こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』最初の1篇(+α)まるごとためし読み!
「……ねえ依子、虚言症ってなんだかわかる?」
ピクニックの帰り道、さきちゃんから突然そんなことを言われた。耳慣れない単語に、何それ、と首を傾げると、さきちゃんは、依子は何にも知らないね、と言って笑った。さきちゃんの後ろには、熟れすぎたあんずのような、ただれた空が広がっていた。
「虚言症って、嘘吐きのことだよ」
あたし、それなんだって。誰がそんなこと言ったの、と返すと、さきちゃんはけろりとした顔で、「みんな」とだけ答えた。みんなは、みんなだよ。黙り込んだ私に、さきちゃんは言った。嘘を吐くって、そんなにいけないことなのかな。
さきちゃんが昔学校を休みがちだった、という話はおばさんから聞いていた。その原因がどうやら、クラスメイトとさきちゃんの間に起きたトラブルにあるらしい、ということも。さきちゃんの言う「みんな」には、昔のクラスメイトも入っているんだろうか。
「ママにも昨日、言われたの。嘘吐きは地獄に落ちるんだから、って」
私の胸の内を見透かしたように、信じられないでしょう、とさきちゃんが笑う。
「依子の知ってるあれは、ママの表向き用の顔だから。家ではすぐ物投げたり、電話口でパパに死ねって言ったり、すごいんだから」
さきちゃんの口から飛び出す単語のおどろおどろしさと、いつも玄関でやさしく出迎えてくれるおばさんの笑顔が、うまく重ならない。出来損ないのコラージュのように、そのイメージはちぐはぐのままだった。
「そんなんだから、パパに愛想つかされちゃうんだよ」
さきちゃんはそう言って、口元に乾いた笑みを浮かべた。ほんと困っちゃうよね、と肩をすくめてみせたさきちゃんが、まあでも依子も似たようなもんか、とつぶやいた。
川から吹いた風が辺り一帯をびゅう、と吹き抜けていく。思わず顔をしかめた私にそっと体を寄せて、さきちゃんが囁くようにつぶやいた。風にさらされて冷たくなった頬に、さきちゃんの頬がぴたりとくっついた。
「あたし達、似た者同士ってこと」
ぱあん、と弾けるような音が辺りに響く。少し遅れて、じんじんと頬に痛みが広がっていった。視線を戻すと、たった今目の前で振り抜いた右手をぶるぶると震わせながら、鬼のような形相で私を見つめるさきちゃんの姿がそこにあった。さきちゃんの瞳は蛍光灯の光を反射して、きらきらとブルーに輝いている。
さきちゃんは頭に、鮮やかな水色のウィッグを被っていた。お揃いだった二つ結びは姿を消して、髪はショートカットに変貌している。服装は、フリルのついたブラウスに両肩の肩章、ぴったりとしたジョガーパンツ、膝の近くまである銀色のブーツ。いずれも青と白を基調にした王子様のような装いだ。
何かに似ている、と思ったそれの正体が、さきちゃんの部屋にあったフィギュアの男の子であることに気づいた。さきちゃんが大好きな、アニメの中の男の子。ふと視線を動かすと、通路に立てかけられた目隠し用のパネルの陰から、さきちゃんの仲間達がちらちらとこちらの様子を窺っているのがわかった。
みんな、思い思いの格好をしている。がちゃがちゃとした原色の組み合わせが目に眩しい。ここに来るまでに、似たような雰囲気の女の子達をたくさん見た。この会場の入り口に貼られた「撮影会」の文字が何を指すのかを、私は知らない。パネルの奥の扉の向こうで、一体何が行われているのかも。
さきちゃんが普段よりもワントーン低い声で、「なんでここにいるの」とつぶやいた。
「あたしあんたに、ここのこと言ったっけ?」
口を開きかけた私を遮って、言ってないよね、と被せるように言う。なのになんであんたがここにいるの。
「私、その、さきちゃんに会いたくて、それで」
「だからあたしのこと、ずっとつけてきたの? それとも、あたしのスマホでも勝手に見たの? この前家に来た時」
「違う、私は」
「違うって、何が」
「だから、その……」
とにかく違う、と首を振ったものの、さきちゃんの耳には届いていないらしい。しばらく黙り込んでいたさきちゃんが、ぽつりとつぶやいた。
「気持ち悪い」
さきちゃんは、青ざめた顔でこちらを睨んでいた。その肌の白さが、元々のものなのか、頬に塗りたくられたファンデーションのせいなのかはわからない。
「あんた、すっごく気持ち悪いよ。ストーカーみたい」
さきちゃんが嫌悪で声を震わせていた。何か言い返したいのに、声が出ない。代わりに、自分でも思ってもいなかったような言葉が、唇から漏れた。
「……友達、だよね」
「は?」
「私達、友達だよね? さきちゃん、言ってくれたもんね? 私達、似た者同士だって」
それを聞いたさきちゃんが、眉間に皺を寄せる。まるで、汚いものでも見るみたいに。冷たい視線が、レーザービームみたいに私の体を射抜く。目の前の景色が、ぐらぐらと揺れ始めた。
「そんなわけ、ないじゃん」
『逃げろ、依子』
唐突に、トトの声が頭に響いた。
『見た目だけは人間の形をしてるが、そいつは立派な宇宙人だ』
「……え?」
トトは何を言っているんだろう。
『あれは、宇宙人だ。さきが、わたし達の裏切り者だったんだ』
違う。目の前にいるのは、さきちゃんだ。
「あんたのことなんて、大っ嫌い」
さきちゃんが憎々しげにつぶやいた。依子、早く──。トトが何かを言い終わるか言い終わらないかのうちに、目の前を灼熱のレーザービームが駆け抜けた。青色の髪の毛が、一本一本意思を持っているかのように蠢く。次の瞬間、さきちゃんの体が風船のように膨らみ、弾けて、中からさきちゃんの本体が飛び出した。真っ青なヘドロみたいなそれはぐねぐねと動きながら分裂と再構築を繰り返し、増殖していく。
「さきちゃん、嘘でしょ?」
『宇宙人に意識を乗っ取られたんだ。前に言っただろう。長く寄生され過ぎた。多分、この子はもう助からない』
違う。どんな姿でも、さきちゃんはさきちゃんだ。そう返したいのに、なかなか言葉が出てこない。これも宇宙人の攻撃だろうか? ヘドロみたいなさきちゃんが、地を這うような声で私に語りかける。
「さきちゃんはやさしいとか、友達になれてうれしいとか、嘘ばっかり。あんたのそういうおべっかを聞いてると、胸がムカムカしてくるんだよ」
さきちゃんの放ったレーザービームが地面を焼き尽くし、あっという間に辺りは火の海と化していく。四方を炎に塞がれ、私の退路は完全に断たれた。
「嫌だった。うっとうしかった。ずっとずっと、そう思ってた」
あたし達、ちっとも似てなんかない。さきちゃんが、吐き捨てるようにそう言った。
「なんでこんなところにいるの? 早くあたしの前から、消えてよ」
『わかっただろう。こいつはもう、友達なんかじゃない。早く目を覚ませ。武器を持て、銃を構えろ。敵を殲滅しなくては。早くしないと、地球が──』
「……わかった」
そう言って、私はさきちゃんから目を逸らした。
「ううん、本当は、わかってた。ずっと前から。私がそれを、信じたくなかっただけ」
『依子、わかってくれたのか? なら早く、そいつを』
トトの声に、ガガガッ、とノイズが交じる。
「裏切り者は、あなただったんだね」
『……依子?』
「そう考えれば、全部辻褄が合う。授業中に助けてくれたと思っていたのも、廊下で私に話しかけてきたのも。さきちゃんを倒して、私の体を乗っ取るために」
『依子、怪我でもしたのか? さっきから何を言ってるんだ』
「あなたはトトじゃない」
私の言葉に、初めてトトが──いや、トトの偽者が押し黙った。
「あなたは一度も、私の呼びかけに答えてくれなかった」
『……』
「何度トトって呼んでも、頷いてくれなかったね。だから、あなたはトトじゃない。トトはね、私が呼ぶとうれしそうに尻尾を振って返事してくれるの」
『依子、君は騙されて──』
「それでも、トトと話せてうれしかった。今まで、ありがとう。さようなら」
その瞬間、トトの声がぶつりと途切れた。そして私は、ようやくさきちゃんに向き直り、その両目を正面から捉えた。ブルーに輝く、カラーコンタクトの瞳。
「さきちゃん、ごめんね」
「……は?」
「勝手にやさしいさきちゃんを好きになってごめんね。運命だなんて思ってごめんね。でもほんとは、やさしくなくてもいいの。私を嫌いでもいいの。どんなさきちゃんでもいい。また一緒に、放課後一緒に帰ったり、ピクニックに行きたかっただけなの」
そうだ。また三人で、いや今度は四人で、ピクニックに行こう。さきちゃんと私とトトと、シロのみんなで。あのペラペラで安っぽい、あちこちを虫に食われた小さな宇宙船に乗って。
「何、それ?」
「え?」
「この前からピクニック、ピクニックって。あたしそれ、全然覚えてないんだけど」
一瞬、何を言われているかわからなかった。
「どうせ、……も全部あんたの──なんでしょう? ……みたいに」
背後から、地面の崩れる音がする。巻き起こった爆風が、私達の声を掻き消してしまう。
「──なんか信じて、頭おかしいんじゃないの」
おかしい? 頭おかしいって、何? 私が?
「……けど。でもそろそろ、あんたも認めなよ。──って。……れないよ」
あんただって、本当はもうわかってるんでしょう。そこで音声は途切れたまま、何かを訴えるさきちゃんの唇の動きだけが、無声映画のワンシーンみたいに目に焼きついた。自分の体が、ゆっくりと後ずさりを始める。そして逃げるように、その場から駆け出した。
『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ
こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。