武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」8. パティスリーポーリー
「こんにちは」
店長は、彼女の顔をちらりと見ただけで、すぐにショーケースの下の段からホールケーキを取り出した。色とりどりの花で飾られた真ん中には白いメッセージプレートが載っている。
「お待ちしておりました。お名前は、みゆちゃんでお間違いないでしょうか」
ケーキを見た女性の顔がさっとほころぶ。
「ありがとうございます。娘がこちらのケーキが大好きなんです。喜びます」
「お誕生日おめでとうございます」
軽くお辞儀をした店長とショーケースの上に置かれたバースデーケーキはまるでスポットライトが当たっているみたいに輝いて見えた。
ラッピングされたクッキーを受け取った桜と二人でパティスリーポーリーを一歩出ると、そこは確かにいつもの一角通り商店街の夕方の景色だった。一度聴いたらなかなか忘れられない底抜けに明るい商店街のテーマソングが大音量で流れているし、ごく普通の買い物客たちが行き交っていて、各店舗の威勢のよい呼び込みの声も聞こえてくる。
「なんだかあのお店だけすごく別世界だったね」
雄士が言うと、クルミのリードを柵から外しながら、桜が笑った。
「ポーリーさんて昔は舞台俳優だったらしいですよ。だからお店の雰囲気も凝ってるんじゃないかな」
そういうものだろうか。見たことはないけれど、幽霊がいるならきっとあんな感じだ、と雄士は思った。静かで無駄な動きがまったくない。それなのに売っているのが美味しくて綺麗なケーキだというのが変だ。あの人がボウルを抱えて生クリームを泡立てているところがまったく想像できなかった。汗なんてかくだろうか。第一、ポーリーさんというおっとりした呼び方がまずあの冷たい雰囲気に合っていない。
「そうだ。ハロウィンパレード、今年一緒に見ましょうよ。修太も誘って」
桜の言葉に一瞬嬉しくなり、すぐに、そうか、修太も一緒かと気付く。確かに雄士一人よりも修太がいてくれる方がきっと数倍楽しく会話が弾むだろう。
「楽しみにしてる」
雄士は答えた。言葉とは裏腹に胃のあたりがちりっと痛み、わずかに余韻を残して消えた。
数日後、イッカクベーカリーに用事があって、朝まだ早い時間帯にパティスリーポーリーの前を通った。朝晩はすっかり寒くなってきた。何気なく窓を見ると、中からポーリーさんが手招きしている。たまたま雄士が店に目をやらなければ、レースがふんだんに使われた豪華なカーテンの奥でそっと手招きしているポーリーさんになど気がつかなかったかもしれない。
「僕ですか?」
口パクと人差し指で自分を指してみせると、ポーリーさんは他に誰がいる? という表情で両肩を持ち上げてみせた。
「おはようございます」
扉を開けると、ポーリーさんは猫脚テーブルのところに立っていた。手にはポリ袋に入ったサボテンを持っている。
「良かったらこれをどうぞ」
「え?」
「受け取ってもらえますか。実は、僕の同僚がこれを君にあげたくて仕方ないらしい」
ハンチングキャップをかぶっていないポーリーさんは、肩まである柔らかそうな髪を片手で耳にかけながら言った。同僚? この前、やはり厨房には人がいたのか。
「でも、いただく理由がありません」
雄士が首を振ると、君は見かけによらずなかなか頑固ですねえと言って、ポーリーさんは唇の端を持ち上げた。相変わらず芝居がかっているけれど、前回ショーケースの向こうに立っていた時よりもずっと打ち解けていて、きちんと体温がある感じがする。少なくとも幽霊っぽくはない。
「サボテンて、水遣りとか難しくないですか」
「枯らしたら罰金です」
実は面白い人かもしれない。
「君、この前、僕のことを幽霊みたいだと思ったでしょう」
明らかにぎくりとした雄士に、
「考えてることがいちいち顔に出すぎなんですよ」
と笑って、歩いてくるとポーリーさんはサボテンの入った袋をぽんと雄士の手にのせた。棘だらけの小さなサボテン。
「ありがとうございます」
「花が咲くといいですね」
初恋の、と聞こえた気がして、サボテンから顔を上げると、ポーリーさんはもうとっくに、澄ました顔をしてキャップをかぶり、ショーケースの向こう側にいるのだった。そのさらに向こうの厨房に続くドアの窓に、今朝、影はない。
「じゃあ、同僚の方にもサボテンのお礼を伝えてください」
厨房のドアから目を離せずにそう言うと、ポーリーさんは、雄士の視線を遮るかのようにそっとドアの前に立ち、微笑んだ。
「またのご来店をお待ちしております。どうぞご贔屓に」
(次回は6月30日に公開予定です)
1980年神奈川県生まれ。『諸般の事情』『驟雨とビール』などのZINEを発表後、2024年『酒場の君』(書肆侃侃房)で商業出版デビュー。
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