ニホンゴ「再定義」 第15回「ラノベ」
年齢や世代を超えて傑作という評価が高いドイツのヤングアダルト小説『チック』(邦題『14歳、ぼくらの疾走』)を例にとってみよう。これは、ドイツあるある的なアッパーミドル家庭の倦怠感や、それを取り巻く権威権力マウント由来のドイツ的偽善からの脱出を図る中学生を描く内容で、盗んだクルマを駆って東方の「ルールや定義があやしい楽園(と、主人公が思っている)」エリアへ突き進もうとするロードムービー的小説だ。印象的なのは、非日常性や現実逃避への願望や「異界」の存在が、結果的にむしろ「現実」の核心により深く直面するための材料になっている点だ。主人公たちは旧東独エリアで露天掘りの鉱山跡に迷い込み、そこで孤独に暮らす偏屈な老人に遭遇する。その老人は若い頃つまりナチ時代、共産党員だったため逮捕され、東部戦線の激戦地に懲罰部隊メンバーとして送られて地雷処理や死体処理をやらされた経験を語る。そしてドイツ人もロシア人も同じようにクソだ! と中学生相手に毒づく。それを見て「ありえねえ」と、主人公の一人は反応する。
ある意味これは、いわゆる説話ほどわかりやすくない隠喩に満ちた説話であり、その基本構造は「登場人物の内面的成長」をテーマとする「教養小説(Bildungsroman)」と大きく重なるといってよい。教養小説についてはこのエッセイの「教養」の回でも触れたが、要するにゲーテやトーマス・マンの仲間であり、内省とそれにもとづく自己形成を重視する、一種の鍛錬のツールである。うむ、言えば言うほどラノベから遠ざかる実感がある!(笑)
そういえば先日、米澤穂信氏の第166回直木賞受賞作『黒牢城』文庫版の解説を執筆していた際、ひとつ気付いたことがある。米澤穂信という作家について、世間的におそらく最も知名度が高いのは『古典部シリーズ』と呼ばれる学園ミステリだ。第1作目のタイトルを冠し『氷菓』としてマンガ・アニメ化されてそちらも良質で評判になったから知名度が高いのだ、と言えなくもないが、そもそも原作がマンガ・アニメ化と相性がよかったという点が重要だろう。古典部シリーズは、古典部という名でありながら実態は「よろず問題の推理・解明・解決」ばかりやっている(というかやらされている)突飛な部活の物語であり、いざそのように骨格だけを抜き出すと、実は、「奉仕部」をベースとする『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(いわゆる『俺ガイル』)や、「SOS団」をベースとする涼宮ハルヒシリーズといった、殿堂入りラノベ作品に驚くほど似通っていたりする。
しかし、何かが違う。