こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』最初の1篇(+α)まるごとためし読み!
真夜中の成長痛
「さき、昨日見た?」
弾むような声に顔を上げると、淡い小花柄のキャミソールに身を包んだ琴ちゃんが、興奮したような面持ちであたしを見つめていた。
「あ、見た見た。今週の〝月ラン〟でしょ?」
ラストやばかったよね、と返すと、琴ちゃんは前がはだけたブラウスもそのままに、首がもげるんじゃないかという勢いでこくこくと頷いた。
視界の隅では最後の身体測定から戻ってきたらしい隣のクラスの女の子達が、そこらに制服を脱ぎ捨てたまま、お喋りに夢中になっている。今日の一限は健康診断で、着替え場所に指定されたこの教室は、生徒達が出たり入ったりを繰り返していた。
「あれ、月ラン至上に残る神回だよね。さきもそう思わない? 中の人の演技、すごすぎ。わたし、号泣しちゃった」
「うん、うん」
「ミカミさん、なんであんな声出せるんだろ。声優ってほんとすごいよね。尊敬しちゃう」
琴ちゃんの言うミカミさん、は売れっ子の男性声優だ。彼の出演情報を見逃さないよう琴ちゃんは毎日、目を皿のようにしてSNSやホームページをチェックしているらしい。
「原作もめちゃくちゃいいところで終わってるし。次の巻どうなるんだろ。あ、優花。知っててもネタバレしないでよ」
琴ちゃんがそう言って、あたしの肩越しにおのちんを睨んだ。あたしと琴ちゃんは単行本派だけど、おのちんは月ランの掲載誌を購読していて、あたし達の中で唯一今後の展開を知っている。
「言わないよ。てか琴子、さっきから声デカすぎ」
おのちんはそう言って、呆れたようにあたし達を見遣った。おのちんは一足先に健康診断から戻ってきたこともあって、とっくに着替えを済ませて次の授業の教科書をめくっている。
いつもクールで姉御肌のおのちんと、おっとりした見た目で実はうるさい、好きなものには猪突猛進の琴ちゃん。あたし達の出会いは、同じクラスになってすぐの席替えで、隣の席になった琴ちゃんがあたしに話しかけてくれたことがきっかけだった。
『それ、月ランのノエルじゃない?』
琴ちゃんの目に留まったのは、現在放送中の深夜アニメ、「月面のアトランティス」のメインキャラクター、暁ノエルのアクリルキーホルダーだった。
『わたし、月ランだと主人公のスバル推しかな。ていうか、スバルの声やってる人のファンなんだ』
『クラスでこの話ができる人と出会えると思ってなかったー。え、待って。すごいうれしい』
『ねえ、さきって漫画の方は読んだことある? わたしの友達で、原作ファンの子がいるんだよね。同じクラスの、小野優花って言うんだけど……』
そんな感じでおのちんを紹介され、あたし達はその日のうちに意気投合した。琴ちゃんとおのちんはご近所さんで、家族ぐるみの付き合いもある。いわゆる幼馴染ってやつだ。普段からお互いの家を行き来しているだけあって、二人の間には家族のような空気が流れていた。
「えー、別にデカくないし」
おのちんの容赦ないつっこみに、琴ちゃんがぷうっと頬を膨らませる。
「さきもそいつに付き合ってないで、早く着替えなよ。この教室、次は男子が使うらしいよ」
その言葉にあたしと琴ちゃんは顔を見合わせ、慌ててスカートやらブラウスやらを身につけ始めた。とその時、一際大きい声が教室に響き渡った。
「マジでないじゃん、最悪!」
そう言って今にも泣き出しそうな顔をしてるのは、確か一組の……そうだ、濱中さん、だ。
「亜梨沙、やっぱここじゃないって。もっかい戻って探してみよ?」
濱中さんの連れらしいもう一人の女子が、宥めるようにそう言った。それでも濱中さんは諦めがつかないみたいで、きょろきょろと辺りを見回している。
「ふじもん、もっかいそっち見て。この教室以外ありえない」
初めての誕プレなんだもん、なくしたなんて言えるわけないじゃん。そう言いながら、濱中さんがぐるりと首を回す。ヤバい、と思う間もなく視線がかち合った。濱中さんはあたしに目を逸らす隙を与えず、つかつかとこちらに歩いてくる。濱中さんが目の前に立った瞬間、ブルーベリーのガムにも似た甘いかおりが、ふわりと鼻先を掠めるのがわかった。
「ねえ、ここにネックレス落ちてなかった? 色はピンクっぽいゴールドで……」
一言知らないと言えばいいのに、体が硬直して声が出なかった。こんなに輪郭のくっきりした声を、ひさしぶりに聞いた気がした。その強い語調も相まって、お前が盗んだんだろうと言われているみたいだ。
「ちょっと。話聞いてる?」
あたしの態度は、濱中さんの癇に障ったみたいだ。さっきからずっと、苛立たしげに目を吊り上げている。なんでこういう人達って、一片の迷いもなく自分が正しいみたいな言い方ができるんだろう。そもそも、アクセサリーは校則で禁止されているのに。どうせ、先生の目を盗んで隠しているうちに、どこかにやってしまったんだろう。自業自得じゃないか。
「知らないよ」
その声に振り返ると、いつのまにかおのちんがすぐ後ろに立っていた。
「うちらがここに来た時には、なかったと思うけど」
おのちんは、声を荒らげることもなく、静かにそう答えた。その後ろで琴ちゃんが、援護射撃でもするみたいにこくこく頷いている。有無を言わさぬおのちんの態度に、濱中さんも気を削がれたらしい。あっそ、と言って、くるりと踵を返す。
「あ、亜梨沙。待ってよ」
早足で教室を後にしようとする濱中さんを、〝ふじもん〟が慌てて追いかける。濱中さんがいなくなると、教室は少しずつさっきまでの騒々しさを取り戻していった。
「こわっっ。何あれ、女王様かよ」
濱中さんが去ってすぐ、おのちんが吐き捨てるようにつぶやいた。おのちんにしては珍しい。驚いて顔を上げると、おのちんはもういない濱中さんの背中に向かって、べーっと舌を出してみせた。
「あんなの全然気にすることないよ」
「……だね」
強張った頬を動かし、なんとかそう返す。琴ちゃんが心配そうに、さき、ほんとに大丈夫? とあたしの顔を覗き込んだ。
「うん。大丈夫、大丈夫」
「濱中さんも、あんなキツい感じで言ってこなくたっていいじゃんね」
「それくらい大事なものだったんじゃん?」
「それにしたってさ」
「あれ、彼氏にもらったんじゃないかな。あの子、他校の男子と付き合ってるって噂になってた気がする」
「えっ、ほんとに⁉ うちらと住む世界違いすぎ」
「ていうか、さ」
あたしが口を開くと、二人が示し合わせたようなタイミングでこちらを振り返った。
「あの人達、ぶっちゃけあんま評判よくないよね。濱中さんとか、あきらかに性格悪いし。誰かが言ってたけど、昔万引きで捕まったことあるらしいよ。もしほんとだったら、絶対反省とかしてなさそうじゃない?」
一瞬の間を置いた後、おのちんと琴ちゃんがふっと表情を緩め、「さき、それはちょっと言いすぎ」と言って笑った。笑ってくれた。そのことに、まずいちばんにほっとする。
みんなが思ってるのに言えないことを真っ先に口に出してみんなを笑わせる、普段はおとなしくて、実は口の悪いさき。それが、このグループで確立されたあたしのキャラだ。あたしは中学に入って初めて、琴ちゃんやおのちんと出会って初めて、嘘偽りのない本当の自分と、この世界での自分の居場所を見つけた気がした。
さきこそ、性格悪っ。何それ、二人が言い始めたんじゃん。いいから早くしなよ、うちらいつのまにか最後だし。ばたばたと荷物をまとめて教室を飛び出し、廊下でぶーぶー文句を言いながら、本当は二人に、ありがとう、と伝えたかった。琴ちゃんとおのちんがあたしを気遣って、ことさらに濱中さんを悪く言ってくれていたのがわかったから。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。