【先取りベストセラーランキング】飛行機墜落事故で、ただひとり生き残った少年の「奇跡」と「苦悩」 ブックレビューfromNY<第51回>

エディとエドワード

2013年6月12日朝7時45分、ニュージャージー州ニューアーク空港の保安検査場には長い列ができていた。ロサンゼルスに向かうブルース・アドラーと妻のジェーン、長男ジョーダン(15歳)、次男エディ(12歳)もこの列の中にいた。手荷物検査と身体検査では、ジョーダンの反抗的な態度で一悶着があったものの、一家は無事に搭乗し、ジェーンはファーストクラスに、ブルースと子供2人はエコノミークラスの座席に落ち着いた。テレビ番組のシナリオ・ライターのジェーンにとってこの旅行は仕事の一環で、テレビ会社がファーストクラスの旅費を出していた。機内にはその他にも、癌を患っている年老いたビジネス界の大物と付き添いの看護師、ウォール街のやり手ディーラー、ロサンゼルスにいる恋人に会いに行く妊婦、黙って夫の元を去ってきた元歌手の女性、除隊した負傷兵などが乗り、満席だった。

物語の第2章は、同じ日の夜のコロラド州北部、飛行機墜落事故現場に国家運輸安全委員会(NTSB)の調査チームが到着をしたところから始まる。12歳の男の子、エディ・アドラーの生存が確認され、ブラックボックスも回収された。この事故に関する公聴会が3週間後に開かれることがNTSB担当官によって発表される。エディはデンバーの病院に搬送され、いまや唯一の血縁者となったジェーンの妹のレーシーと夫のジョンが病院に駆け付け、付き添った。子供が欲しかったものの流産を繰り返していたレーシーとジョンは、エディを養子にすることを決心した。

そして第3章で、また舞台は飛行機の中に戻る。朝9時5分。

――というように、この小説は2つの時間軸で物語が構成されている。ひとつはロサンゼルスに向かう2297便への乗客の搭乗から始まり、機内での様々な人間模様、そして飛行機が墜落した午後2時13分で終わる「事故前」のストーリー。もうひとつは飛行機の墜落現場から始まる「事故後」のストーリー。2つのストーリーは、1章ごとに交互に語られている。

デンバーの病院の広報担当者は、付き添いのレーシーに、報道で少年の名前が正式名エドワードとされる場合と、エディと呼ばれる場合があるが、どちらを使うのが良いかと尋ねた。レーシーは考えた末、家族内ではエディと呼んでいたが、すでに両親も兄もいない今、他人が彼のことを呼ぶ時はエドワードを使ってほしいと答えた。この小説では、この男の子は「事故前」ストーリーではエディ、「事故後」ストーリーではエドワードと呼ばれる。

エドワードへの手紙

エドワードは1週間後には退院し、ニュージャージーのレーシーとジョンの家に落ち着いた。骨折や打ち身など身体の傷は間もなく癒えたが、両親や兄を失った喪失感をいつまでも引きずっていた。自分が生きているという感覚がなく、食欲も失ってほとんど何も食べられなかった。夜もよく眠れず、体重はもはや生命の危機といえるレベルまで落ちたが、やっと兄のジョーダンが好きだったチョコレート、母が好きだったチップス、シリアルなどを無理やり食べて危機を脱した。一方、奇跡的に生還したエドワードのストーリーはニュース・メディアだけでなく、ソーシャルネットワークなどでも取り上げられていたが、本人は喪失感から抜け出すことができず、生きている実感もなく孤独だった。そんなエドワードが唯一心を開いた友人が隣家の一人娘、同い年のシェイだった。9月、新学期になってエドワードは地元の学校に入った。毎日シェイと通学し、学校で2人はいつも一緒だった。

事故から2年半たった12月、エドワードの怪我や傷は完全に治り、背も高くなり、体力もついたが、相変わらず心理療法士のドクター・マイクの治療は受けていた。そんなある日、自宅のガレージで、事故の直後からエドワード宛に送られてきた膨大な量の手紙を見つけた。エドワードはずっと事故に向き合うことができない状態だったので、養父ジョンは私書箱を設定し、エドワード宛の手紙はすべて私書箱に送られるように手配していたのだ。手紙は封を切らずにそのまま保管されていた。2年半分の自分宛の手紙の山を見た時、エドワードは読んでみようか、という気になった。手紙を読むのを手伝ったのがシェイだった。ほとんどの手紙は事故で亡くなった人の遺族や親しかった人からで、愛する人への思いとともに、生還したエドワードに、亡くなった人の分まで生きてほしいと願いを込めたものだった。強い思いに押しつぶされそうになりながら、エドワードは特に老人や子供には返事を書かなければならないと強く思った。

エドワードが手紙を読み、読んだ手紙はエドワードの指示に従ってシェイが分類した。返事や対応が必要だと判断した手紙にはエドワードが返事を書き、またどのように対応するかはシェイと2人で考えた。初めは手紙をこっそり読んでいたエドワードとシェイだったが、ジョンやレーシーにも手紙を読んでいることを打ち明け、2人の協力も仰いだ。手紙を読み、対応を一緒に考えたり話しあったりするうちに、エドワードと、新米の親であるジョンとレーシーとの関係は深まっていった。今まではお互いに思いやりの気持ちはあっても、遠慮がちだったり、理解できないことなどがあったりでギクシャクしていたが、次第に打ち解けてリラックスしていった。エドワードは、事故以来「有名人」となり、外に出ると注目を集め、ネット上でもいろいろ話題となっていたので、家にこもりがちで、学校でもシェイ以外とはあまり親しくすることがなかった。しかし遺族の手紙を読み、ジョンとレーシーやシェイと深く関わるなかで、エドワードの内向きになっていた性格は徐々に開かれていった。

卒業

2019年6月、エドワードはシェイとともに高校を卒業した。その半年前にはドクター・マイクの患者であることからも「卒業」したが、今でも時々ドクターの言葉を思い出す。「起こってしまったことは、あなたの骨に焼き付けられていて、あなたの皮膚の下で生き続けているので取り除くことはできないのですよ。もうあなたの一部分になっていて、死ぬまで片時もあなたから離れることはないのです。事故の後、私が最初にあなたと会った時から、あなたはずっと、事故と一緒に生きていくということを学ぼうとしてきたのです。」

そして、高校を卒業したエドワードは、起こってしまった事故を現実として受け止め、一生向き合って生きていくため、シェイと一緒に事故後初めてコロラド州の墜落事故現場を訪れるのだった。

著者について

アン・ナポリターノは文芸雑誌“One Story”の共同編集者であり、ブルックリン大学やニューヨーク大学で小説の書き方を教えている。ニューヨーク大学から芸術分野で修士号(MFA)を取得している。彼女は過去に小説を2作品[2]出版している。

今回のレビューのために購入した本は、書店チェーン「バーンズ・アンド・ノーブル」[3]のブック・クラブのための限定版で、「“Dear Edward”の起源に関しての著者の覚書」[4]が最後に付け加えられている。この覚書によれば、2010年5月、南アフリカからロンドンに向かう飛行機がリビアで墜落、9歳の男の子を除く乗客、乗員全員が死亡した実話にインスパイアされ、この小説を書いたということだ。(ちなみに、この1冊は著者のサイン入りでもある。)

[2]“A Good Hard Look”, 2011 and “Within Arm’s Reach”, 2004.
[3]バーンズ・アンド・ノーブル(Barnes & Noble, Inc.)は米国最大の書店チェーンである。2009年10月現在、同社は米国の50州とコロンビア特別区で合計777の店舗を運営している。
[4]“Some Notes on the Origins of Dear Edward”, p.343-347.

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

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