話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み
『バイク事故の現場に車が突っ込み、バイクを運転していた少年と、居合わせた警察官が撥ねられた。車はそのまま現場から逃走し、現在、H署が捜査している。警察官は全治二か月の重傷、少年は』
震える指で、画面をスクロールさせる。
『搬送先の病院で死亡が確認された』
体温がすうっと下がったような気がして、手から力が抜け、スマホが布団の上に落ちた。
「……嘘でしょ……やめてよ」
曖昧な記憶を辿る。自分はパトカーを降り、救護に向かったんだ。それなのに警察官の方が助かって、相手が死んでしまったなんて──
千隼は、体をよじって布団に潜りこんだ。
口元を枕に押しつけて、繰り返し、自分を罵る言葉を叫んだ。
むせび泣きが、いつしか慟哭に変わっていたのだろう。看護師が駆け込んできて、布団をめくろうとした。千隼は、布団を後ろ手に掴んで抵抗し、うつぶせのまま体を震わせ、叫び続けた。
やがて看護師の数が増え、布団を剥がされると、左腕にチクッという注射針の痛みを感じた。
再び、千隼は不快な眠りに落ちた。
時おり目を覚ましても、何時であるかわからない。消灯時刻を過ぎて真っ暗だったり、食事を配膳するワゴンの音が聞こえていたり──悪夢にうなされ続けていたような気がする。
今度は警察学校の学生に戻っていた。
教官の厳しい叱責。警察官の責任をわかっているのか、市民のため身体を賭す覚悟があるのか、辞めてしまえ──
もう警察学校は卒業したはず。何を言われても、食らいつき、諦めなかったはず。それなのに今、夢の中では、教官に何ひとつ言い返すことができなかった。
「大丈夫? とても苦しそう」
ベッドの傍らに誰かがいる。看護師だろうか。布団を被ったまま、悪夢を振り払うように、幾度も寝返りをした。
何があったの。話を聞かせて、話せば楽になるものよ──と優しく問いかけられたような気がした。
「ごめんなさい、私、警察官なのに人を救うことができませんでした」
とめどなく涙が溢れて止まらない。
あの夜の出来事が次々と浮かんでくる──
ふと我に返り、布団から頭を出してみる。
乾いた病室の空気があるだけで、そこには誰もいなかった。
変な夢を見た──そう思い、頬を拭うこともせず、千隼は再び眠りに落ちた。
翌日、野上副署長がひとりで病室を訪ねてきた。
寝たまま話をするわけにもいかず、千隼は、のろのろと身を起こした。
野上は、型どおりの見舞いを言った後、体調を尋ねることもせずに言った。
「全治二か月の診断書が出ている。二月末まで療養休暇だ。しっかり体を治すように」
千隼は「はい」とうなずくほかなかった。野上は、クリップ止めしたA4サイズの紙束を出した。
「事故処理に関して、おまえの供述調書が必要だ。署名してくれ」
「私の調書?」
千隼は、野上の手から書類を取ろうと手を伸ばしたが、それを野上が制した。
「本来は、捜査担当の交通課員がおまえから話を聞いて作るものだが、その体では無理だろう。処理を急ぐ必要があるから、こちらで作った」
「私から話を聞かないうちに、どうして私の調書が作れるんですか」
「おまえが何を見たかは、現場の状況からおおよそ推測できる。内容はほぼ正確なものになっている」
「読ませてください。間違ったことが書いてあったら大変ですから……」
野上が大きなため息をつき、腕時計に目を走らせた。
「時間がないんだ。この後、国田リオの拳銃使用事案に関して、県警本部に呼び出されている。すぐに行かなくては」
千隼は顔を上げた。
「リオさんは大丈夫なんですか。処分されたりしませんよね」
「そうならないよう、皆で頑張っているところだ」
「すみません。私にも責任があると、思ってます……」
「おまえに責任はない。何ひとつ悪くない」
野上は調書の最後の頁だけ抜き出して、余白の部分を指で示した。サインペンを千隼に握らせてくる。
「安心しろ。調書には、おまえが不利になるような記載はない。おまえは轢き逃げされたんだぞ。悪いのは、後ろから突っ込んできて逃げた車の運転手に決まっているだろう。交通課で鋭意捜査中だ」
おまえは悪くない──その言葉が、弱りきった心にずるりと侵入してきた。
「警察官として取るべき行動は取った。早く体を治して、また一緒に働こうじゃないか」
千隼は思考を止め、黙ってペンで名前を書いた。
急に気だるくなり、体が重くなったような気がした。野上が出て行くのも待たず、ベッドに体を横たえて、眠りに落ちた。
『県警の守護神 警務部監察課訟務係』
水村 舟
水村 舟(みずむら・しゅう)
旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。