことを告げた。そして別れるきっかけとなった、去年12月の親子3人で行ったバーモントへのスキー旅行のことを思い出すのだった。

夜までには、アンナは赤ワイン2本をあけ、相当量の薬を飲んでいた。観ていた映画から目を離し、ラッセル家のほうを見ると白いブラウスを着たジェーンが居間のソファーに1人で座っていた。アンナは手を振ったが、ジェーンは気付かなかった。イーサンの姿もアリステアの姿も見えなかった。アンナはテレビ画面の映画に意識を戻した。しかし、次にラッセル家のほうを見た時、ジェーンはまだ居間にいて、声は聞こえないが叫んでいた。叫んでいる相手はちょうど壁の陰になって見えなかった。アンナはカメラを構え、ズームインした。ジェーンは叫びながら左のほうに移動し、壁の陰になって見えなくなった。そして再び窓の向こうに現れた時、奇妙な歩き方をしていて、白いブラウスには、黒っぽいしみができ、手は胸のあたりをかきむしり、細い銀色のものが突き刺さっているのが見えた。ジェーンは窓に向かって指を向け、アンナに向かって何かを言おうとしていた。驚いたアンナは思わずカメラを落としてしまった。慌てて警察に電話して殺人を目撃したことを通報、スマホを片手にもう一度ラッセル家を見ると、居間にはジェーンの姿はなかった。「ジェーンはまだ生きている!」と思ったアンナは、すぐ助け出さなくてはと思い、警察との通話途中のスマホを投げ出し、階段を走り下りた。公園に隣接している裏のドアから無我夢中で外に出たが、途中で意識を失ってしまった。

チェスをした「ジェーン」は誰だったのか

次の日、アンナは病院で意識を取り戻した。ベッドのそばには刑事が座っていた。アンナから通報を受けた警察は現場に急行、ハノーバー公園で倒れているアンナを発見して病院に搬送したのだった。警察は意識を取り戻したアンナをすぐに家まで送ってくれた。ジェーン・ラッセルが刺されたというアンナの証言に対しては、ラッセル家の人たちはそんなことは起こらなかったと証言していると警察は言った。ラッセル家の人たちと対峙させろと主張するアンナに対し、警察はラッセル家の人たちにアンナの家に来てもらうよう手配をした。ジェーン・ラッセルを名乗る女性はアンナの知っている「ジェーン」とは全く別人物だった。しばらくボストンで引っ越しの後始末をしていたので、ニューヨークには来たばかりだと話した。ジェーンは運転免許証を提示、彼女が本物のジェーン・ラッセルであることは疑いようもなかった。ラッセル家の誰もが、アンナが会った「ジェーン」を名乗る女性が存在することすら否定したのだった。

盗撮癖のあるアンナだが、「ジェーン」の写真は1枚も撮っていなかった。ラッセル家の親子3人が居間にいた時の光景は、最後の瞬間に写真に撮ることをやめたし、「ジェーン」が刺された時もカメラでズームインしていたものの、彼女がアンナのほうを向いた時点で、カメラを落としてしまってシャッターを押していない。「ジェーン」が存在したことを証明するものは何もなかった。

警察はフィールディング医師からアンナの病状を聞き、処方薬に幻覚の副作用があることを確認し、しかもアルコールと混ぜて服用してはいけない薬にもかかわらず、アンナの台所には多数のワインの空き瓶があった。アンナの証言の信憑性には強い疑いが持たれた。

果たしてアンナの会った「ジェーン」は実在し、何者かに刺されたのだろうか?
「ジェーン」の存在をきっぱり否定するアリステアに対し、息子のイーサンの態度はあいまいで、父親の見ていないところでアンナに謝ったりした。アンナはイーサンが父親から虐待を受けているのではないかと疑い始めていた。

事件の進展と平行して次第に明らかになる、アンナがエドやオリビアと別れる原因になった去年の12月の家族旅行の悲しい顛末。

そして「リジーおばあちゃん」の正体とは?

警察が去り、地下室の間借り人デビッドも、アンナに一時的に「ジェーン」に危害を加えた犯人と疑われたことが原因で出て行った。広い家に全く1人きりになったアンナに迫りくる危険……。果たして犯人は?

そして作者は誰?

作者のA. J. フィンにとってこの作品は初めての小説だ。ワシントンポストはブックレビューで「毎年何百も処女作小説が出版されるが、その大部分は無関心という名の広大な冷たい海の中に石のように沈んでいく。一握りのラッキーな作品だけが歓迎される。A. J. フィンの“The Woman in the Window” はそんな幸運な数少ない作品なのだ」と述べている[2]。今まで出版された女性を主人公とした心理サスペンス小説は、ほとんどすべて女性作家によって書かれているので、A. J.フィンも女性作家だろうと想像する読者も多いと思う。実はA. J. フィンはペンネームで、本名はダン・マロリー(男性)、38歳、ミステリー小説のベテラン編集者なのだ。編集者として知り尽くしているミステリーやサスペンス小説のテクニックを駆使して、作家として書き上げた最初のサスペンス小説は、大成功を収めたといえよう。ヒッチコックやクラシック映画マニアのフィン(マロリー)は、この小説の舞台をヒッチコック映画『裏窓』を連想させる設定にしている。そしてストーリーの展開は、まるで映画の場面を観ているようだ。去年の秋、本が出版されるはるか前に、すでにこの小説の上映権を20世紀フォックス社が買い取っている。この小説の映画化を待ち望む読者も多いことだろう。

[2]https://www.washingtonpost.com/entertainment/books/next-years-gone-girl-perhaps-the-woman-in-the-window-lives-up-to-the-hype/2017/12/15/588b91ca-dec0-11e7-bbd0-9dfb2e37492a_story.html?utm_term=.8930f09e42a7

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2018/03/19)

今日のメシ本 昼ごはん
星野智幸さん『焰』