ニホンゴ「再定義」 第5回「帝国」
そのへんを踏まえて考えると、アニメ版が腐女子の皆様にも大人気な『銀河英雄伝説』という作品は、1980年代のSFエンタメなのにすごくいろいろよく出来ていたんだなぁ、と痛感せずにいられない。これは私がアニメ版の仕事で関わっているから褒める、いわゆるステマしぐさではない。銀英伝は、
①強権的統治者として有能な男が、恒星間航行が日常化した時代でありながら、自分の中二病的趣味というか強迫観念に駆られて貴族戦士エリート絵巻じみた(要するに『ニーベルンゲンの歌』っぽい)雑で古代的な帝国イメージを「銀河帝国」として具現化してしまう。
②まさにネグリが唱道する「マルチチュード」の原理に基づき、帝国内の一部プロレタリア層が「自由惑星同盟」として独立、帝国への対抗勢力として確固たる立場を築く。
③しかし銀河帝国も自由惑星同盟も、それぞれ内部で勝手に腐敗と内部抗争を深めてしまう。マルチチュードの限界がここに! で、それがどうしようもない状況になったところで物語が開幕する。
④主人公たちは銀河帝国と自由惑星同盟、それぞれを何とか立て直そうとするのだが、肝心なところでカルト組織からの介入と攻撃を受けていろいろとグチャグチャにされてしまう。まさかそんなトコに死角があったとは!
…という内容で、学者先生的な思考図式の盲点をいろいろとカバーしていたりするのがなかなか凄い。予見的ハードSFでもないのに2020年代になってからいろいろな点でリアリティが増してしまったのも興味深い。また銀英伝でひとつ特筆すべきなのが、銀河帝国について、帝国的な集権システムの必然性がどうのこうのという以前に「歴史的な大帝国のパロディ(当事者はマジだけど)」であることが明白に示されている点だ。
ネグリ先生が描出する「帝国」は、要するにGAFA・ビッグテック的なシステムを中核とした「それ自体としては充分に可視化しない強固な管理システム」である点がキモだ。そして銀英伝のゴールデンバウム朝銀河帝国は、その真逆の「俗悪でクドいキラキラ支配層ビジュアルを見せつけることで人を釣る」システムに「帝国」というパワーワードを貼り付けて商品価値を上げた点が重要だ。これは決してフィクション的な絵空事ではない。マルチ系商材の札束ウハウハ広告が時を超えて常に一定の有効性を保ってしまうのと同義で、この「敢えての」やりすぎ的ビジュアルとおとぎ話で飾り立てられた統治システムも、帝国のひとつの強力な類型概念として記憶すべきだろう。
以上、こうしていろいろ考えてみると、たとえば「カルト的要素をそもそも内包し、推進力として活用する」システム帝国こそ、概念的にも最強の帝国なのではないか、ということに思い至る。
そしてそれこそ、まさにナチス第三帝国なのだ。
構造要件、上位的コンセプトの存在を推測させる得体の知れなさ、そしてビジュアルのやりすぎ感、すべてが極めきった高次で悪の聖三位一体を達成している。
皇帝も居ないし原語で帝国と名乗ってすらいないナチス第三帝国が、帝国の中の帝国、キングオブ帝国であるというアイディアは興味深い。その感触は同時に、最先端の学術的研究ですら、いまだナチス第三帝国の真の「本懐」「ポテンシャル」を解明しきっていないのではないか? という知的懸念をかきたてる。
解明しきらないうちは、換骨奪胎した上での本質の「社会的復活」も、皆が思っているよりは容易だろう。
なかなか怖い話だ。
(第6回は7月31日公開予定です)
マライ・メントライン
翻訳者・通訳者・エッセイスト。ドイツ最北部の町キール出身。2度の留学を経て、2008年より日本在住。ドイツ放送局のプロデューサーも務めながらウェブでも情報発信と多方面に活躍。著書に『ドイツ語エッセイ 笑うときにも真面目なんです』。