【NYのベストセラーランキングを先取り!】もしもあのとき、別の選択をしていたら……生死の狭間で人生を《お試し》できる真夜中の図書館 ブックレビューfromNY<第63回>
私は《ブラックホール》
The Midnight Libraryの舞台となる《図書館》は、現実の図書館ではない。
「生と死の間に図書館がある。その図書館の中には無数の書架があり、配架されたすべての本には、試してみることができる様々な別の人生が描かれている。もしあなたが別の選択をしたならば、人生はどう違っていたか……。もし、後悔していることをやり直すチャンスがあるならば、あなたは違う選択をしただろうか?」[2]
イギリスのロンドン近郊、ベッドフォードという町に住む主人公のノラ・シードは35歳。水泳に打ち込んでいた14歳の時、全国選手権の平泳ぎで1位、自由形で2位の記録を持ち、将来はオリンピック出場を期待されていた。しかし、現在のノラはというと、雨の深夜、家を抜け出した飼猫ヴォルツが道路で死んでしまい、翌日には14年間働いていた弦楽器店から解雇を言い渡され、失意のどん底にいた。水泳は、もともと怪我でラグビー選手を辞めざるを得なかった父親が熱心に仕込んだものだが、ノラ本人はそんなに好きでもなく、将来はオリンピック選手に、という父や周囲の期待が重荷になっていた。16歳の時、父が突然亡くなった後は水泳を止めてしまった。大学では哲学を勉強したが、その道に進むことはなかった。兄ジョーの結成したロックバンド『ラビリンス』でボーカルをするようになったが、ステージに立つ前の緊張感に耐え切れなくなり、それも辞めた。ボーカルを失った『ラビリンス』は解散し、それ以来、ロンドンでエンジニアとなった兄ジョーとは疎遠になっている。親友で、オーストラリアに住んでいるイジーとは、一緒にオーストラリアに行くことを計画していながら直前にキャンセル、イジーだけが渡航し、それ以来、前ほど親しくなくなってしまった。結婚式の数日前に、婚約を解消したという過去もある。つまり、ツイていない人生を送ってきたのである。
仕事を解雇されて家に帰る途中、雨宿りで立ち寄った売店でナショナル・ジオグラフィック誌を目にした。父はこの雑誌を読むのが好きで、ノラも子供ながら大好きだった。氷河の記事を読み、氷河学者になりたいと夢見たこともあった。陳列された同誌の表紙はブラックホールのイメージ写真だった。それを見たノラは、つくづく自分は《ブラックホール》、周りを巻き込んで死んでゆく、崩落していく星なのだと思った。
その夜遅く、ノラは何も成し遂げることなく周りに迷惑をかけるだけだった人生を後悔し、明日まで生きていたくないと思った。遺書をしたため、ワインと抗うつ剤を飲んで自殺を図った。
《真夜中の図書館》の司書ミセス・エルム
気付いた時、ノラは広い建物の中で、書架に囲まれていた。腕のデジタル時計は00:00:00、真夜中を示していたが、秒針が動く気配はなかった。その場所でノラは、学校の図書館司書だったミセス・エルムに会った。
19年前、16歳のノラは、学校の図書館でミセス・エルムとチェスをしながら、悩み事などを話していた。水泳が重荷になっているころだった。そこにノラの父が急死したという連絡が入り、ミセス・エルムがその電話を受けたのだった。
ノラはもう長い間、ミセス・エルムとは会っていなかった。目の前にいるミセス・エルムは19年前、学校の図書館で会った時から全然年を取っていないようだったし、その時と全く同じ服装をしていた。ミセス・エルムは、ここが生と死の境目にある《真夜中の図書館》であり、ここにある本にはノラのこれからの人生の様々な可能性が描かれていると語った。そして、どの本に描かれている人生についても、《お試し》で体験できると言った。人生をあきらめていたノラにとって別の人生などどうでもよく、「早く死にたい」と主張したが、ミセス・エルムは、死ぬ時は死ぬのだから、別の人生を試してみたらどうか、と勧めた。
そこで、ノラは婚約者だったダンと結婚していたらどうなっていただろうと考えてみた。ミセス・エルムは一冊の本を探し出してきてノラに渡した。最初の1行を読んだ途端に、ノラはパブの外で、夜風に吹かれて歩いていた。ダンは将来、田舎のパブのオーナーになりたいという夢を持っていて、ノラには、結婚したら一緒にパブを経営しようと話していた。現実の人生では、ノラはダンとパブを経営する自信がなくなり、結婚式の直前に婚約解消してしまったのだ。しかし、この人生では、彼女はどうやらダンと結婚して一緒にパブを経営しているようだ。ところが、ダンは全然幸せそうではない。パブは借金がかさんで経営難に陥り、ダンはアルコール依存症になっていた。「こんな人生は嫌だ」と思った途端、ノラは《図書館》に戻っていた。それからノラは、ミセス・エルムの助けで様々な別の人生を試してみた。親友イジーと一緒にオーストラリアに渡った人生では、イジーはノラの家に遊びに行く途中で、交通事故に遭って死んでしまった。大成功した人生もあった。ノラはオリンピックで金メダルを獲得し、書いた本はベストセラーで、超有名人になっていた。その人生では父親が生きていて、妻を捨てて再婚し、娘の成功で有頂天になっていた。しかしノラは、それが幸せな人生とはとても思えなかった。人気ロックバンドになった『ラビリンス』のボーカルを続けている人生も体験した。しかし、兄のジョーは薬物過剰摂取ですでに死んでいた。氷河学者になった人生や、近所に住む外科医アッシュと結婚し、自分はケンブリッジ大学で哲学を教え、かわいい娘がいる人生も体験した。アッシュとの結婚生活は幸せで、こんな人生ならいいなと思った一方で、どうしても《自分の人生ではない感》を拭い去ることができず、またもや《図書館》に戻ってきてしまった。
私は《火山》
《真夜中の図書館》の存在は、現実の世界でノラが生死をさまよっているという危うい状況に依存していた。ノラの容態が悪化し、死んでしまえば《図書館》は崩壊する。そしてノラがアッシュとの結婚生活から《図書館》に戻った時、すでに崩壊が始まっていた。それまで「死にたい」と言い続けたノラは、初めて現実の人生を「生きたい」と強く思い、そのことをミセス・エルムに告げた。書架や本が燃え始める中、ミセス・エルムは、ノラの現実の人生の本が置いてある場所を教え、ペンを渡した。燃え盛る火の中、目的の本を手にしたノラが本を開くと、他の本と違って、中は白紙だった。自分の人生を自分で書いていく必要があるのだ。ノラはミセス・エルムから渡されたペンで、最初のページに「私は生きている」と書いた。
その瞬間、ノラは現実の世界に戻り、かろうじて生き返った。
体力が回復すると、ノラは自分の人生を今までと全く違う目で見るようになっていた。少なくとも親友イジーも兄ジョーも生きているし、ノラに怒っているわけではないこともわかった。昨日まで自分の人生に未来はないと思っていたノラは、問題だらけの人生であることには変わりがないものの、今は《可能性のある人生》だと思えるようになっていた。
自殺から生き返って入院していた時、兄はナショナル・ジオグラフィック誌の最新号を買ってきてくれた。そこには、インドネシアの活火山の記事が載っていた。火山は《破壊》の象徴だけれど、同時に《生命》の象徴でもある。ノラはもう自分のことを《ブラックホール》だと思わず、《火山》だと思うようになっていた。
著者について
マット・ヘイグは1975年7月3日イギリス生まれの小説家でありジャーナリスト。ノンフィクション、小説、子供向けの本などを出版している。2015年出版の回顧録Reason to Stay Alive(邦題:#生きていく理由 うつヌケの道を、見つけよう)は世界的ベストセラーになった。小説はThe Last Family in England(邦題:英国の最後の家族)、The Humans(邦題:今日から地球人)、How to Stop Time(邦題:トム・ハザードの止まらない時間)などが日本でも出版されている。
[2]“Between life and death there is a library. And within the library, the shelves go on forever. Every book provides a chance to try another life you could have lived. To see how things would be different if you had made other choices…Would you have done anything different, if you had the chance to undo your regret?” p. 29.
佐藤則男のプロフィール
早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!
初出:P+D MAGAZINE(2021/02/13)
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