こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』最初の1篇(+α)まるごとためし読み!

『教室のゴルディロックスゾーン』ためし読みバナー

「夢から覚めたら、どうしよう」

 いつだったか、トトとこんな会話を交わしたことがある。

「時々、思うの。今見ているもの、ここにあるもの。この戦場も、宇宙人も、全部全部偽物なんじゃないかって。目を覚ましたら私は人類の生き残りでもなんでもないただの十三歳で、トトは」

 そこまで聞いて、トトが口を開いた。

『大丈夫だよ、依子。どんな世界でだって、君はきっとうまくやれるさ』

「何を根拠に、そんなこと言うの? うまくいくかなんて、誰にもわからないじゃない」

『なんだ。わたしの言うことが信じられないのか?』

 トトはそう言って、まっすぐ私を見つめた。でも、そうだな、と続ける。もしそれが、本当なんだとしたら──。

『たまには、君とゆっくり散歩でもしてみたいね。そこらにいる、ふつうの犬みたいに』

 できれば、改造手術なんか受けていない体で。冗談めかした口調でそう言って、トトは得意のウインクをしてみせた。

「でも、そしたらあなたはいつか死んじゃうのよ」

 トトは、全然問題ないよ、とそれに答えた。

『ならわたしは、生まれ変わって依子に会いにいくだけだ』

 トトが突拍子もないことを言うものだから、耐えきれずに笑ってしまった。生まれ変わりだなんて、トトはロマンチックなのか現実的なのか、よくわからない。

「姿や形が変わったら、私はそれがトトだって、ちゃんと気づけるかな」

 するとトトが、見た目なんてたいした問題じゃないさ、と私の顔を見つめた。

『ほら、言うだろう? 大切なものはいつだって、目に見えない』

 トトが、どこかで聞いたような台詞を口にした。それって、と言いかけた私を見て、きゅっと目を細める。この見た目にもそろそろ飽きてたんだ、次はどんな姿で依子の前に現れようかな。トトはそう言って、口元にいつもと変わらない涼やかな笑みを浮かべていた。

 

「シロ」

 何度呼んでみても、返事はない。運河に架かる大きな橋が、難攻不落の要塞みたいにそびえ立っている。夕暮れ時の橋の下には、不法投棄の粗大ごみと、コンクリートの壁に書かれたスプレーのいたずら書き、そして洞穴のような暗闇が広がっているだけだ。

「シロ、出ておいで、私だよ、依子だよ。どうしたの、なんで出てこないの」

 段ボールの隙間、コンクリートブロックの物陰、草むらの間。どこを捜しても、シロが見つからない。

「トト、どうしよう。シロがいないの。あいつらに殺されちゃったのかもしれない」

 どこからか迷い込んだ風がコンクリートの柱に反響して、不気味な不協和音を奏でている。

「トト、トト? 偽者は倒したよ。どうしたの、なんで答えてくれないの」

 いつまで経ってもトトの返事はない。風が代わりに、何かを訴えかけようとしている。ぶんぶんと首を振り、その声を頭から追い出した。

「……駄目だ、依子!」

 河原を通りかかった老人が、ぎょっとしたような顔でこちらを振り返った。関わり合いになりたくないと思われたのか、私と目が合うや否や、足早にこの場を去っていく。

「違う。どんな姿でも、さきちゃんは」

 続きの台詞はもう決まっているのに、どうしてか耳に届かない。私の声は河川敷を舐めるように吹き抜けた強い風にさらわれ、掻き消されてしまった。

『どうせ、そのシロとかいうのも全部あんたの妄想なんでしょう? トトみたいに』

 さきちゃんが最後に放った言葉が、こだまのように反響していた。

『いもしない犬なんか信じて、頭おかしいんじゃないの』

『そりゃ、なかなかお墓にいけなかったのはあたしも悪かったけど。でもそろそろ、あんたも認めなよ。トトは死んだって。トトだって、いつまで経ってもあんたがそんなんじゃ浮かばれないよ』

『あんただって、本当はもうわかってるんでしょう』

 トト、早く出てきて。いつものように、私を助けて。そして証明して。あなたは生きてるって。宇宙人はいるって。私は人類の生き残りなんだって。私の言ってることは嘘じゃないって。

『ピクニックって。あたしそれ、全然覚えてないんだけど』

 レジャーシートの宇宙船、空になったポケットティッシュの袋とフルーツキャンディのゴミ、おばさんの甘い紅茶。あれも全部、嘘だったんだろうか。

『ねえ依子、虚言症ってなんだかわかる?』

 さきちゃんがあの日、口にした言葉の数々。

『嘘を吐くって、そんなにいけないことなのかな』

 あの時頬に触れた、さきちゃんの肌の感触。

『あたし達、似た者同士ってこと』

 全部全部、私の妄想だったんだろうか。トトがいたこと。シロがいたこと。さきちゃんとの幸せな日々。だとしたら、どこまで。どこまでが現実で、どこまでが夢だったのか。私にそれを教えてくれる人は、もういない。

 どこかで、パキ、と小枝の折れる音がした。誰、とつぶやくと、躊躇ためらいにも似た短い沈黙を挟んで、その人が柱の陰から姿を現した。



【6月28日発売!】

 

『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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