武塙麻衣子「一角通り商店街のこと」連載最終回 13. 一角通り商店街振興会

「では、始めましょうか。本日の議題です。一角通り商店街のキャラクターとキャッチコピーを一般からひろく募集してみてはどうでしょうということです」
徳森さんの声に、集まった全員がうんうんと頷く。ざっと見たところ、商店街のほとんどの店から代表者が参加しているようだ。
「幸い、我が一角通り商店街は、未だシャッター通りとは縁遠い。近隣のお客様にとても支えられています。ただいつまでもこのままの状況に甘えきっているわけにはいかないでしょう。店主の皆さんが、ええとまあ、たとえばお年を取るというのも今後大きな問題ですしね」
一気にそこまで喋り、それから、徳森さんはコーヒーを一口飲んだ。
「美味しい。雄士くん、ありがとう」
ポットにたっぷり用意してきたコーヒーを思いがけなく褒められ、雄士は、嬉しくなって後ろの席から頭を下げた。
「ちょっと、あたしもあったかいコーヒーちょうだいな。砂糖ふたつミルクなしでお願い」
つんつんと肩を突かれて振り返ると、遅れてやって来たちとせや三号店の店主が立っていた。スコーンの味でしばらく迷っていたが、最終的にレーズンスコーンを選ぶ。やはり姉妹なのだ。さっき、ちとせや一号店の姉もやってきたのだが、妹とまったく同じ注文で、スコーンもレーズンを選んでいた。
「いや、だけどさ。キャラクターってあれでしょ? ゆるキャラ? ああいうのって着ぐるみとか作るとお金かなりかかるんでしょ」
鰻屋のご主人がそう言い、だよなあと立ち飲みジョンのマスターも頷く。
「幸いうちの商店街はなんとかつぶれずに済んでいるけど、無駄なお金使える程じゃあないよね」
「キャラクターは、最初は着ぐるみじゃなくてもいいんじゃないかと思います」
徳森さんが、いい笑顔を向けた。
「ポスターを店頭に貼ったり、何か安いグッズを作ってもいいかもしれない」
「クリアーファイルとかボールペンとか?」
ポーリーさんが、配られたプリントを見ながら呟いた。いいんじゃないかな、と顔を上げる。
「キャッチコピーってのはどうするのさ。五七五とかか」
精肉店の片岡さんが言い、すかさず、
「俳句かよ」
と、鮮魚店の辰野さんが突っ込む。
「どういうものでもいいと思いますが、入賞した作品はアーケードの両サイドの入口に横断幕として貼り出すというのはどうでしょう」
徳森さんの声に、和室に集まった店主達はほーっと声を上げる。横断幕か、そりゃ面白そうだな。
ポットに持ってきたコーヒーがそろそろなくなってしまいそうなので、いったんネムノキにコーヒーのおかわりを取りに帰ろうか迷っていると、
「君はどう思う?」
といきなりふられた。守本さんだ。
「雄ちゃんは、この商店街に来るようになってちょうどもうすぐ一年だろう? 何かない?」
ぎょっとしたが、横断幕にキャッチコピーというのは、文化祭のようで楽しい案だ。
「横断幕、いいと思います。後は感謝デーを決めて各店舗で何かプレゼントしたり割引したりしてもいいんじゃないですか」
「なかなかいいアイディアだと思うけど、うちみたいな眼鏡屋にはプレゼントとかってなかなか難しいんだな。眼鏡を使わない人ってけっこう多いんだよ」
そう言われてみれば、雄士は、今まで人生で一度も眼鏡店というところに入ったことがない。
「じゃあお店の眼鏡をかけて写真を撮ってもらうというのはどうでしょう。鏡で見るのと写真に撮るのでは顔って少し違うと思うし」
少し考えて雄士が答えると、それより無料のメンテナンスをしてよ、と獏の夢書店の久利生さんが声を上げた。そりゃいい、と笑い声が起き、ずっと無言でノートパソコンに議事録をとっていたイッカクベーカリー兄が顔を上げた。
「募集の〆切りはいつ頃を目指します?」
眠そうな声で言う。普段なら翌朝のパン作りのためにもうとっくに寝ている時間なのかもしれない。会議が始まる前に飲み物を勧めたけれど、自分で水を持ってきたからと言って、スコーンをひとつだけ受け取った。
「八月の夏祭りには間に合わせたいからここから五月頃までの募集でどうでしょう」
徳森さんの声に、みんなが頷く。
「だけど正直、集客力につながるかどうか怪しいところじゃないの。売り上げアップに結びつかなきゃ、みんな忙しいのに働き損じゃないの」
ちとせや一号店店主のピンク色の頭が不機嫌そうにふわふわと揺れ、振興会のメンバーはしんとする。
「まあ、でもとにかくやってみましょう」
鶴の一声は、おにぎり徳ちゃんだった。
キャッチコピーを考えるというのは面白そうだし自分にもできるような気がするけれど、いざなにかいい文章を、と思うと何も思い浮かばない。一角通り商店街の良さ、アピールできるところ、読んだら行きたくなるような心が躍る言葉。真剣に考えながら商店街を歩いていたら、つい豊倉惣菜店を通り過ぎてしまった。
「雄ちゃん、今、ちょうどメンチカツ揚げたてだけどどう?」
よねさんの声に、立ち止まる。
「あ、欲しいです。ふたつください」
そう言って、ポケットから財布を取り出そうとして、雄士ははっとした。一年前、この町に引っ越してきたばかりで右も左もまだわからなかった頃、一角通り商店街で、雄士が初めて買い物をしたのは豊倉惣菜店だった。軒先にかかる古いビニールのひさしは、アーケード内の店舗だというのにそれでも、日焼けしたように色がところどころ抜け落ちている。カウンターの奥の台にはホーローのバットが並び、コロッケや煮卵、きんぴらごぼうや唐揚げなど手作りの料理が並んでいた。
「あの時もメンチカツだった」
思わず雄士がそう言うと、よねさんはにこにこしながら、うん? とこちらを見た。
「ううん、ありがとう」
「はい、じゃタイムセール。メンチカツふたつで二百円よ」
あの頃は知らなかったけれど、よねさんのタイムセールは実は時間で決まっているわけじゃなくて、年がら年中いつでもなのだ。雄士は、苦笑した。よねさん、そんなのタイムセールって呼ばないよ。
「そうだ。商店街の宣伝は応募しないの?」
輪ゴムをかけたまだ熱いプラスチックパックをカウンター越しにこちらに渡しながら、よねさんが言った。昨日は、どうしても用があって会合に出られなかったのよ、と付け加える。
「うーん。やってはみたいけど自信がなくて」
受け取ったパックを使い慣れたエコバッグにしまう。底にマチがあるバッグの方が使いやすいよと教えてくれたのもよねさんだった。
「雄ちゃん、この一年ずっと商店街に来てたじゃない。いつもどんな気持ちだった?」
バイトに遅れそう、とか早く銭湯に行きたい、とかおにぎり徳ちゃんの新作を買いたいな、とか。
「雄ちゃんはね、いっつもにこにこしていたよ」
いつもにこにこしながらひとりで商店街を行ったり来たりしてるなんてちょっと薄気味悪いじゃないかと思ったけれど、でも悪い気はしなかった。
「そういうの、そのまま書けばいいんじゃないの」
そう言われて、この一年間で祖母に時々送ったはがきのことを雄士は思い出した。
──ここはいいところです。いつかおばあちゃんも遊びにきて。
ああいう感じ? それなら本当に応募してみようか。
「ね? いいじゃない」
よねさんが、菜箸を持った手を指揮棒のように振ってころころと笑う。楽しくなってきた。
その夜、ノートPCの前で、雄士は風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、自分の書いたキャッチコピーをいつまでも眺めていた。応募はとても簡単で、ウェブのフォームに必要事項と、自作のコピーを書き込んで送ればいいだけだ。パソコンの白く光る画面には、何度も打ち込んでは消してまた書いたいくつもの文字。本当にこんな感じでいいのかな。冷め始めてしまったマグカップのコーヒーをすする。
そうだ。もし万が一にも、金一封がもらえたりしたら振興会の人たちと商店街でなにか美味しいものを食べたらいいんじゃないかな。楽しそうだ。そう考えてにっこりした瞬間、雄士の人差し指は、とんっとエンターキーを押していた。
(了)
*本作の連載は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
2026年に単行本として刊行予定です。お楽しみに!
1980年神奈川県生まれ。『諸般の事情』『驟雨とビール』などのZINEを発表後、2024年『酒場の君』(書肆侃侃房)で商業出版デビュー。
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