【NYのベストセラーランキングを先取り!】「リース・ブッククラブ」で推薦され、処女作にしてベストセラー入りした心理サスペンス小説 ブックレビューfromNY<第86回>

拡散された若い女性の突然死動画

The House in the Pinesは著者アナ・レイエズにとって初めての小説である。処女作がベストセラー・リスト入りしたのは、インスタグラムで50万人、フェイスブックで7万人のフォロワーを持つ「リース・ブッククラブ」で推薦されたことが大きな要因だと思われる。ちなみにこのブッククラブは、女優で映画プロデューサーのリース・ウィザースプーンによって2016年に共同創設されたメディア会社Hello Sunshine社が作ったものである[2]。1990年代から今日に至るまで新作小説のマーケティングに大きな影響力を持ち続けている「オプラ・ブッククラブ」とは少し違ったコンセプトを持ち、主に女性に焦点を当てた小説にターゲットを絞り、昨今は「オプラ・ブッククラブ」に迫る影響力を誇っている。

小説は、25歳の主人公マヤが、ネットで拡散されている若い女性が突然死する6分間の動画を見て動揺しているところから始まる。向かい合って座る男性と普通に会話しているように見えた女性が、動画の終わり頃、突然テーブルに突っ伏して動かなくなる。マヤの故郷であるピッツフィールドのレストランで起こったこの出来事についての報道によれば、直後に駆け付けた警察によって彼女の死亡が確認され、死因は不明ということだった。画像は不鮮明だったが、マヤは動画の男性はフランクだと確信した。

7年前の親友の死と封印された記憶

マヤは救急医療技師の母ブレンダに育てられた。父はグアテマラ人で、マヤが生まれる前に亡くなっている。若き日のブレンダはボランティア活動でグアテマラに滞在した時、ホストファミリーの大学生の息子ジャイロと相思相愛になったが、当時のグアテマラは政治的に不安定で、学生運動をしていたジャイロは、ある日、自宅前で政府軍の兵士によって射殺された。故郷のマサチューセッツ州ピッツフィールドに戻ったブレンダは妊娠していることを知り、マヤを産んで育てた。以来ブレンダもマヤもグアテマラには行かなかったが、ジャイロの両親とは手紙で連絡を取り続けていた。特にジャイロの母、父方の祖母には、一度も会ったことがないにもかかわらず、マヤは手紙で何でも相談していた。高校を卒業した7年前の夏、祖母の死を知らされたマヤは、母に頼み込んで、共に祖母の葬式に参加するためグアテマラを初めて訪問した。そこでマヤは、父の姉から父は小説家を目指していたと聞かされ、ジャイロの未完の小説原稿を渡された。

マヤがフランクに最初に会ったのは、グアテマラから戻って2週間後、ピッツフィールドの図書館だった。図書館で働いているフランクが、マヤのテーブルの上に置かれたグアテマラに関する本を見て、グアテマラに行ったことがあるのか、と尋ねたのがなれそめだった。フランクは子供の頃はピッツフィールドに住んでおり、両親の離婚で母と別の地に移り住んだが、最近父が重病になったことを知り、看病のために戻って、夏の間だけ非常勤で図書館に勤めていると語った。

秋にボストン大学への入学が決まっていたマヤは、軽い気持ちでフランクに会うようになり、彼が父の家の敷地内に小さな家(丸太小屋)を作っていると聞くと、ぜひ訪ねてみたいと思うようになった。こうして短い間にマヤはフランクと何度も会った。母ブレンダも親友のオーブリーもフランクに会いたいと言ったが、フランクは気乗りしないようだった。母は無理にフランクと会うことはしなかったが、オーブリーはマヤがフランクと会っている時に押しかけて来て、翌日にはマヤに「変な奴だから会うのはやめたほうがいい」と忠告した。フランクにのめり込む一方で、マヤは彼と過ごしていると記憶が飛んでしまうなど不可解な経験をすることに戸惑い、別れたほうが良いと思い始めた。そんなある日、マヤはオーブリーがフランクの目の前で突然倒れるのを目撃した。警察によってオーブリーの死亡が確認され、検視でも死因は特定できなかった。マヤは、どのような方法かは皆目見当がつかなかったが、フランクがオーブリーを死に追いやったと確信し、警察でもそう証言した。しかし、家の網戸を挟んで口論していた二人の体は接触すらしていなかったこともあり、警察はマヤの証言を真剣に取り上げることもなく、フランクからは形式的な事情聴取をしただけだった。母ブレンダも、マヤの言うことが信じられず、マヤの精神状態を心配した。

オーブリーの死からほどなくして、マヤはボストン大学に入学するためピッツフィールドを去り、以後フランクと会うことはなかった。ボストンでは、母に言われたように、定期的に精神科医ドクター・バリーの診療を受けた。ドクターも、マヤのフランクに対する疑いを真面目にとらえることはなく、祖母の死と親友の死が短期間に重なったための精神障害と判断し、クロノピン(抗てんかん薬)を処方した。フランクに対する疑念を誰にも信じてもらえなかったマヤは、大学卒業後も故郷に戻らず、ボストンで就職し、今はロースクールの学生ダンと一緒に暮らしている。日々の生活の中で、マヤは次第に7年前のことを思い出さなくなっていった。

松林の中の小さな家

しかし、若い女性の突然死動画でフランクの姿を見たことで、マヤは7年前の親友オーブリーの突然死と、フランクに対する疑念を封印しておくことができなくなった。動画の女性も、オーブリーと同じようにフランクに殺されたに違いないという思い、自分もフランクに殺されるかもしれないという恐怖を振り切ることができずに慢性的な不眠症はますますひどくなり、薬を飲まずにはいられなかったし、アルコールの量も増えた。そして短時間でも眠ると、夢の中に、いつも同じ松林の中の小さな家が現れた。

日に日に憔悴していくマヤを見てダンは心配し、理由を知りたがった。マヤは、オーブリーの死とフランクに対する疑念をダンに話したかったが、それまで警察、母親、精神科医から信じてもらえなかったことを考えると、とても愛するダンに話す勇気が持てなかった。自分一人で対峙し、解決しなくてはいけないと決心した。

ダンには、しばらく母の家で静養すると言って、マヤは7年ぶりにピッツフィールドに戻った。動画が撮られたレストランや死んだクリスティナという女性について調べていくなかで、次第に、ボストンで夢に見た(起きると忘れてしまっていた)松林の中の小さな家を、起きている時も思い浮かべるようになった。そして、ついに7年前その家の中にいた自分とフランクを思い出すのだが、それは現実だったのか、それとも幻想だったのか?

図書館でフランクと初めて話した時、マヤはスペイン語で書かれた父の原稿を英語に訳していた。しかし、フランクと付き合い始めてからは父の原稿を避けるようになり、ボストンに行く際には家に置いていった。7年後、実家に戻って再び原稿を読み直し、故郷の家やルーツが大切だという父の思いを理解し、聖書のエピソードをもとに書かれたこの未完の小説を自分の手で完成させたいと思うようになった。

はたして、マヤはフランクと対峙し、7年前の不可解な経験の真相を解明してオーブリーやクリスティナの死の真相を突き止めるか? そして、7年間の現実逃避に終止符を打ち、新しい一歩を踏み出すことができるのだろうか?

著者について

アナ・レイエズはルイジアナ大学でMFA(文学修士)を取得した後、ロサンゼルスに移り住み、様々な雑誌に記事を書くとともに、サンタモニカ大学で、シニアの人たちに創作的作文(Creative writing)を教えている[3]。処女小説であるThe House in the Pinesの最初のドラフトは2015年、ルイジアナ大学でMFA取得のために書かれた。そして8年後の2023年、ようやく出版にこぎつけたのだった[4]

[2]Hello Sunshine (company) – Wikipedia
[3]“About the author”, (p.323)
[4]Ana Reyes: On Working The Writing Muscles – Writer’s Digest (writersdigest.com)

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2023/02/14)

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